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古稀が来る前に(その3):高校マンドリン班の音楽の集いと同期会<後篇>

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「音楽の集い」の後、スタジオ近くの飲食店(六文銭)で開かれた同期会、地元料理をいただきながら、皆で
高校時代の話に花が咲いた。(幹事はHNくん) Photo by TAKA and Ishida


音楽スタジオ(ウィンナー楽器)での集いを終えて、引き続き近くの飲食店に席を移して同期会を開いた。スタジオの担当KT

さんによると、現在の長野高校マンドリン班は同好会として活動しており、会員は8名だと電話で後から知らせてくれた。往年

の班員数からすれば随分と淋しくなったものだと思うが、マンドリンという楽器自体がすでに中古楽器店に並んでしまうような

存在(ちょっとごめんなさい!)なので致し方ないかとも思う。しかし、現在の音楽シーンでも、他に比類のない澄んだ音色を表現

できる楽器として存在感はあるし、コラボの仕方とアレンジの仕方次第では、今でも輝きを持っている楽器であることは間違い

ない。同期生として会に参加してくれたISくんは、写真を撮ったり動画を撮ったりして、会後に皆宛にデータを沢山送ってくれ

たが、ゴルフ関係や他の仕事に忙しく飛び回る合間に今回の催しに加わってくれて、大いに楽しんでいた。ANくんからも、フォト

を多数送ってもらい、お2人には感謝している。そのうちに何枚かをこのブログにも掲載させてもらった。



AN君のギターを借りて、カルカッシの教則本メロディ(?)を弾きだしたMZくん、ANくんの演奏や今回の
楽器演奏コラボ・歌やコーラスなどは大いに刺激になったようだ。


色々と懐かしい話が飛び交った中で、金鵄祭・音楽祭の話が出た。その時のマンドリン班演奏の司会は、総合司会を務めた

KSくん(長身で甘いマスクと良く通る声で人気があった:放送部所属)にやってもらったのだが、MZくんからは、「MCはTAKAに

やってもらいたかったのに! 」と、また苦言を呈されてしまった。50年以上の前のことを昨日のことのように覚えていてくれる

のも、いやはやである。私自身は、彼(KSくん)がやってくれた方が盛り上がると思っての判断だったが、今となっては申し訳

ない限りだ。


班長だったNI君の墓参の後で、市内の居酒屋で集った班員のメンバー達。今をさかのぼる5年5ケ月前のことだ。
(2010年10月2日)


今回の企画は、5年5ケ月前の会合にさかのぼる。2007年の12月にMZくんから音楽祭の録音テープを送ってもらってから、

何時かマンドリン班の同期会を開きたいものだと私は思っていたのだが、班長だったNIくんが2009年の春に急逝してしまった。

朝のウォーキング(サイクリング?)中の出来事で、見つかった時はすでに事切れていたのだった。彼の音頭取での同期会を

当てにしていた私は、開催のすべを失ってしまった。翌年の2010年10月2日に、母の命日で長野市善光寺の高台(花岡平)

にある母の墓を訪れた時、メンバーたちに声をかけて午後からNIくんの実家を訪れ(HNくん・KDくんが同行)、すぐ近くにある

彼の墓をお参りした。その時の様子は、このブログの2010年10月11日付:『母の墓参と高校音楽クラブの友たち』にも

載せている。久し振りの飲み会で一献を傾けながらの近況としては、その当時ギターもマンドリンも、再び手にして楽しんで

いるメンバーがなかった。わずかにMRくんが、Gtをまた習い始めた、という状況だった。その当時、ボサノヴァに傾倒し、

ライブやバンド活動に精を出していた私は、「ギターとマンドリンの合同演奏をいつか一緒にやりたいな!」と、心密かに願った

のだった。そして、ようやく、今回の「音楽の集いと同期会」が実現したのだ。長年温めてきた企画が日の目を見たのは、

細野くんはじめ、メンバーたちの協力のおかげだし、会の趣旨を汲み取って快く参加してくれた同期生たちのおかげだった。

願わくは、再びメンバー達で音楽の集いができたら、これに勝るよろこびはないが、明日のことを知る人は誰もいない。古稀に

なる前に、この様な機会を作れただけでも、幸せなことだと喜ぶばかりである。皆様の健康を祈って、70歳になる前にできた

一会を感謝したいと思う。

<この項終わり>
 

旬の食彩3品

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我が家の周りのサクラの中でも早咲のソメイヨシノ、3月19日に開花した。 All Photo by TAKA


花の季節となった。Spring has come! 誰もが大地の息吹きを感じるこの季節を待ち遠しく思っていたと思う。我が家

の周りでも、多くの春花が見られるが、沈丁花・ハクモクレン・辛夷・レンギョウ・雪柳・ヒヤシンス・春スイセン・

スノーフレーク等々が花開いた。ニラ花や山吹もすぐ咲くだろう。そして、ソメイヨシノも咲き始めた。これから4月初め

までお花見のシーズンとなる。


左より、「菜花のちらし寿司」・「ひじきの煮物」・「石鯛の姿造り」、古稀ひとつ前の私の誕生日(3月17日)を
祝ってもらったお料理だ。


この時期には珍しい小振りの(若い)石鯛が食品スーパーで入手できた、ということで、私の誕生日祝いは、石鯛のお造り

となった。春先の若い石鯛の刺身は、シャキッとした歯ごたえとさっぱりとした味が美味しかった。菜の花のちらし寿司は、

酢飯の酢味は控えめ、金糸卵と蓮根と菜の花をちらしたものだったが、菜の花のほのかな苦みが程よく感じられた。ひじきの

煮物は人参と厚揚げを合わせて焚き、煎りりゴマを散らしたもの、出汁醤油の味付けがしっかりとしていた。それら食友の

心尽くしのお料理を、シャンペンとともに美味しくいただいた。



さばいた石鯛の頭・脇腹・尻尾などは、美味しく食べられるので、脇腹を煮た「鯛ソーメン」ならぬ「鯛うどん」を作って
みた。白身の脂が程よく出て、出し汁も全部飲み干した。右はナスの煮びたし。


出刃包丁で魚をさばくことは、ごく普通の家庭でもしていた事だが、昨今の奥様方(女性たち)は、魚屋に任せるか、あるい

パックで売られる切身しか食卓に出さなくなってしまった(もちろん、自分でさばく方も少数おられるが)。もったいないこと

ではある。美味しい石鯛は、頭・脇腹・尻尾を出刃で叩き切り、焼いたり煮たりして食べることにした。後日、頭は焙って食べ

、骨身はコンソメスープし仕立てでキャベツとともに食べて見たが、しっとりとした味で旨かった。脇腹は、昆布出し汁・みりん

・お酒・醤油で作った煮汁に脇腹を入れキノコとともに煮立て、茹でた細うどん(今の時期ソーメンがないので)とともに食べ

てみた。鯛身から出る上質の脂が煮汁に溶けあって美味、少々はしたないが、身と骨をしゃぶりながら食べ尽し春の味覚を

堪能した。


鶏スペアリブのビール・実山椒煮、味付けはビール・醤油のみ。実山椒の辛みが鶏肉に染み込んで美味。どようかい
の差し入れ料理として準備して居たのだが、マスターを見送る別れの料理となってしまった。付け合わせはミニ青梗菜。


毎週土曜日夜に、近所の椿珈琲店で開いている『どようかい』は、3月に入ってからマスターのTGさんの病気入院のため

お休みしていたのだが、19日は前々からの予定で゛拡大どようかい゛と称して、常連さんたちが集まってライブ仕立ての会を

することになっていた。しかし、マスターの病状悪化のため突然中止となった。メンバー達は心配して見舞金を集めたり、病状

についての情報を話したりしていたのだが、当日19日の朝茂子ママから訃報が伝えられた。入院からわずか3週間の急逝

だった。あまりの急展開にメンバー達は言葉も無く、ウッチーと私・サイトウさんとOBさんは、狛江駅側の居酒屋で弔い酒と

称して集まって酒を酌み交わしていたのだが、思い立って茂子ママと連絡を取り、お別れに拝顔したい旨を申し入れた。夜間

にも拘らず、ご遺体が家に戻っているのでどうぞ、と茂子ママは受け入れてくれた。


後から加わったキリさんとともに皆でお宅にお邪魔して、ご本人が眠る枕元に座ると、ほのかな微笑みを浮かべるTGさんを

拝顔できた。何ということだ、まだ古稀にも届かないというのに!!...病気の肺ガンの進行があまりに急だった、とのこと。弔い

にTGさんが何時も皆と楽しんでいた曲を演奏してもいいか、と申し出ると、彼女と実姉が是非と言ってくれたので、しばらくは

見送りの音奏(音葬)となった。ウッチーと私はギターを弾き、サイトウさんはトランペット(ミュートで)を吹き、ミニ・セッションと

なった。途中でTGさんが好んでレキント・ギターを弾いた曲『夏の日の思い出』を私が弾き語りした。歌いながら涙が溢れる

のをこらえられなかった。その様にして、お通夜・告別式前の葬送の宴を、音楽仲間たちでしめやかに行うことが出来た。

春は、息吹きの時であると同時に、季節の変わり目で体調を崩したり、長い冬の寒さから解放される身体のゆるみとともに

死期を迎えられる方も多いのだ。今まさに花の時期を迎えんとする時に、親しかった音友を見送らねばならないのも人生の

常か! 仕事柄、沢山の方達の晩年と死期を見てはいるが、殊の外辛く心傷む別れであった。
 


 
在りし日のTGさん、愛用のギターとともに。合掌...

 

小振りの春スイセン、周りと中心の花弁の黄色が鮮やかで春らしい。

古稀が来る前に(その4):大学クラスメイトとの(幻の)お花見会

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新宿御苑の枝垂れ桜、満開の見事な咲きっ振りを見られるはずだったのだが...その代わり、咲いたのは
沢山の話の花だった。 Photo by TAKA(2009/3/24撮影)


春は色々なことが起こる。長く寒い冬から暖かい春への季節の変わり目であり、旅立ちの時・別れの時、また出発の時でも

ある。そして花の季節、大学クラスメイトとの久し振りの集いは、新宿御苑にお弁当と飲み物を持ち寄って、満開の枝垂れ桜

と、咲き始めたソメイヨシノを見ながらのお花見会を予定したいた(そのはずだった!)。当日お昼前に千駄ヶ谷駅に集合したが、

私が着いた時にはもうNKさんとOTさんが待っていて、近くにお住いのODさんとカナダから里帰りしたSHさんもすぐに来ら

れた。仕事のため少し遅れるというSKさんと後で合流することにして、歩いて新宿御苑の千駄ヶ谷口に行ってみると、なんと!!

入口が閉っていたのだ。定休日は月曜日のはずなのに!? 昨日が祝日開苑していたので、振替のお休みだったのだ。幹事の私は

゛ドヒャ~゛とびっくりするやら、冷や汗をかくやら、面目がなかったが、NKさんが「こういうことは、よくあるのよ!」

と言ってくれ、地元に詳しいODさんが、「じゃ、いいところがあるから、近くの明治神宮の芝生に行きましょう。」と助け舟

出し、場所を案内してくれたので事なきを得た。私としては、久し振りのドジを踏んでしまったのだが、冒頭の枝垂れ桜

写真は、その日(3/22)見られるはずだった幻の桜風景だ。


その日の前夜は、音友TGさんのお通夜だった。地元喜多見の慶元寺に音友たちも集まり、あまりに早かった彼の逝去を

弔った。焼香後の御斎で、親戚縁者に混じって弔い酒を交わしていたメンバーたちも、いまだ彼の死を信じられない方

も多く、祭壇に飾られた在りし日のTGさんの遺影が、どようかいの折何時もの席で歌と演奏を楽しんでいる写真だった

のを話題にした。「よほど楽しかったんだろうね...」、「タバコはヘビー・スモーカーだったね...」など。供養しきれ

ない面々は、弔い歌でカラオケに行こう! と時折行ったことのある狛江駅前のお店に繰り出して、深夜まで散々歌いまくった

のだった。次の朝、私は土釜でご飯(黒米入り)を炊いておにぎりを作り、菜の花の辛し和えと残っていた材料で鶏肉の

スペアリブ・ビール実山椒煮を作ってお弁当の惣菜にした。飲み物は焼酎の水割りをペットボトルに入れて持参した。



明治神宮の芝生広場で咲き始めたソメイヨシノ、暖かい陽射しにどんどん花が開く様を見ることが出来た。


カナダで暮らして20年なるというSHさんは、身内の法事を兼ねてしばらく日本に滞在する予定だということがわかり、

しばらくクラス会をしてないのでいい機会だと今回の集いが実現した。何時もは都心の頃合いの飲食店に集まって、と

いうことが多かったが、カナダでは桜が見られないというSHさんの話から今回の日本での花見会が実現した。ODさんが

良く散策するという芝生広場は、本殿北側の宝物殿と湧水池がある一角で、快晴の空からは暖かい春の陽射しが注ぎ、

池周りのサクラも、数本が開花していた。その一本のサクラの前に用意した敷物を広げ、各自で持参したお弁当と飲み物

をいただきながら会は始まった。後から合流したSKちゃんも一緒になって、お寿司・おにぎり・サンドウィッチ・幕の内

弁当・お菓子やケーキ(ODさん特製)も加わって、賑やかな昼食となった。昼食後に仕事の都合で事務所(千駄ヶ谷にある)

に戻るSKちゃんと、用事のため家に戻るODさんを見送って、残った4人で参宮橋駅前のカフェに陣取り、色々とおしゃべり

が続いた。話題が次から次へと飛び出し、話の花が沢山咲いたのだった。満開の枝垂れ桜は見られなかったが、ソメイ

ヨシノの咲き始めを見られたし、級友たちと話の花が一杯咲いたから゛まっいいか゛と皆で満足したのだった。




新宿御苑のHPに乗っていた枝垂れ桜の画像より


幾つかの話題の中から、うろ覚えのものも含めて記憶に残ったものを紹介する。家が近くでこの芝生広場に良く来られるOD

さんと、参宮橋の自宅から事務所までこの境内を抜けて通っているSKさんによれば、境内に鬱蒼と茂った原生林には、鷹が

生息していて子育てもしているそうな。100年前に設計されて現代の原生林の姿になったのは、当時の植物学者達の慧眼

によるものであることを、私もNHKTVの特集で見たことがある。明治神宮外苑の菖蒲田とともに、都心にこの様な大自然が

残っているのは凄いね、と皆で頷き合い、お店でなくてこういうオープン・エアのお昼会もいいね、と賛同があった。また、

このブログでも紹介したスイス在住のKTくん(古稀が来る前に<その2>詩集紫陽花同人会2016・後編に掲載)の話も出て、

SHさん達3人で大学時代にヨーロッパ旅行中レマン湖へ行ったら、カラン・コロン木靴の音を響かせてながら歩いていた

KTくんと、バッタリ逢ってしまいびっくりした話をしてくれた。10年ほど前に、ガンと闘いながら早逝したYDさんは、ずっと

ローザンヌ・国際バレエ・コンクールの仕事を熱心にやっていたよね...。今回来られないと連絡をくれたTBさんは、闘病中

なのよ...など、懐かしい旧友の話も出た。


OTさんは大学時代、SHさんと仲良しだったので、女子の友達と連絡を取って今回の花見会に誘ってくれたのだが、SHさん

はカナダ(モントリオール)で、日本文化センタ―での仕事(ボランティアと言われていたが)をしていることもあり、

現地の日本人の方達のお世話や、図書館に寄贈される本にも詳しく、我々よりよっぽど沢山の日本語書籍を読んでいる

のにはビックリ。内田樹(うちだたつる:日本の哲学研究者)の本がとても面白いと紹介してくれたし、NHKの時代劇でも

放映された佐伯泰英の『居眠り磐音』のシリーズや、宮部みゆきの『ぼんくら』(原作は『日暮し』)などの話も出て

大いに盛り上がった。NUさんも時代小説には詳しくて、澤田ふじ子・葉室凛・藤沢周平などの話題がひとしきりだった。

そして、「日本の安全保障はいったいどうなっているのか!」(全員)、「私の息子は毎年違う彼女を紹介してくれるが、

いまだ結婚するつもりもないのだ! やれやれ...」(SHさん)、「私達団塊の世代は競争も厳しいから、老後なんて誰も

面倒見てくれないかもね~!」(NKさん)、「私は今俳句の会をしているのだけれど、皆様もおやりになりませんか?

(SKちゃん)、「フランス語をやったことで、今やっているボサノヴァのポルトガル語が、同じラテン系の文脈で

助かっているよ。」(TAKA)、「同じクラスのBBくん(大使館の仕事をしていた)とカナダで会ったことがあるけれど、

お互い初めまして、と挨拶してしまった。太っていたので全く別人で解らなかった!(笑)」(SHさん)等々...話は尽き

なかったが、夕方の時間にお開きにした。楽しいおしゃべりタイムだった。


今回、男子級友にも声掛けしたが、仕事や自治会の都合・友人の墓参りなどで参加がなく(皆頼り甲斐がないんだから!!)

黒1点の私が女子会に紛れ込んでしまった様子となった。皆さんの会話に何とか付いて行って、色々お話しできたのは

楽しかった。枝垂れ桜の満開には遭遇できなかったが、懐かしい友たちと゛話の花゛を大いに咲かせることができて、大い

に嬉しかった。年柄、親の介護のことや孫の世話、自身の病気など愚痴めいた話題はほとんどなく、次から次へと話題が出た

のは、さながら四谷のキャンパス内のカフェテリアで午後のおしゃべりをした様な爽快な気持ちだった。また同じことを

言ってしまうが、同じ時代の同じ場所で共に時間を過ごした友たちというものは、まことに得難いものなのだ、ということを

つくづくと感じたのだった。会後のメール交換でも、皆さんが今回の企画を楽しんでくれたことが解り、「また集まりましょう」

と言ってもらえたことが何よりのことだった。やはり、健康でお互いの連絡がスムースにできることが肝要だと思う。

『古稀が来る前に・その4』の集いを無事終えたことで、私は心置きなく古稀とその次の70代に進んでいける気持ちに

なっている。皆さんに大いに元気をもらいました。ほんとにありがとう!


【付記】 今回の花見会の画像は、私が撮影するとブログに載せるでしょう! との心配から、見目麗しき女性たちからNGを

出されてしまいました。従って咲き始めのサクラをバックにした皆様の元気なお顔は、想像していただくしか手がありません。

悪しからずご了承ください。(トホホッ)


<『古稀が来る前に』(その1~その4)完結>

久し振りのOBT会は、大盛り上がりだった!

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OBT会に集まった面々、遅くにリカさんも合流して9人の歌会は、夕方5時から始まって深夜まで続いた。左より、
NOさん(Gt)・OBTさん・サイトウさん(Tr)・TAKA(Gt)・MIさん(Pf)・ウッチー(Pf/Gt)・イズミちゃん(Gt)・茂子さん。
 Photo by No and KM


週末の土曜日(3/26)に、狛江駅近くのOBTさん宅に集まり歌会をした。しばらくぶりの集まりだったが、恒例の椿珈琲店での

どようかいがお休み(マスター逝去のため)していることもあり、行き場を失くした音楽フリークたちがどっと繰り出してきたため、

さしもの広いリビングも満杯となった。OBTさんは、薬品関係のお仕事を続けておられるのだが、生来の音楽好きが高じて

ピアノを購入し、部屋には高性能の音響装置を配し、リビング全体を防音工事してしまった、というおタク振り。時々音樂好き

達に声をかけ、食べ物・飲み物付きの歌会を主催しておられるのだ。常連さんの集まりに私も時折入れていただくが、今回は

どようかいのメンバー4人がまとめて加わり、OBTさんのいとこのMIさん(Pfがお上手)が来るわ、常連のNOさん(プロカメラ

マン)が本格的なDVD機材を持ち込むわ、お店を休んでいる茂子さんまで加わったので、とても賑やかな歌会となった。



後半に合流したリカさんは、ウッチー・サイトウ・TAKAのセッションに加わり、『All of Me』を熱唱 !


会は夕刻5時からゆるゆると始まり、OBTさんが用意してくれた惣菜(ブルーチーズ・サーモンのマリネ・蒸しシュウマイ・

マカロニサラダ等)とお酒(ビール・ワイン・ウィスキー等)をいただきながら、各自のレパートリー曲を歌い演奏した。セッション

スタイルで、ジャズ・ナンバーも一緒にやってみた。当日私は、手製のコード入り歌集(2冊各50曲収録)を2セット持参した。

これを見ながら好みの曲を歌ってもらい、それぞれ伴奏や間奏を入れながら一曲を楽しむスタイルだった。ミュージカルの

舞台げいこを終えて駆けつけたサイトウさんも途中から加わり、9時過ぎて合流したリカさん(ジャズ・ヴォーカリスト)も入って

大いに歌いまくったのだった。当日の歌い・演奏した曲は以下の通り。(誰が歌ったかうろ覚え!?)

サイトウさん:『I remember Clifford』・『Misty』・『Fly Me To The Moon』・『倖せはここに』・『哀愁の街に霧が降る』

TAKA:『All of Me』・『Moon River』・『酒とバラの日々』・『Antonico』・『あの日に帰りたい』・『コーヒールンバ』・

『あずさ2号』・『モンローウォーク』 イズミちゃん:『ケ・サラ』・『Autumn Leaves』(唄)・『プカ・プカ・プカ』

MIさん:『Autumn Leaves』・『アントニオの歌』・『Sweet Memories』・『五番街のマリー』・『誰もいない海』

ウッチー:『スローなブギにしてくれ』・『グッナイト・ベイビー』・『雪が降る』・『リバーサイド・ホテル』・『黄昏のビギン』
 
・『別れのサンバ』   茂子さん:『京都から博多まで』・『遠くへ行きたい』 NOさん:『サーカスの歌』・『哀愁列車』...

いやはや、良く唄ったもんだ! (唄のないインスト曲もあり)



サイトウさん(Tr)とNOさん(Gt)のコラボ、懐かしの歌謡曲『サーカスの歌』を合奏。


歌ったりGtを弾いたりすることは結構エネルギーを使うので、熱くて汗をかく位だった(人が集まり過ぎて熱気が出たから?)。

概ねDVD撮影を終えたNOさんも終盤から加わり、サイトウさんと二人で意気投合し、三橋美智也や春日八郎の歌も飛び

出し、宴は夜半まで続いた。10時過ぎにウッチーが終電を気にしながら退出し、家が遠いMIさんも帰られるというので、

私も帰らせてもらったが、何時まで続いたのやら!? 帰り際に椿珈琲店の茂子さんが、「4月第2週からお店を再開します

ので、よろしく!」と挨拶をくれた。マスターが早逝されたけれど、何時までも店を閉めているわけにいかないからね。
 
おおいに歓迎ですよ。また楽しくやりましょう、と話してOBT宅を後にした。ちょっとGtの弾き過ぎ・唄い過ぎで疲れた
 
けれど、とても楽しい歌会だった。参加されたメンバーたちも、きっと同じ思いだったに違いないと思う。




イズミちゃん(Gt)の弾き語りは、ホセ・フェリシアーノの『ケ・サラ』、皆でサビの部分を合唱。


皇居乾通りの桜・一般公開を見てきました。

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皇居乾通りのコヒガンサクラ(左・満開)とエドヒガン(5分咲)、サクラ見物の人々の流れが乾門まで続いていた。
All Photo by TAKA


暦は早くも3月弥生から4月卯月に変わった。季節の巡りを最近とみに早く感じる。3月は卒業と入学、新入社などのイベント

が多いこともあるが、私的にも『古稀が来る前に』の集いと催し(高校マンドリン班の集いや大学クラスメイトとの花見会など)

が続いたこともあり、月日は足早に過ぎてしまった。そして、サクラの季節、このブログを見て頂いている方達にもそれぞれ

お好みのサクラ・スポットや、思い出深いサクラ・シーンがお在りだと思うが、今年はちょっと趣きの違ったサクラを見て
 
みようと思い、絵友HIさんの誘いに乗って皇居まで出かけてみた。例年の公開申し込み希望者(定員で締め切り)のみが今年は
 
一般公開になったことで、希望者は全てが見物可能となった。




枝垂れサクラも5分咲きの開花、好天の青空をバックに薄紅色の花を垂らしていた。


当日は好天に恵まれ、気温も日中は20度近くまで上がったので、まことに春の良い日和だった。東京メトロの二重橋前で降り

ると、すでに係員が駅ホームから皇居方面への案内をしていた。地上に出てぞろぞろと人の流れに着いて行くと、入場の

坂下門の前には、人々の列が続いていた。整理の警察官(皇宮警察など)や係員も大勢、警察車両も沢山、広い皇居前広場

は順番待ちの人であふれていた。「平日の昼間だというのに、ヒマな人が多いねぇ~!」(自分たちのことは棚に上げて?)

などと話ながら約1時間程待っていたら、ようやく人の列が動き始めた。そのまま進むと、その先には手荷物検査と身体

チェックが待っていた。厳重な警備態勢が敷かれていたのをようやく抜けて、坂下門から皇居内に入れた。




乾通り東側の道灌掘りの眺め、皇居内とは思えない原生林の趣を残している。


一般公開のエリアは、坂下門から入り、宮内庁丁舎→西詰門(東御苑への入口)→乾門の出口までの約500mの道筋だ。

通りの両側に植えられているサクラはソメイヨシノが多く、咲始めか蕾がほとんどだったが、暖かい陽気に誘われて開花が

一気に進んでいると見られた。メインスポットのコヒガンサクラとエドヒガンの前には、多くの人たちがたむろしていたが、
 
満開のサクラ花は見応えがあった。長時間佇んだりすることは厳禁、ましてや食べ物を頬ばることもなし、゛ここはいと
 
やんごとなきお方゛のお住まいなので、公園や遊園地の様にはいかないのであ~る! ご厚意で覗かせてもらっているのだ。
 
それにしても広大な敷地と江戸時代の雰囲気を残す自然の景観は見事だった。



道灌掘り北側のヤマブキ群生スポット。伸びやかな枝振りと黄色の花々がきれいだった。


大勢の見物客たちと一緒に乾門を出てから、直ぐ近くの千鳥ヶ淵を覗いてみよう、ということになった。北の丸公園をお掘

縁の遊歩道を歩きながら、上からお堀を覗いてみると、ソメイヨシノは開花が進んで薄紅色の花と枝がお堀の水面まで垂れ

下がっていた。満開のちょっと手前だったが、久し振りに見る千鳥ヶ淵のサクラは、お堀に浮かぶボートで遊ぶ人たちと

一緒に見ていると如何にも゛春爛漫゛の景色だった。お昼時を過ぎていたので、靖国神社前の台湾料理店で、生ビール・餃子

・卵と木クラゲの炒め・焼きそばの昼食としたが、2時間近く歩いてサクラを堪能した後冷えたビールは殊の外おいしかった。

都心に来て(しかも皇居の)サクラ見物するなど滅多にないし、雑踏や人混みには最近無縁なのだが、一般公開の折に皇居

内の景観を楽しめたのは、なかなかいい機会だった。以下、当日(3月29日)の千鳥ヶ淵のサクラ画像3態を載せておきます。




田安門の橋の上から見た千鳥ヶ淵の景色①、ボートの上から振り仰いでみたら、また違った景色が眺められそう。




田安門から靖国神社への遊歩道から見た千鳥ヶ淵の景色②、サクラが見事だった。




靖国神社前の遊歩道から見た千鳥ヶ淵の景色③、サクラは咲始めだったが、丸の内のビル群をバックにした眺めは秀逸。



<付録>
家の前のサクラも満開です。3Fのドアを開けると、真ん前にサクラの花が拡がっています。




フィギュアスケート世界選手権2016より(その1)

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女子シングル表彰台は、エフゲニア・メドベージェワ(金・ロ)、アシュリー・ワグナー(銀・米)、アンナ・ポゴリラヤ(銅・ロ)の3選手
だった。6位までの入賞者も、ロシア3選手・アメリカ2選手・日本1選手と、圧倒的にロシア勢が強かった。
All Photo by Zimbio


アメリカ・ボストンで開催された今年のフィギュアスケート世界選手権(2016.3/28~4/3)は、今シーズンのフィナーレを飾る

に相応しい見応えのある大会となった。特に女子シングルの戦いは、ハイレベルの競技が繰り広げられ、上位選手はほぼ

ノーミスというスリリングな結果となった。SP(ショート・プログラム)の上位6選手は全員70点台の成績だったし、フリー・

スケーティング(FS)でも、同じ6選手が138点以上(グレイシー・ゴールドは134点)、合計得点でもその6選手が210点以上

(E.ラジオノワは209点)という、まことに素晴らしい競技を楽しめた大会だった。




金メダルを獲得してウィニング・ラン(ウィニング・スケート?)で観客に応えるE.メドベージェワ(ロ・17歳)


優勝したメドベージェワの演技は、とても安定していた。SPもFSもジャンプはノーミス、ステップもスピンも演技にメリハリが

あり、『白鳥の調べ』(SP)・『ヴォリスとエドワード』(FS)のテーマ曲(共に映画音楽)の世界観をよく表現していた。やはり、

何といっても彼女のジャンプは、フィギュア新時代を象徴するような゛手挙げジャンプ゛がほとんどだった。「出来るだけ多くの

ジャンプを、できるだけ完成度高く飛ぶ」ことに採点の重視が置かれた得点ルールの中では、難度の高いジャンプ(手挙げ

やコンビネーション)を成功させることは高得点に繋がるということを、コーチとともに作戦を立てて競技に臨んでいることが

解るのだ。フィギュアスケートのジャンプは、6種類あって(アクセル/A・ルッツ/R・ループ/L・サルコウ/S・トゥループ/T
 
・フリップ/F)、それぞれ、1/2回転多く廻るか、前向きか後ろ向きかで踏み切るか、右・左足の外エッヂか内エッヂかで踏み
 
切るか、右か左足の先端をついて踏み切るか等で分れるのだが、私自身もTV中継で見ていても即時に判断できない場合が
 
多い。しかし、メドべージェワの場合、6種類全てのジャンプを3回転+3回転(+1 or 2回転、ルッツのみ単独)のコンビネー
 
ションで飛んでいた! しかも完璧に! 恐るべき17歳だ。これでは、3A(トリプルアクセル)を一本勝負に 10年を超えるシニア
 
戦を以前の採点基準で争ってきた浅田真央(日・7位25歳)も敵わないだろう。日本期待の宮原知子(5位)にしても、滑走技術
 
完成度は高まっているが、まだ3Aは飛べてないし、3+3回転のジャンプは組み込まれていないのだ(3回転+2回転のみ)。

まったく女子のフィギュアスケートも「異次元の世界」(羽生結弦の演技を評しての)になっちまったのだ! ジュニア時代から

の高難度演技に挑戦する選手の多くは、故障を抱えているか、あるいは故障のため選手生命を絶たれてしまうか、身体に

負担の多い高難度ジャンプはリスクも大きいのだけれど、メドベージェワが故障もなく選手生活を送れれば、これからも

大いに活躍するだろう。日本のアニメが好きな彼女が、勝利インタビューの折にセーラームーンの歌詞を日本語で唱って

いたのがとても印象的だった。



SPのノーミス演技を終えて、会心の出来具合をリングに座り込んで喜ぶアシュリー・ワグナー(米・24歳)


大事な局面でジャンプミスが出て、なかなか表彰台に上れなかったワグナーが、今回はやってくれました。スピンやステップ

も良かったが、ジャンプは3A以外のジャンプをすべてきれいに決めた。とくに、3F+3Tと3R+3Tの3回転コンビネーション

の出来が抜群だった。私はこの゛左回りジャンパー゛が好きで、スピードに乗ったキレのいい演技を好ましく思ってきた。全身

バネの様な体躯と、表情や身体から醸し出す表現力も巧みで、『Hip Hop Chin Chin』(SP)と『ムーラン・ルージュ』(FS)

のテーマ曲に乗ったきびきびとした演技は、観客を大いに魅了したのだった。世代が若返り、気がつけばシニア戦10年

以上のベテランは浅田真央と彼女の二人だけ。でも、ようやく大きなメダルを獲得したのだから、これからも氷上でもう一花

咲かせてほしい。


FSの演技を終えて喜びを爆発させるアンナ・ポゴリラヤ(ロ・17歳)、ジャンプの安定度が増して好成績につながった。


GPS(グランプリ・シリーズ)の低迷から、誰がポゴリラヤの表彰台を予想しただろうか? かく言う私もノーマークだった。やはり

ジャンプの成功が大きいと思う。今まで長身(167㎝)を生かし切れず、飛びあがった後着地で転倒するシーンが多かったの

だが、今シーズンの最後はそれがなかった。彼女も3A以外の全てのジャンプを成功させた。そうなると長身のダイナミックな

体躯は生きてくる。実際のところ『シェヘラザード』(バレエ音楽より・FS)の東洋的衣装と振り付けに乗った演技は迫力があった。

スピードに乗っていたし、全身を大きく見せていた。彼女としては今シーズン一番の会心の出来だったと思う。最後の舞台で

それをできた事が、大きな喜びになったのだと思う。



SPノーミスの高得点を生かせず、FSのジャンプ・ミスでメダルを逃したグレイシー・ゴールド(4位/米・20歳)


ほぼノーミスの演技ながらジャンプの切れが今一つでメダルに届かなかったエレーナ・ラジオノワ(6位/ロ・17歳)


ハイレベルの戦いの中でやや緊張気味だった宮原知子(5位/日・18歳)、さらなる成長を期待したい。


女子フィギュアスケートの世界はまことに盛衰が激しい。特にロシア選手では、2年前のソチオリンピック・金メダリストの

アデリナ・ソトニコワは、1年休養の後今シーズンは低迷しているし、同じソチで活躍したユリア・リプニツカヤもここ2シー

ズンぱっとしない。昨年の世界選手権を制したエリザベータ・トゥクタミシェワも、昨シーズンの活躍がウソのように沈んで

しまった。私は彼女のバネのある体躯から繰り出す妖艶な演技のファンなのだが、また来シーズンの復活を期待したい。

こうした浮き沈みは、ハイレベルな演技が身体への負担や故障を加速させている面もあるが、一方で競技選手が増えた

ことで、ジュニア時代からの競争が激しくなっている面もあるだろう。その中で、今回6位に入賞したエレーナ・ラジオノワ

は、身長が10㎝以上伸びつつも第一線で活躍しているし、今回SPで1位に着けながらFSは硬くなったのかジャンプ

のミスで表彰台を逃したグレイシー・ゴールド(4位)は、来シーズン挽回を期してくるだろうし、日本の宮原知子(5位)も、

ジャンプの種類を増やしコンビネーションにも挑戦してくるだろう。来シーズンのフィギュアスケートが、技術面でも表現

面でも、さらに高度で質の良い競技となるのを期待したいと思う。

<この項つづく>


フィギュアスケート世界選手権2016より(その2)

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男子シングルの表彰台は、ハビエル・フェルナンデス(金/スペ・23歳)、羽生結弦(銀/日・20歳)、金博洋
(ボーヤン・ジン、銅/中・17歳)の3選手だった。 All Photo by Zimbio


今年のフィギュアスケート世界選手権・男子シングルの競技結果は、順当だったと思う。どちらが優勝してもおかしくない二人

は、フェルナンデスの安定性が光った。羽生結弦は、調子のピークをGPS・ファイナル戦に持っていったため、一年の王者

を決める戦いで、体調が万全でなく(左足甲の故障?)また、SPの高得点で優勝を意識して硬くなったか緊張気味で身体が

良く動かなかった。その中で、ボーヤン・ンの健闘とミエル・コリヤダ(4位/ロ・21歳)の急成長ぶりが光った。



フランク・シナトラのジャズヴォーカルに乗って滑るフェルナンデスは、粋な男を演じきった。


試合後の選手インタビューで、羽生結弦が同じコーチ(ブライアン・オーサー)の元でトレーニングするフェルナンデス(ライ

バルでもある)を評して゛柔(やわらか)゛と言っていたのが印象的だったが、SPのテーマ曲は『ラ・マラゲーニヤ』、FSは

『野郎どもと女たち』、ともに彼のスケーティングの滑らかさが秀逸だった。とくにFSでは、ジャズのスゥイングに乗って、

軽やかにステップを踏みながら、全てのジャンプをノーミスで成功させた。その中でも、4回転サルコーと3回転トゥ―

ループのコンビネーションは、中継するイギリスTV局の解説者に「羽根の様だ!」と言わしめるほどふわりと舞った。自己

ベストを更新して、FS216.41/合計314.93という得点も素晴らしかったが、世界選手権2連覇という偉業は、近年では

エフゲニー・プルシェンコ(ロ・3回)、パトリック・チャン(カ・3回)に迫る記録なので、どこまで彼の時代が続くかは見物だ。



試合後のKiss and Cryで、コーチのB.オーサーと話なが悔しさをむき出しにする羽生結弦


昨年12月のGPSファイナル戦(スペイン・バルセロナ)で、合計得点330.43という途轍もない記録を打ち出した羽生にとって

今回SP1位の結果は、再び『異次元の世界』に挑むステップかと誰もが期待を抱いただろう。しかし、運命の女神は微笑

まなかった。フェルナンデスも、足に故障を抱えながらの競技だったが、羽生にとっても4回転ジャンプや、それを入れたコン

ビネーションを多用することで、軸足への負担が増していたのだと思う。フィギュア・スケーターにとって、高難度の技術に

挑戦し続けることは、さほどに身体への負担が厳しくなっているのだろう。それは体操競技など多くのスポーツに共通のこと

で、進化し続ける身体表現技術の際限は、当分止まないだろう。いやはやアスリートにとっても大変な時代になったものだ。

縮緬ジャコをたくさん食べて、骨強化に取り組まねばならないだろう(おバカを言っていますが...)! FSのテーマ曲『SEIMEI』
 
も、陰陽師という稀有な日本的な世界観に取り組んだことは評価できるが、身体表現が伴わなければその「絶対的イメージ」は
 
崩れてしまう。勝負にこだわることは大事だが、もっとリラックスして楽しい世界観にも挑んでみたらより軽やかに滑れるの
 
ではないかと私は思うのだが...しかし当分の間、ライバル同志の凌ぎあいが続くだろうから、また来シーズンの戦いを楽しみ
 
としたい。
 


3種類・4回の4回転ジャンプに挑戦したボーヤン・ジン、まだ粗削りだが表彰台に立ったのは立派のひとこと。


ペアダンスに強い中国から、今年は男子シングルで初めて表彰台に立ったのがボーヤン・ジン、宇野昌磨(7位/日・18歳)と

ジュニア時代から良きライバルとして戦ってきた選手だ。女子女王のメドベジェワもそうだが、新採点ルールで育ってきた

若手選手達は果敢に高難度のジャンプに挑戦する。それが高得点を得られる道だから。そして、ステップやスピンの表現力も

身に付けられれば鬼に金棒となる。彼の細い身体に、筋力がついて来ると、これからもトップを脅かす存在になる可能性

だ思う。


ノーマークでダークホースとなったミハイル・コリヤダ(4位/ロ・21歳)、ノーミスジャンプとスピンの素晴らしさで
入賞を果たした。



往年のチャンピオン・パトリックチャンも、ジャンプにミスが出て(カ・25歳)5位に沈んだ。




ベテランのアダムリッポン(米/6位・26歳)は健闘して入賞、FS『ビートルズ・ナンバー』は会場を沸かせた。


フィギュアスケートの楽しさは、滑走技術のもさることながらテーマ曲の世界観の表現という芸術性(あるいはエンターティ

メント性)にもある。そういう観点では、男子優勝のフェルナンデスの「ふてぶてしさ」というか「いい加減な兄ちゃん」の

雰囲気を醸し出した身体表現は光っていた。F.シナトラの唄と「ジゴロ風」な彼の仕草はぴったりだった。スケーティングは、

やはり滑る人のキャラクターも色濃くにじみ出てくる。往年のカロリーナ・コストナー(伊・2012世界選手権・金)の

『ボレロ』、荒川静香の(トリノオリンピック・金)の『トゥーランドット』、遅咲きだった小林明子(2012NHK杯・銀)の

『オー(シルク・ド・ソレイユのテーマ)』など、記憶にいつまでも鮮明に残っているパーフォマンスは、スケーティング技術

と芸術性が見事にハーモニーした瞬間だったと思う。ベテランの選手たち(浅田真央しかり、A.ワグナー・G.ゴールドしかり、

P.チヤンやH.フェルナンデスしかり)には、ぜひそういう「ハーモニー」を見せ続けて欲しいと願うものだ。



フィギュアスケート競技では、ペアダンスとペアの競技に有力な日本選手がいないため、報道やTV中継もシングル競技に

片寄ってしまうが、二人で息の合った表現やアクロバチックなダンスも魅力は大きい。如何せんそれを見られる機会が少ない

のは残念ではある。この記事もシングル競技だけになってしまうが、トップ選手たちの活躍を見てフィギュアスケート競技に

入って来る児童たちも増えているようだ。ジュニア選手の国際舞台での活躍も目立つようになっているので、これからもこの

競技を楽しんでいきたいと思う。音楽世界のテーマををバックボーンにした身体表現技術と芸術性の融合という点では、とても

楽しめるスポーツであることを感じながら、来シーズンの各選手の活躍を期待したい。


<この項終わり>

シルク・ドゥ・ソレイユ・『TOTEM』 東京公演を観た!

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『TOTEM』のテーマ・メインビシユアル、樹木・カメ・カエル人間・蝶・竹など、自然物のイメージを組み合わせたロゴで
表現されている。 All Photo by 「フジテレビ・ダイレクト」HPより。


ダイハツ工業・特別協賛の シルク・ドゥ・ソレイユ『TOTEM』を、お台場のビック・トップで観てきた(4月5日)。日本公演はフジ

テレビジョンが主催、企画はシルク・ドゥ・ソレイユ(フジ~も共同企画)だ。前回の公演(2014年4月25日に観た)『Ovo』以来

2年振りとなる。その時の感激は今でもよく覚えているが、このブログにも以下のように載せている...「各出演者(゛アーチスト゛

と呼んでいた!)の身体能力とパーフォマンスのレベルは高く、衣装の色やデザイン、芸の道具仕立てと舞台構成の素晴らしさ、

そして全編オリジナル曲を生演奏で聞かせてくれる音のハーモニーの心地よさと迫力。『かってないスケールと芸術性を

融合したアクロバットの数々』(パンフより)と謳われるのも納得できると言うものだった。」 演目の違いこそあれ今回も見ご

たえ十分、30分の休憩を挟んで、あっという間の2時間半だった。今回の公演の中から記憶に残るパーフォマンスを幾つか

ご紹介しよう。


『ロシアン・バー』:長さ5m×20㎝位の細長いばね板の上で、飛び跳ね・回転する゛宇宙遊泳人間゛の様なアクロバット。
3人が並行するバーの上で飛び交い位置替えするのにはビックリ。衣装もアポリジニ・アートのような、カラフルで不思議な
幾何学模様だった。迫力とスリル満点!



『ユニサイクル・ウイズ・ボール』:インドネシアの原住民のような衣装の女性たちが、高さ2mの一輪車を漕ぎながら、
金属のボール(お椀)を片足で投げ飛ばし、それを頭の上で受ける集団アクロバット。連続10枚というチョー難しい技だが、
ほとん落とさずに観客から大拍手!!!



オープニングで、ステージ中央にある巨大な亀の甲羅(地球上の生命の起源を象徴しているとのこと)で始まるカエル
達のパーフォマンス。平行棒で、2・3人同時に棒から棒へ飛び移り、宙を舞う姿は圧巻だった。




『フィックスト・トラビス・デュオ』:空中ブランコのアクロバット、恋人同士ような男女二人がつなぎ合い・絡まり合いながら、
極限の空中フォームを披露する。よくそれで落ちないね! と感心しながら観ていた。




『ローラースケート』:結婚式の白い衣装に身を包んだ男女2人によるアクロバット、直径1,8メートルの台の上で回転し
旋回する。特に、二人の身体を首輪でつないで、女性が自転しながら高速で回転するのは、深い信頼関係がなければ
不可能な技だと思った。手に汗握っちゃいました!



『TOTEM(トーテム)』というネーミングは、「太平洋岸の北米原住民族間で自分の部落の表象とする動物またはその他の

自然物;彼等はそれを自分らの先祖として神聖視する」(CROWN・英和辞典より)と辞典にある。私達には「TOTEM POLE」

(トーテムポール);トーテムの像を丸太に刻んで色彩を施したもので、悪魔よけとして家の前に建てる(同辞典)の名で馴染み

がある。モチーフとなって彫り込まれているのは、自然界の動物や鳥、湖や海・川に住む魚や動物、また先住民が伝承して

きた神話や伝承に登場する怪物や超能力的な存在等だ。シルク・ドゥ・ソレイユは現在、世界中の各都市で18の演目を同時

公演していると聞くが、この『TOTEM』も2010年の初演以来、アメリカ・ヨーロッパ・オセアニアなど7ヶ国33都市での公演を

続けている(400万人以上動員)。演出家のロベール・ルパージュが創りだした幻想的な世界観は、原始の世界あるいは

先住民たちが住んでいた豊かな自然や超自然的な霊物の存在を彷彿とさせるイメージに満ちている。「宇宙から舞い降りて、

地球に生命を与える」役の『クリスタルマン』(キンキラキンに光る衣装で天井からロープで降りて来る!)もそうだし、『フープ・

ダンサー』(インディアンの衣装に身を包んで、6個の輪投げを自在に操る)にしてもそうだ。



『クリスタルマン』は、ほとんど逆さづりになったままで天と地の間をロープで上下する。いやはや、頭にみんな血が
上って(いや、下がって)しまうのではないかと心配した。


それらのアーチストたちが次から次へと繰り広げるアクロバットの凄技は、ステージ中央奥に設けられた楕円形の板状ステ

ージに、プロジェクション・マッピングで映像(画像や動画)が写しだされ舞台のイメージが造られていく。そしてその中央が

可動式ステージとなって、ステージがせり出したりカーブして上方に畳まれたりして、アーチストたちが登場し退出していく。

最新のテクノロジーによる演出は迫力満点だった。舞台を見続ける私は、手に汗握り心臓はバクバク、上を見上げては

口をあんぐり開けたまんま...楽しかったけれど結構疲れた~! だった。ラテン・サウンドの音楽も良かったし、キャラクター

達(サンエンス・アーチスト、クラウン・フィッシャーマン、ヴァレンチーノ等)のコミカルな動きも楽しめた。

前回観た『オーヴォ』は、集団空中ブランコや巨大な壁(10m位)にトランポリンで跳ね上る集団芸など、スケールの大きな

アクロバットが多かったが、今回の『TOTEM』は、1人または2人の超絶的アクロバットが多く、曲芸の原点を見るような楽しさ

があった。世界各地で人気を得ているのも、そんな解りやすいアクロバットであることによるのだろうと感じた。私のシルク・ドゥ

・ソレイユ好きを知っていて、チケットを手配してくれたHIさんも、大いに楽しめた、と言ってくれた。会場の観客も老若男女

・家族連れ・孫連れ・カップルなど非常に広い客層だったことも、この公演の人気ぶりを見させてもらった。



『フィナーレ』で、空中釣りのクリスタルマンを中心に、歌い踊る出演者たち、もちろん音楽は陽気なラテン・サウンドだった。



再開なったどようかいは、おおいに弾けたのだった!

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再開なった『どようかい』に集まった面々、皆さんでまた一緒に音楽を楽しめることを喜び合った。
Photo by TAKA and Yatamari


マスターの急逝で約一ケ月お休みしていた椿珈琲店が再びお店を開き、どようかいも再開が成った(4月9日)。茂子ママも、

何時までも店を閉めたままではいられないと、昼間の喫茶を再開し夜は土曜日だけどようかいのために開くことを決めて、

準備の都合から予約制とした。連絡がメンバー達に届いたのでほっと一安心すると共に、当夜は12人の面々が駆けつけて

楽器を弾き・吹き鳴らし、歌い合っておおいに弾けたのだった。



左より、ウッチー(Gt/Pia)・TAKA(Gt/Per)・サイトウさん(Tr/Gt)、Yatamariさん撮影のiPhone斜めショットを
調整したら、ちょっと不思議な画像となった。



左より、キリさん(Pia/Gt)・タッキー(Gt)・ハジメちゃん(Uku)、ピアニカのチューブをマイク代わりにして、十八番の
『雪が降る』を熱唱。「♪ 小雪は来ない~ いくら呼んでも~♪ 」 同じくフォトYatamari


ここでの唄と演奏スタイルは、セッションとかオン・ステージとか格別決めてなく、各自の持ち歌をお店揃えの5冊の歌集の

中から選び、弾き語りや伴奏付きで歌っていく。イントロや間奏・エンディングをソロ楽器(トランペット・ピアニカ・ギターなど)

で入れ、オブリガードやパーカッション(マラカス・シェーカー・クラベス・カホンなど)も加わる。一つの歌曲をみんな参加で

それぞれ楽しみ、次から次へと曲が進むので、6時からスタートした歌会はあっという間に深夜に及び、気がつけば10時

を周っていて遠方から来ているメンバーは、タクシーを呼んでご帰還ということになる。どようかいは1ケ月以上お休みして

いたので、この夜はみんな弾けてしまった。うろ覚えの頭で、当夜唄った歌・演奏した曲を思い出してみるが...

●キリさん:『恋』(松山千春)、『どうぞこのまま』(丸山圭子)、『リバーサイド・ホテル』(井上陽水)

●サイトウさん:『Msty』(JAZZ)、『哀愁の街に霧が降る』(山田真二)、『別れの一本杉』(春日八郎)

●ハジメちゃん:『Stand by Me』(Am-POPS)ーマリさんと一緒、『雪が降る』(アダモ)、『白いブランコ』(ビリー・バンバン)

●茂子さん『Crying Time』(Am-POPS) ●タッキー:『天城越え』(石川さゆり)、『哀しみ本線日本海』(森昌子)

●ウッチー:『パイナップル・プリンセス』(田代みどり)、『夢の中へ』(斉藤由貴)、『あなただけを』(あおい輝彦)

●タカコさん:『朧月夜』(唱歌)、『静かな湖畔』(唱歌)ー4グループで輪唱、『夏は来ぬ』(唱歌)

●TAKA:『黄昏のビギン』(ちあきなおみ) ●ヒサコさん:『昭和枯れすすき』(さくらと一郎)―サイトウさんとデュエット 等々...



ハジメちゃん(Uku)とマリさん(Gt)の伴奏で『Stand by Me』を歌い踊るヒサコさんとキリさん、乗り乗りでした!



茂子さんも『Crying Time』(レイ・チャールズ)を熱唱、右端は飲みすぎでも乗っているダイスケ



サイトウさんとヒサコさんのデュエットは、昭和の名曲(迷曲?)『昭和枯れすすき』、この歌がないとどようかいは終わらない?!



キリさんのPia間奏を入れながら、歌うはタッキーの『天城越え』、ノリノリの演歌です!



タカコさん(元合唱団長)の指導とイズミちゃんの指揮で合唱するのは『静かな湖畔』、4グループに分かれて、追っかけ輪唱。
「俺は、静かな股間だぁ~!」と叫んでいた不届き者もいたが...やれやれ!



私はこの夜専ら伴奏に終始したが、時折シェーカーでリズムを刻んだりもした。フォトYatamari


どようかいは、ウッチーを中心にやってきているが、彼が遠方で家族の介護もあることから、私も補佐している。再開なった

どようかいではあるが、運営の仕方も少し新しさを出して行こうと思っているところだ。49日が明けてまた新しいステージ

に入ったら、例えばお店のレイアウトを変えて小ステージ・スペースを作ったり、ピアノを前に出してきたり、マスターが集めて

まだ使ってないアンプやマイクを活用したり...色々なアイデアは出ているが、まずは店主茂子さんのやりたいようにやったら

よいと私は思っている。定年後の楽しみにマスターと二人で開いた店なのだから、マスターがいなくなっても、集ってくる人々

と楽しい時間が過ごせるようにやっていかれたらよろしいのだと思う。なにせ、集めた楽器はギター(数本)・ELベース・トラン

ペット・サックス・ウクレレ・三味線・DGピアノ・鳴り物各種...とにかく、楽器を持参しなくて済むので、店置きの楽器を

使わせてもらえるのは大変助かる。昨今はギターを背負って移動するだけでも疲れるからね。我等、行き所のない淋しい

おじさん・おばさんたち? と最近加わってくれた若い世代の人たちとともに、一緒に音楽を楽しめるスペースで在り続けて

欲しいと誰もが願っているのに違いないのだ。

高尾のサクラ保存林では、珍しいサクラが沢山見られた。

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一山中に沢山の種類のサクラが植えられ保存されている多摩森林科学園・サクラ保存林、広大な敷地内を歩いて
見学できる遊歩道が巡らされていた。 All Photo by TAKA



京王線高尾駅から徒歩10分に位置する多摩森林科学園は、「国立研究開発法人・森林総合研究所」という厳めしい冠名が

つく施設だが、簡単に言えば、日本全国の桜を集めた「桜品種保存林」なのだ。その多くは、日本の主要のサクラの栽培品種

や天然記念物のクローン(挿し木や接ぎ木)であり、約500種(1,400本)が植えられている、と見学案内に載せられていた。

日本のサクラの代表品種「ソメイヨシノ」は、江戸末期に一本の原木からクローンが作られ、「染井吉野」と命名されてから

(明治33年/1900年)以降116年間にそのクローンを全国津々浦々にまで植樹して広げたという世界でも類がないサクラの

蔓延だが、そのおかげで個体の性質もそっくりなサクラの開花が、日本列島を北上するという゛サクラ前線゛なる言葉まで誕生

している。



『鬱金(ウコン)』:サトザクラの栽培品種(ヤマサクラ×オオシマサクラ)、明治時代の荒川土手で栽培されていた。
大輪・八重咲きで開花期は薄黄色を帯びた花色、満開から散る間際には赤みが強くなり、他の里桜との区別は
つかなくなる。名前は、淡い黄色の花色から、ショウガ科のウコン(ターメリック)に由来する。




満開時のウコン、淡黄色が飛んでしまう。


日本人の桜好きはソメイヨシノを代表格とするが、サクラには早咲き・四季咲き・枝垂れ・里サクラなど多くの品種がある。私

自身も、早咲の「寒桜」やソメイヨシノに先駆けて咲く「枝垂れサクラ」、そして全国各地に残る樹齢数百年~千数百年の古木

(その多くはエドヒガンかエドヒガン系の枝垂れサクラ)、あるいはソメイヨシノが散った後に花開く山桜・里桜(多くは八重系)を

楽しんできている。最近は、桜名所の混雑ぶりを敬遠して、人混みの中での桜見物は遠慮しているのだが、つい先日は皇居

の桜を見に出かけてしまった(ほとんど野次馬根性です!)。以前から、高尾のサクラ保存林のことは知っていたが、今回ふと

思い立って、健康オタクのYKさんを誘って出かけてみた。





『佐野の桐ケ谷』:京都の佐野造園(創業天保3年、代々御室御所に植木職人として仕え、明治期からは造園業を営む老舗)
が伝えるサトザクラ、一枝のなかに一重と八重が交り咲く、という。名前に諸説ありというが(鎌倉の桐ケ谷が発祥の地、とか、
天皇が御車を返してまで見たことから゛御車返し゛の別名゛あり、とか)、一重と八重の交り咲きは遠方からの眺めで判然としなかった。


佐野造園のHPを覗いてみたら、当主は代々桜守として著名な『佐野藤枝門』を継承し現在16代目(全国の桜守としての活動

は14代目から)、造園業の社名は「植藤造園」とある。自宅の広大な庭園に植樹している約200種のサクラを開花期に一般

開放しており、多くの種類が見学可能な知る人ぞ知るの桜名所なのだ。個人宅の善意で公開されているサクラなので、観光地

の様にはいかないが、機会があったら一度ぜひ訪れてみたいものだ。その佐野藤右衛門作出のサクラがここの保存林に何本

あり、珍しい枝垂れ桜も見ることができた。




満開の『佐野の八重紅枝垂れ』、やや濃い薄紅色の小振りな花がびっしりと付いて見栄えがあった。




可憐ながらも気品を漂わす花びらの連なり、やはり京都地で伝えられてきた高貴なDNAが感じられる。




山の坂道を登ったり、尾根道をぐるっと回ったりしながら、色々なサクラを見て廻ったが、種類の解説や出目なども詳細に案内板

に記されており、読んでみるのもなかなか面白かった。その中に、『牧野日本植物図鑑増補』に画工として植物画を提供して

いる「川崎哲也」氏の創りだしたサクラが数種あり、彼は桜研究家として書籍も何冊か残している(『日本の桜・増補改訂版』等)。

このことは、後から調べて分かったのだが、名前の『飴玉桜(アメダマサクラ)』には、ちょっとびっくりした。とても可愛らしいサクラ

なので、見て思わず微笑んでしまいそうな花姿だが、名前を知って「え~! 何このサクラ~!」と思わず言ってしまった。




川崎哲也氏発見の『飴玉桜』、神奈川県真鶴半島で見つけたとのこと。蕾の形がまん丸に近いののが命名の由来らしい。
マメサクラ×オオシマサクラの交雑種



『薄重大島(ウスガサネオオシマ)』、小振りな花弁だが半八重(5~10枚)の栽培品種、牧野富太郎により真鶴半島で
発見された。鋸歯状の花は、多くのオオシマサクラ品種と同様に、葉と同時に展開する。




多種植えられたサクラ樹の中には、台風の影響で倒れたり、害虫や病気で朽ちてしまった樹も少なからずあった。実生

(種から実を出して成長する、従がって個体のDNAは継承される)と違って、挿し木や接ぎ木による一代限りのサクラは、

本質的に脆弱性を持っているのかもしれない。日本各地のソメイヨシノが枯れる現象に対し「60年寿命説」も言われている

が、100年を超える寿命を生き続けているソメイヨシノの存在も伝えられている。桜守たちは、根の大切さを訴え、古木の

周辺を保護したり、また、古木のとなりに若い苗木を植樹してクローン・サクラの継承を促したりしているが、サクラを愛で

続けるためには、多くの人たちのそういった努力が欠かせないことを理解することが必要だと思う。私の住む建物の周りに

植えられている4本のサクラ(50年以上の古木)も、毎年素晴らしい花を開いて楽しませてくれるので、わざわざ桜(ソメイヨシノ)

見物出かけるのも最近は意欲が少々落ちたが、日本各地にはまだまだ沢山の種類のサクラがあるので、また来年のサクラ

の時期を楽しみにしたいと思う。すでに緑の葉が拡がり、新緑の季節に移りつつあるが、今回サクラ保存林を見られたのは

とてもいい機会だったと感じているのだ。




イロハモミジの新葉が拡がり、明るい陽射しを浴びて初夏の到来を告げていた。



ヤマブキの黄色花も、光り輝いていた。


<付記>この日は快晴に恵まれ、明るい陽射しは初夏を思わせる温かさがあったが、1時間半程の山歩きの後は、翌日身体も
 
軽く感じられ血行が良くなったように感じた。車での往復中、高尾駅周辺で2度(往きと帰りに)信号で長時間止められたこと
 
があった。サイレンを鳴らす警察車両と黒塗り高級車が何台か通過していったが、あれは近くの多摩御陵で、皇室関係の式典
 
があったのだろうと二人でうわさした。そのとばっちりで、高尾山口で美味しいお蕎麦を食べる気力も失せて帰途についたが、
 
町田街道脇にうどん屋を見つけて遅い昼食となった。「開都」という屋号だが、良く知っている「かいと」(足踏みの讃岐
 
うどん店)の姉妹店と分かり、腰のしっかりしたうどんを食べて大満足だった。人生苦あれば楽あり、思わぬ幸運も飛び込んで
 
くるものだ。
 

花菜ガーデンのクレマチスは見頃だった・その1

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『クレマチス・月宮殿』(パテンス系・日本)、咲き始めは薄緑がかった黄色だが、花が開くにつれて中心線も花弁(ガク片)も
白色を強くして行き、咲き終わりは花弁先端が丸くなり白一色となる。丁度蕾が次から次へと開花しており、咲き始めから
咲き終わりまで、色々な花姿を楽しめた。 All Photo by TAKA


平塚市の花菜(カナ)ガーデンで、クレマチスが咲き始めたのをHPで確認し、早速見に出かけた。昨年の秋に秋バラを見に

このガーデンに寄った時、沢山の種類を植えているクレマチスのコーナーを見て(その時は花の時期は終わっていたが)、

初夏のシーズンには見に来ようと楽しみにしていた。私のクレマチス好きは結構長いキャリアがあり、自宅のベランダでも

毎年鉢植えの薄紫花(原種のテッセン系)を咲かせているが、一昨年の初夏には静岡県長泉町の「クレマチス・ガーデン」

まで遠出して、沢山のクレマチスの花を楽しめたのは、とても思い出深い記憶として残っている(2014年6月5~7日・

『クレマチス・ガーデンで沢山のクレマチスを堪能した』他を参照されたい)。クレマチスを専門としたり、多くの種類の

生育状態を管理しているガーデンはとても少ないので、この花菜ガーデンは貴重な存在だと思う。そして、比較的新しい

庭園なので、品種も新しいものが多く、珍しさに魅かれて見て廻るのがとても面白いのだ。



『クレマチス・面白』(パテンス系・日本)、花弁の表側が白・裏側がピンク色の珍しい品種。咲き始めはとんがりの剣先弁だが、
広がると花弁先端は丸みを帯びる。繊細で優し気な花姿から、「次世代の名花になるだろう素晴らしい品種」と、苗販売会社の
サイトには紹介されていた(及川フラグリーン)。表の色が白なので『面白』なのか、表と裏の花色が違う『面白い』花なのか、
どちらも当たってはいると思うが...



『ミセス・チョムリー:Mrs.Cholmondeley』(ラギノーサ系)、ラベンダー・ブルーの花色が美しい早咲大輪。この日も蕾が
沢山開花して、鮮やかな花色がひと際目立っていた。


このガーデンのクレマチスは、ほとんどがフェンス仕立てで、90~180㎝幅のフェンスの下に2~3種の苗が育てられている。

花の開花期が種類によって早咲き・遅咲きがあるので、4月~10月まで花を楽しめると案内されているが、二度咲を含めて、

やはり初夏の5月・6月が花の盛期だろう。この時期は春バラの開花期とも重なるので、両方の花を一度に見ることも出来る

が、クレマチスをじっくり見ようと思ったら早いに越したことはないのだ。結局私は、花友HIさんを誘って4月の終わりに2週

続けてこの庭園を訪れることになったが、晴天に恵まれて初夏の明るい陽ざしの中で、多くの種類を見ることができたのは

とてもラッキーだった。



『ヴェスタプラッテ』(パテンス系)、ワインレッド色が鮮やかな早咲大輪ながら、花芯色もワインレッドなので、
艶と気品が漂う。ビロードがかった花弁の先が丸く、軽やかな印象を合わせ持っている。




『藤かおり』(テキセンシス・ヴィルオナ系/日本・小沢一薫氏作出)、ベル状の花を下向きに開く珍しい品種のクレマチス。
テキセンシス系はチューリップ型の花弁、ヴィルオナ系は壺やベル型の花弁が特徴の個性的な花型、この庭園には
故小沢一薫(かずしげ)氏(川崎市在)作出の新種のクレマチスが数種類栽培されている。彼はクレマチスの品種改良と、
挿し木によるクレマチス量産方法を確立した、と案内板に記されていた。




庭園の一角に、ヒナゲシとネモフィラが咲き揃っていた。オレンジとライト・ブルーのコントラストが軽やかで心地よかった。

<この項つづく>

花菜ガーデンのクレマチスは見頃だった・その2

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『ミス東京』(パテンス系)、やや紫がかったラベンダー色の大輪早咲き種、剣弁の花弁(実際はガク片)は大振りで見応えがある。
花芯の紫色と淡い筋色も、全体にバランスが良く気品を感じさせる。 All Photo by TAKA


花菜ガーデンのクレマチス・ゾーンは、庭園北側のバラ園に続く場所にあるが、フェンス仕立ての遊歩道を回遊できるように

設計されていて、全てのゾーンがバリア・フリーになっている。そのため車椅子の見学者もちらほらと見られた。歴史ある

植物園や庭園は階段や急坂があったり、路面もデコボコしていたりして、障害者や高齢者に必ずしも親切になっていない

ケースが多い。その点では、新しい庭園は設計の段階から時代のニーズに対応していることが特色であり、この庭園も駐車場

から施設・各見学スポットまで、丁寧に作られているのに好感が持てる。




『雪おこし』(原種・風車系・日本)、蕾と開き始めは淡いグリーン色だが、開くに従って白色が増していく八重咲き種。
複層した花弁の重なりがヴォリューム感を出していて見栄えがする。



『クリムソン・キング』(ラヌギノーサ系)、咲き始めの花弁がふわふわと波立っているようなしわのある早咲大輪種。
濃い赤紫色の花弁には、ビロードのような艶がある





『ブルーライト』(ラヌギノーサ系・オランダ原産)、爽やかなスカイブルーの花色と花弁先のクリーム色が美しい早咲き大輪種。
この状態は一重の花弁に見えるが、咲き進むと中心の花が拡がり、二層からボリュームのある八重咲き/万重咲きと変化し、
長期間花姿が楽しめるという。前出(その1)の『ミセス・チョムリー』の変種。




『柿生(かきお)』(パテンス系・日本/小沢一薫作出)、先端が鮮やかな濃ピンク色・中心が白っぽくぼける大輪早咲種。
欧米では『Pink Champagne(ピンクのシャンパン)』と呼ばれているそうな。



クレマチス・ゾーンの案内板から「小沢一薫」氏のことを知り、少し調べてみた。詳しいことは良くわからないのだが、川崎市の

麻生区に在住し(農林省への品種登録がこの住所になっていて、ここの自家農場で育成された、とある)、クレマチスの品種

育成とその栽培技術に長年取り組まれた方のようだ。現在の日本のクレマチス第一人者と言われる金子明人氏(NHK・趣味の

園芸講師や静岡県長泉町の「クレマチスガーデン」の監修者として著名)や、クレマチス・ナーサリー「及川フラグリーン」の

主催者・及川洋磨氏等が師事した、日本のクレマチス研究と育成のパイオニア的存在とされている。長年の間、クレマチスは

接ぎ木によって増殖されていたが、小沢氏が挿し木による効率的な栽培方法を確立した(昭和30年代)ことにより、クレマチス

の品種改良と新種作出が飛躍的に進んだ、とのこと。その研究成果として彼が作出した品種には、自分の住んでいた近辺の

地名をもとに名前を付けたものが多く、『柿生(カキオ)』・『這沢(ハイザワ)』・『篭口(ロウグチ)』・『入生(イリウ)』・
 
『都築(ツヅキ)』・『踊場(オドリバ)』などの品種が、現在も日本だけでなく欧米でも育成・販売されているというではないか。
 
その小沢氏(2003年12月没)が作出したクレマチスに命名した地名の由来については、ブログの面白い記事があったので以下
 
紹介しておきます。興味ある方は覗いてみて下さい。「Souvenirs de la saison」(ブログ名)・『小沢一薫のクレマチス』
 
(タイトル)です。

http://ameblo.jp/souvenir-saison/entry-12032586795.html




12年前(2004年6月)に初めて訪れたクレマチスガーデンで見た『這沢』(ハイザワ・テキセンシス系・小沢一薫作出)の
不思議な形は今でも鮮明な印象で私の中に残っている。今回の花菜ガーデン訪問で、長年の疑問(どうしてこんな
風変わりなクレマチスがあるのか?という)が解けて、作出者の姿がおぼろげに分かったのは収穫だった。



つい先月、高尾のサクラ保存林で、江戸時代から16代続く「桜守・佐野藤右衛門」のことを知った。今回はこのガーデンで、

クレマチスの育成に情熱を注いだ「小沢一薫」を知った。そう言えば私の好きな素麺は、300年続く島原(長崎県島原市)の

「鬼塚林之助・寒製」だし、漬け汁にかける七味は長野市善光寺門前の老舗「根元・八幡屋磯五郎」謹製だし。何の脈絡も

無いように思われるかもしれないが、私自身の中には日本の伝統に脈々と受け継がれている「職人魂」(プロフェッショナルと

言ってもいい)、あるいは「ビルトォーゾ」(イタリア語の゛達人゛)に魅惑され限りない興味を抱かされる精神的傾向が
 
あるのかもしれない。まあ、言ってみればある種の「野次馬精神」であり、「知的興味」かもしれないが、それが意外と行動の
 
起点となっているように思うのだ。



庭園の一角で見つけたリンゴの花・『シナノゴールド』、白と淡いピンクの花色が、懐かしい信州のリンゴ畑の
春景色を思い出させてくれた。




HIさん宅のお庭で見事に咲いた『天塩』(パテンス系)、薄紫の八重花がたくさん花開いた。


<この項終わり>

第25回浜美展を見て

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『Saturday night(椿)』(油彩F25・HIさん作):土曜日の夜にとあるお店に集まって音楽を楽しむ人たちを描いた佳作、
中央で歌詞コピー片手に歌うはこの店の主人SHさん。 All Photo by TAKA


「アートフォーラムあざみ野」(東急田園都市線あざみ野駅近く)で、「第25回浜美展」が開かれているとの案内をいただき、

出かけてみた(5月16日)。毎年この時期に開かれるグループ展を目指して、今年も会員36人の145作品が出品されていた。

広い会場には、会員一人当たり2~数点の作品が展示されていて、油彩・水彩・パステルなどの技法で描かれた作品はサイズも

F4~F100までと様々(さすがにF100の大作は少なかったが)、色々な個性の絵画を見られて面白かった。

HIさんの描いた人物画『Saturday night(椿)』は、私の地元(世田谷区喜多見)の椿珈琲店で毎週土曜日の夜に開催している

「どようかい」をテーマに、集って音楽を楽しむメンバー達と店主SHさんをモデルにしたものだが、お馴染みのメンバーを

彷彿とさせる姿も組み込まれている。画面右のトランペット吹き・フルート吹き・ギター弾き(二人)・ピアノ弾き・手叩き人・

歌詞読み人...見る人が見ればそれぞれ「あっ、だれちゃんだ!」と解ってしまう位良く描けていて感心してしまった。また、

画面左には、一人足組してギターを弾く故マスターの姿が入っているのだ。この3月に急逝されてしまったが、本人もまさか

油彩に描かれるとは思ってもいなかっただろうから、今頃天上で苦笑いしているかもしれない。中央には紫色ワンピース姿の

SHさんが立っているが、以前絵の取材にどようかいへ行くことを伝えておいたとき、我々の前にワンピースで登場し一曲歌った

SHさんそのままで、「気合入ってるね~!」と大いに感心したものだった。画面から、歌い演奏し手拍子を取って楽しむメンバー

達の熱気とくつろぎが伝わってくるいい作品になったと私は思っている。かくいう私も、画面右に座っているギター弾き

して登場させてもらった。一昨年の浜美会には、私がモデルになった『コルコヴァード』(ボサノヴを弾き語りするギター

弾きと街風景)というタイトルの作品をHIさんが描き出品されたが、この作品はその後の横浜地区の絵画展で入選するという

おまけがついた。音楽を楽しむ人をテーマとしては2作品目だということだが、なかなか賑やかで楽しい画面からは音楽が

聞こえてきそうだ。




HIさんのコーナーには他に2作品が展示されていた。青い花を描いた『アジサイ』(油彩F6・左)と、清里の風景を
描いた『蜻蛉とオミナエシ』(油彩F15・右)、テーマも色合いも違うがそれぞれ雰囲気のある力作だった。




『ヌード』(油彩F20・OTさん作)は、画面全体の色が柔らかなベージュ、木の葉や木・椅子も同じ色調で、
中心にいる後姿の裸婦が画面に溶け込むような雰囲気があって良かった。


会場の1階がグループ展、2階がこの会の代表者(福島澄香さん)の個展という構成だったので、ぐるぐると回遊して沢山の

作品を見て廻った。その中で私の目に付いたものをちょっと紹介してみたい(あくまで個人的な感想ですが)。



100号Fの大作『紅葉のせせらぎ公園』(仮題・福島澄香作)、池脇の紅葉と池面に映り込む樹影を描いた風景画。
抽象表現に高められた筆のタッチと色のボリュウムが心地よい。この日見た作品の中では私の一押しです。



やはり100号の大作『新緑のせせらぎ公園』(仮題・福島澄香作)、新緑の時期に同様の池を描いた風景画。後方の樹影と
池面に映り込む新緑のグラデーションと様々な色合いがとても爽やかだ。




油彩100号の大作『イリュージョン』(松田高明作)、この会を指導する先生の賛助出品作品。特殊な技法で絵の具を
固まらせるときに生じる文様を定着させた抽象画、交り合い反発しあう黄色と紫色のぶつかりが面白かった。


会員の方々は60代~80代とお聞きしたが、高齢の方達も大きな作品に挑戦されているのを聞くと、ちょっと元気をもらった

気がした。私が寄らせてもらった日以外にも、モデルとなったSHさんが来場したり、高校時代の女友達が来られてランチを

しながらの女子会を予定しているなど、HIさんも1週間の会期期間中は何かとお忙しそうだったが、浜美展を目指して幾つ

かの作品を仕上げて行くのは目標となるので、なかなかいい機会となっていると思った。次はまたどんな絵が見られるのか

楽しみだ。

鬼無里・白馬 新緑紀行<その1.鬼無里は魚無里だった>

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新緑の色も鮮やかな山間の底をうねるように流れる裾花川源流、ただ今回は「豊かな清流」には程遠く、
水量が少なく川は痩せていた。All Photo by TAKA & HI


G.Wには混雑と渋滞を嫌って遠出しなかったので、梅雨が来る前にちょっと出かけてみようと思い、故郷信州の山間部

鬼無里と白馬方面に行ってみた(5月30日)。目的の一つは、それまで封印していた渓流(川)釣りを2012年秋以来再開し、

地元の多摩川でも時折楽しんでいるのだが、それを故郷の裾花川源流に足を延ばしてやってみようということ。もう一つは、

高原の新緑の時期に、澄んだ空気に触れてオゾンをたっぷり吸ってこよう、というものだった。同行してくれたHIさんは、

新しい景色と画題を求めてのスケッチ旅行を兼ねていた。




奥裾花ダムにかかるアーチ形の鉄橋と、水位が大分下がったダム湖。周りの山々の新緑はきれいだったが、
湖は緑の藻が湧いて酸素不足の様子だった。


出かける前の準備は色々と楽しかった。川に中に立ち込むためのウェーダー(防水の股上まである長靴)をネットで探して

みたら、昔(30年以上前)と較べて随分と軽くて履きやすいものが見つかったこと。また、釣り具や仕掛けなどの小物を入れ

られるメッシュ・ベストや、釣り道具や靴を入れられる大きなトートバッグも入手して、期待は高まった。便利だった

のは、電子国土Web」の地理院の地図で、現地の詳細な地図を前もって見ることが出来、それをコピーして、駐車可能

個所川筋と山間の地形をチェックできたことだった。それに加えて、Google地図では道路からの画像が見られるので、

裾花川にかかる橋から眺めは参考になった。また、インターネットのブログで、裾花川源流の釣行レポートや、水質状況

(平成22年度)の調査レポートなども見ることができた。そう言う点では、昔と比べると格段に多い情報を得ることができた

ので、「世の中ほんとに便利になったね!」と言わざるを得なかった。




いざ見参 ! 裾花川のイワナよ、出てこいや~ !



東京は新宿から大宮までJR電車で向かい、大宮から長野まで新幹線あさまで1時間20分、昼前には長野駅のトレンタくん

レンタカーに乗り替え鬼無里に向かった。途中、市内外れのコンビニで入漁券2日分を買い、曲がりくねった山道を約1時間

登って行った。川筋やポイント(釣りに好適な場所)を探りながら、奥裾花ダム上流の源流域(からき沢合流点近く)に到着。

昼飯は電車の中で済ませていたので、早速ウェーダーに履き替え、釣り具を用意して川に降りようとしていたら、上流の道

から一台のワゴン車が同じ駐車スペースに入ってきた。腰までのウェーダーを履いたお兄ちゃんとしばし情報交換をしてみた。

彼によると、ルアー釣りだが先週もまあまあ釣れた(?)、とのこと。お互いにポイントの上流と下流に分かれて釣ることにした。

スケッチをしてみるというHIさんを車近く残して川原に入って見ると、最近入ったらしき釣り人の足跡が幾つか残されていた。

川の水量は少なく、私の記憶に残る豊かな水量の裾花川源流とは落差があった。川底の白い砂とラグビーボール大の石々、

巨岩が点在する中を流れる透き通ったエメラルド・グリーン色の水...現実には、緑や茶色の苔が川石にこびりつき、減水し

頼りなく流れる緑がかった川水があった。試しに川底の掌大の石を幾つかひっくり返してみると、黒川虫や川虫(源流域の

イワナが常食するウスバカゲロウなどの幼虫)の姿はなく、これではイワナも住みつけないだろう、と暗然たる思いだった。

気を取り直して、持参したブドウ虫の幼虫を針掛けしここぞというポイントに振り込んで餌を流してみたが、当たりは皆無だった。





牛平地区の橋のたもとに残る民家(廃屋だった)の庭先に顕然と咲き誇る野生化したクレマチス、高原の気候の
せいか(海抜750m)実に見事な咲きっぷりだった。「本来、こういう気候があっているのよね~ !」(HIさん談)


その日の午後と翌朝、奥裾花ダム下流の川浦地区・牛平地区、西京下流の七つ室・松原地区の川に入って釣りをしてみた。

渓相はなかなか良いのだが、如何せん水が少なすぎる。川底には藻が蔓延り酸素不足だ。川虫もほとんど見られなかった。

仕掛けを毛鉤に変えて川面に流してみた。毛鉤釣りはイワナやヤマメ、そしてウグイやアユなどにも有効な仕掛けで、水面を

流れる疑似餌に朝夕の間詰め時は腹をすかせた魚がアタックしてくる。しかし、餌の当たり(軽い捕食行動)さえなく、まったく

の<ぼうず>だった。釣り用語で<おでこ>ともいうが、<頭に毛が一本もない>=<ぼうず頭>、従がって釣果ゼロで一匹も

釣れないことを<ぼうず>と言うのだ。私が渓流釣りに凝っていた頃は、時折この川の源流に入り次から次に餌の川虫にアタック

してくるイワナを針にかけて楽しんだものだが、すっかりと様相を変えてしまった川にため息が出た。私が渓流釣りの竿を

収めた頃(30代終わり)、関東各地の渓流は治水対策と称する公共事業で石垣やコンクリートの堤防工事がどんどん進められ、

自然の景観がどんどん無くなり、川は箱川と化していた。レジャーでの釣り人は増加し、生息する魚は激減した。地元の漁協は

対策として釣り人から入漁料をとり、稚魚や成魚を放流することで何とか魚の生息を保とうとしたが、解禁日などはさながら

釣り堀状況で、普段は放流の生き残りしか居ない状況となった。



鬼無里の川沿いのあちこちで見られたニセアカシア(北米原産、和名はハリエンジュ:針槐)の白い花、
新緑の丸豆葉とともに芳香を放ちながら風に揺れていた。



記憶に残る裾花川の清流を求めて、古稀になる前のひと区切りと思い鬼無里の山奥までやってきたが、果たして現実は暗澹

たる思いだった。宿の案内係の中年男性の話によると、昔と比べて(20年ほど前)イワナなどの魚は激減してしまった、との

こと。雪も少なくなったし、夏は暑いし、魚にとっても益々住みづらい環境になっているらしい。今回の釣行を計画しながら、

現状は、昔と比べたら相当厳しい環境になっているのではないか、という予想が半分以上あったが、やはりそうだった。別に

釣れた魚を持ち帰って食べるつもりもない。釣れたらその場で放流し、清流とそこに生息する川魚の姿が見られればそれでいい、

思って来たが、魚からの挨拶すらなかったことにやや気落ちしてしまった。梅雨時後や大雨後に水量が増えれば、川も幾分

きれいになり、イワナも餌を捕食に深場から出てくるかもしれないが、山紫水明・風光明媚で豊かな渓流景色は、過去の私の

記憶の中にしか存在しないこととなった。「魚さんの気配すらなかったわね。ここは鬼無里だけでなく、魚もいない゛魚無里

(ぎょなさ)゛かもね!」という一言に、「ハ ハ ハァ~」と私は力なく笑うのみだった。





宿泊した「鬼無里の湯」の夕食は「鬼無里会席」と名打った和食で、次から次へとメニューが出てきてどれもこれも
美味しかった。中でも、舞茸・タラの芽・ミズの天ぷらは格別だった。


<この項つづく>

鬼無里・白馬 新緑紀行<その2.白沢峠の絶景>

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白沢峠から眺望される北アルプス連山の絶景、左より鹿島槍ヶ岳(2,889m)・五竜岳(2,814m)・唐松岳(2,696m)・白馬鑓ヶ岳
(はくばやりがたけ 2,903m)・杓子岳(2,812m)。一番高い白馬岳(2,932m)は右端の樹影に隠れて見えない。晴れた午前中の
景色は、空気が澄んでいて、新緑の森と棚引く白雲そして雪渓の残る北アルプスの雄姿は、100万ドルの価値があった。
All Photo by TAKA


翌朝、朝食に出された蕎麦の実雑炊を美味しくいただきながらも、「やはり、魚無里だったかぁ~!」と独り言ちていたら、HIさん

から随分前だった(30年位?)けれど、鬼無里から白馬に抜ける山道の峠で北アルプス連峰を見たことがあり、とてもいい景色

だったので、白馬方面へ行ってみよう、という提案があった。白馬まで18㌔程度なので、それもいいかも~と乗ったのだが、

これがこの小旅行のハイライトとなるとは私は全く予想しなかった。9時過ぎには宿を出て県道406号線を一路白馬に向かった。

くねくねと曲がる狭い山道を登りつめ、トンネルを抜けると車数台程度の駐車スペースがあった。そこが白沢峠だった。そこから

見た北アルプス連山の景色は、恐らく生涯忘れられない位素晴らしいものだった。都内を発つときの天気予報とは打って変わ

って、晴れた青空からさんさんと陽光が降り注ぎ、澄んだ爽やかな大気の向うに、紫がかった山並みが白い雪渓を残しながら

続いていた。手前に棚引く白い雲が、ゆっくりと北方向へ動いて行く。しばらくは言葉も無くこの絶景を眺め続けた。



北信濃は丁度初夏のシーズン、山道の両側には野生の藤が沢山生育していて、薄紫の花房を豪快に垂らしていた。


峠からの眺めにすっかり満悦して気分を良くし、「これだから旅は止められないよぉ~!」などと軽口も出て、再び山道を下って

白馬駅を目指した。山間の何~にも無い鬼無里と違い、スキーリゾートの町白馬は、高原の開けた明るい景観で気持ちも

軽くなった。山道を降りたところに駐車場があり、大出公園の案内があったので一休みすることにした。すぐ先の橋下を流れる

川が「姫川」だとわかり、橋から下の流れを見てびっくりした。川底の白い砂・苔一つないきれいな川石・雪解け水を集めて

流れる水色の住んだ川水...これぞ正に゛清流゛と呼ぶにふさわしい川の景観だった。この公園で吊り橋を渡ったり、花を撮影

したりして小一時間過ごした後、再び姫川の流れを見てびっくり。気温が上がるとともに雪解け水が増した川水は、茶色に濁り

始めていた。北アルプス山々に沢山残っている雪は、沢や支流に解け出し地下に浸透して多くの雪解け水を川に運ぶ。この水が

全てを潤すことになるのを改めて認識したのだった。後で調べて分かったことだが、姫川は長野県白馬村が水源で、新潟県に

入り糸魚川と名前を変えて日本海に注ぐが、流域の勾配が急なため豪雨による土砂災害も多く、暴れ川と呼ばれているそうな。

しかし、アルプスの豊富な雪解け水を水源としているので、国土省の一級河川水質調査でも、平成12年と13年は水質ランキング

の1位を獲得し、何度もベスト5に登場しているとのこと(国土交通省HP:姫川概要より)。日本有数の清流を見ることが出来て

私はとても嬉しかった。



姫川支流の松川の流れ、水色の澄んだ川水がきれいだ。支流の小滝川流域にはヒスイ(翡翠)を産出する
「ヒスイ境」があるという。 画像出典:flyfisher-note.at.webry.



姫川の大出橋脇に咲くアヤメの紫色が、雪解け水を運ぶ川の白い飛沫に映えていた。



黄花コスモスも、明るい光の中で輝いていた。


この大出橋近辺には、車でドライブする人やストックをつきながらトレッキングするグループも散見され、夏山シーズンに入っ

た観光地の趣が感じられた。そこから白馬駅に移動し、駅前の観光案内所で近辺のビュー・スポットを聞いてみたら、白馬

さのさかスキー場近くに「姫川源流自然探勝園」があるからと教えてくれた。車で白馬駅から10分程度なので程なく現地に

着いたのだが、これがまた、白沢峠からの北アルプスの眺め以上の自然探索体験をすることになったのだ。旅の途中に見知

らぬ土地で発見する驚きというものは、まことに得難いものだと改めて感じたのだった。





大出橋から仰ぎ見た北アルプスの山々、身近な距離から見ると相当高いのが実感される。左から、頂上が雲に隠れた
爺ケ岳(2,670m)・鹿島槍ヶ岳・五竜岳の連なり(写真上)。その雪渓の中から現れた地肌の姿は、ソフトボールを
投げ込む女子選手の様なイメージだった(写真下)。


<この項つづく>


鬼無里・白馬 新緑紀行<その3.姫川源流の湧水>

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『姫川源流の湧水』 YouTube動画 と Photo by Jovial TAKA



白馬駅から県道148号線を南に向かい、青木湖の手前にある白馬さのさかスキー場の駐車場に車を止めて、道路向かい側の

遊歩道を歩いて行くと、鬱蒼としたスギ林の中に入った。空気はひんやりとし、オゾンたっぷりの森林浴をしている気分に

なった。一部分杉の枝を敷き詰めた歩道もあり、途中から茶色に塗装された角柱で組み建てた歩道が、湧水の周りを囲んで

いた。周りにはシダ・ゼンマイや水芭蕉(花が終わり、新緑の葉が巨大化していた!)が生い茂り、珍しい『マムシグサ』が

鎌首もたげたように伸びていた。緑色のものもあれば斑点入りの茶紫色のものもあり、ちょっと不気味な雰囲気を漂わせ

ていた。



緑色の『アオマムシグサ』(青蝮蛇草:サトイモ科の多年草)


源流域では、小さな砂利の中から透明な水がこんこんと湧き出し、西流・東流・南流の三つの流れが合流し、小川となって森の

東側に注ぎ出していた。河川の源流がこれほどはっきりと見られるのは日本でも珍しいとのこと。水辺には、クレソンやセリが

たくさん生育し、流水の底にはバイカモ(梅花藻)が生い茂り、折からも小さな白い五弁花をいっぱい咲かせていた。周囲の森

には小鳥の鳴き声が溢れ、川ガエルと夏ゼミの声がこだましていた。湧水は音を立てて流れを作り、なにか、川の誕生に立ち合っ

たような、生命の源泉に触れたような、荘厳で爽快な気分だった。これも、冬の間に北アルプスに降り積もった大量の雪があって

のこと。自然の恵みを体感するいい機会となった。『山紫水明』・『風光明媚』、あの四字熟語がまた頭の中にふっと湧いてきた。



姫川源流の湧き水・ワンショット、久し振りに見た「透き通った景色」だった。


水沢峠からの北アルプス眺望と、姫川源流の湧水をすっかり堪能できたので、同じ敷地にある「親海湿原」(およみ湿原)は

パスして、白馬を後にした。帰路は、31号道路(通称オリンピック道路)を抜けて国道19号に入り長野に向かった。途中

犀川の笹平ダムと小田切ダムを通ったが、アルプスの雪解け水を湛えた両ダム池は、喫水線まで満杯で、水量の豊かさを

改めて感じた。ひるがえって鬼無里の渇水ぶりを改めて確認することにもなった。中条の道の駅で食べたお蕎麦(私はとろろ

冷やし蕎麦、HIさんはざる蕎麦)も美味しく、鬼無里ではイワナに出会わなかったけれど、今回の旅がとてもいい旅だった

のを喜び合った。長野駅でレンタカーを返すまえに、GSでガソリンを満タンにしたが、ガソリン代は590円だった! ホンダ

・ピットの燃費の良さにもビックリ! 運転をしていただいたHIさんにもお礼を言った(私は専らナビゲーターだったが)。

帰りの新幹線は、あさまの始発に乗ってゆったりと帰ることとなった。



大出公園からの北アルプスと姫川の景観 出典:geocities.jp/caminito hakuba


<この項終わり>

梅雨の晴れ間の多摩川

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雨後翌日の多摩川は、増水しアユ釣り人も川に繰り出していた。丸一日経っているので水の濁りも取れ、
川はきれいな清流に戻っていた(狛江市中泉・水神前辺り)。 All Photo by TAKA


早くも沖縄では気象庁から「梅雨明け」宣言が出されたが、関東地区では先週月曜日(6/13)にまとまった雨が降った

のみで、周辺の山沿いのダム地帯では貯水量が激減したままだ。1時間の降水量が10㎜以上、1日に100㎜以上の雨が

あれば、かなり潤ったな、という実感があるのだが、まだまだ梅雨の恩恵は十分ではない。猛暑(酷暑)と水不足にならぬ

ように、もう一降りも二降りも欲しいところだ。近年顕著な年間平均気温の上昇は、冬の降雪量にも影響を与えているし、

やはり梅雨時は沢山の雨が降ってくれることが、作物の生育にも飲料水の確保にも肝要なことなので、お天気だのみと

は言え゛雨乞い゛の気持ちにならざるを得ない。




多摩川の水は、雨後増水で川底や小石も洗われ、緑苔もとれて久し振りにきれいになっていた。
若アユも活発にえさを食べようとして、毛鉤にアタックしてきた。


6/13日の雨は、午前中いっぱい土砂降りに近かった。雨具を着ていても、雨が雨具の中に浸透してくるような雨で、町中が

すっぽりと雨に包まれてしまった感があった。午後から雨は止み、翌日は晴天となった。雨上がりの午前中に、野川の橋を

通ったら、それまで減水し青い藻が沢山浮いていた川が、藻も塵芥もすべて流されてきれいな清流に戻っていた。ついでに

多摩川を見に行ったら、増水しきれいになった川には、アユ釣り人が何人も繰り出していた。私が良く釣りをするポイント

には、5人が釣竿を並べて約20m間隔で川に立ち込んでいたのにはビックリ ! 「雨後の増水を狙え!」という釣り人のセオリー

のまんまだったので笑ってしまった。




やはり毛鉤にアタックしてきたオイカワ(ヤマべ)のメス、産卵期に入っているのでお腹は卵を抱えてふくらみ、
魚体は産卵期特有のパールマーク(赤みを帯びた虹色)に彩られていた。


釣り人の混雑を避けて、その日の午後には別のポイントに繰り出してみた。増水した多摩川は、何時ものポイントでも川幅

広く流れも強かったが、川底の石はきれいになり青い藻も洗い流されていた。久し振りに見る清流の姿だった。丁度、

アユは稚魚から成長し10数㎝の大きさに成長していたので、竿がしなるほどの強い引きが楽しめた。オイカワは、6月

~8月末までが産卵期なので、この時期は活発に餌をあさる。ポイントを変えながら、次から次へと毛鉤にアタックしてくる

魚の引きを楽しんだ。夏の多摩川の釣りは、これからもまとまった降水後の増水が期待できるので、タイミングを見て

遊んでみようと思う。それにしても、魚影の濃さを実感した梅雨の晴れ間だった。




二ケ領上川原堰堤からも増水した川の水が流れ落ちていた。

ボサノヴァ青山 発表会とオープンマイク

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オープンマイクで歌い演奏するMIさん(Vo/Pf)・TDさん(Gt)・CHさん(Per)のトリオ。バート・バカラックの『雨に濡れても』を
ポル語バージョンで披露し、皆さんからの大きな拍手で盛り上がった。Photo by TAKA and Aoyamabossa


梅雨の晴れ間で30度を超える猛暑の午後、JR中央線西荻窪駅から徒歩10分程にあるライブハウス;「アトリエ・カノン」で、

中村善郎青山教室主催のボサノヴァ会が開かれた。教室に集う生徒の皆さんの日頃の練習成果を発表するとともに、OB

やOG・他教室のメンバーも参加して、発表会の後に「オープン・マイク」も開かれた。自由参加で、ボサノヴァに限らずなん

でもOKという、まことにフレキシブルな集いだった。私もご案内をいただき、当初はデュエット・ナンバーをやってみようかと

二人で行く予定だったのだが、急な予定が入り相方の都合が悪くなってしまい一人での参加となった。



オープン・マイクで披露した2曲は、『避暑地に陽炎』(詞:来生えつこ/曲:来生たかお、ボサノヴァ・アレンジ)とジャズ・
スタンダードの『Moon River』(ワルツとチャチャチャの2コーラス)、いずれもボサノヴァ曲ではないのだが、今私が
歌いたい曲として歌わせていただいた。歌った後TMさんから「チャチャチャが可愛かったわよ!」と声かけて頂いた。


このボサノヴァ会は、幹事さんたち4人の準備と進行がとても円滑に出来ていて、なおかつ、会後のご案内が、当日のフォト

(演奏者各位の画像ファイル)や録音(オーディオファイル)で参加者に届けられたのにはすっかり感心してしまった。まことに

システマチックに編集されており、当日の雰囲気が写真と録音でまた楽しめるというおまけ付きだった(会場の制約で録音の

クォリティは充分でなかったが)。私も撮っていただいた画像を早速このブログに載せさせてもらった。30人程集われた皆さんの
 
歌と演奏を聞いてみて感じたのは、熱心にポルトガル語とボサノヴァ演奏(サンバやショーロなども)を習得しようとされている
 
のだな! ということだった。全体にレベルも上がっているようにも感じた。最近は新しく加入するメンバーも増えて(現在教室は
 
10数人とのこと)いるということで、まことに喜ばしいことではある。一方で、オープンマイクで歌い演奏した卒業生達・プロ達は、
 
ライブの経験も大分豊富なので、自分の表現についてそれぞれのスタンスをしっかり持っておられるのを感じた。自分の表現を
 
通して、語るべき世界をその人の個性を通じて聴く人にちゃん届けようとする意志、と言ってもいいかもしれない。



KKさん(Vo/FL)とINさん(Gt)のデュオは『Fotografia』などを熱演、柔らかな音色がボサノヴァには合いますね!


私自身は、足掛け4年間(2007年~2012年)中村善郎田町教室に通ってボサノヴァのポルトガル語の歌とギター演奏を

学んだが、卒業後は自身のバンド「Jovial TAKA Band」と高校同期生バンド「The Tapestry」(2014年活動終了)で

 ヴォーカル・ギター・ウクレレ演奏・編曲を担当し、バンドマスターとして活動しながら、オリジナル曲の制作を続けている。

毎週土曜日は、地元の椿珈琲店で開催される「どようかい」の幹事として、地元ミュージシャンたちとセッションしたり、皆さん

の歌伴奏をしたり、ボサノヴァだけでなくジャズやワールド・ポップス・日本の歌謡曲・演歌まで、歌い演奏することがほぼ

日課のようになっている日々ではある。マンドリンとピアニカとコーラスをやってくれる女性仲間と、TAKA and WH(タカ

アンドダブルエイチ)というユニットで、私のオリジナル曲やワールド・ポップスのナンバーを練習する会も時折持って楽し

んでいる。そんかな中で、今回のような卒業生の私も参加して楽しめるボサノヴァ会は、知り合いの個性的なメンバー達の

歌と演奏を聞けるとても貴重な会なので、ずっと続けて欲しいなと思っている。




中村教室の重鎮HBさんは、お弟子さんのIWさんとともに、『O Bebado e A Equilibrista』を共演、しっかりと
後輩を育てているのには感心しきりだった。


会場で久し振りにお会いしたTMさんとKWさんとお話ししたり、青山のメンバー達のGt伴奏をされていたAKさんとギター

談議をしたり、ベースの他ギターも演奏するようになったIWさんをよいしょしたり、お馴染みのTDさん・MIさんと挨拶したり...

とても楽しい時間だった。この頃は、Gtを背負っていくのも大変だし(演奏時に貸してくれたTDさんありがとう!)、ボサノヴァ

曲でない曲を歌って失礼したりしたが、もし次回の機会があれば、事前に曲名とキーだけを決めておいて、PfやBaなどの

楽器と当日ボサノヴァ・スタンダード曲をセッションさせてもらうのもいいかな、と思っている。ボサノヴァ青山の皆さん、お疲れ

様でした。とても楽しかったです。またお会いしましょう!

梅雨の終わりの多摩川・オイカワの毛鉤釣り

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梅雨の終わりの多摩川・オイカワの毛鉤釣り YouTube動画 釣り人と撮影・編集 by Jovial TAKA


今年の関東地区の梅雨もようやく明けた。ここ数年は梅雨明けが早く、熱く長い夏・猛暑酷暑の夏が続いていたので、7月の

終わり近くまで気温が上がらずに梅雨空が続いていたのは珍しいと思う。この後、8月・9月と暑さが続くと予想されるが、

不安定な地球の気候ゆえ天候がどんな展開になるのか、気象予報士泣かせの天気予測は難しい。

私の家近くの多摩川では(チャリで10分程)、オイカワの産卵期が続いているので(6月初め~8月終わり位)、朝早起きして

多摩川に繰り出してみた。梅雨の雨は、沖縄や九州では集中豪雨となって、河川の氾濫や山崩れ、家屋への浸水など、

多くの被害をもたらしたが、関東地区では時折落雷と土砂降りがあった位で、まとまった雨は少なかった。栃木や群馬のダム

近辺では降雨量が相変わらず少なく、ダムの水位は一向に回復しておらず、ここを水源とする東京地区の水道エリアでは、

夏場の節水が叫ばれている。通年の梅雨時では多摩川も大増水し、怖いくらいの濁流が河川敷まで溢れることがあるのだが、

今年はやや増水程度に収まっている。


この朝釣り上げたのはほとんどオイカワで(オスとメス半々位)、春先から初夏に主役だったアユはほとんど姿を見せなかった。

遡上して上流に移動していったのか? グラスファイバー5,4mの竿に小さな毛鉤が数個とウキが付いた仕掛けを上流から

流して、扇状に水面を探っていく。仕掛けを引いたり流したりして、毛鉤に水面を飛来する羽虫のような動きを与えるのが魚の

食欲をそそるコツなのだ。

実際に、上流に向けて仕掛けを挽いたときに当たりがあり、オイカワが針に掛かってくることが多い。大腿部までのゴム長靴

(゛バカ長゛と呼ぶ)を履いて、川の中を移動しながら仕掛けを流し、引き揚げてはまた流す。その作業を繰り返して約1時間半

ほど釣りを楽しんだ。途中毛鉤を捕食したものの針掛かりせずに゛バレ゛てしまうことも多々ある。20匹余のオイカワを釣り

上げたたが、その内の数匹は手持ちのデジカメで動画撮影してみた。左手で竿を持ち、右手で撮影だから上手くカメラらに

収めるのは難しいのだが、なんとか撮影できた。今回はナレーションとテキスト(タイトルや説明)も動画に組み込んでみた。

釣り上げる時の引きはオスの方が強く、かなりの手応えがある。グイグイと水中に引き込む強さは、魚とバトルしている感

がある(小物だけれどもね!)。鯉釣りのように、数本の針を餌のマッシュポテトで団子状に包み、水底に沈めてじっと当たりを

待つ、というような辛抱強い釣りはどちらかというと苦手。毛鉤仕掛けを水面に流しながら、次から次へと魚を釣り上げる

ような動きのある方が好みではある。釣り上げたオイカワをすべて川に戻し、1時間~1時間半程釣りを楽しめれば充分だ。

釣りを終えて仕掛けを仕舞い、チャリで家に戻れば、シャワーを浴びて珈琲と果物にヨーグルト、野菜と卵のサラダ・トーストの

朝食をゆっくりといただく。お休みの日の朝に時折得られる私の楽しみのひと時だ。


今夏もブルーベリー摘み採りを、ご近所のとみなが農園で楽しんだ。

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朝8時の開園前に集まったご近所さんたちは、摘み取り開始の案内とともにプラバケツを持って、3か所の
ブルーベリー畑に三々五々散っていった。 All Photo by TAKA


ご近所のとみなが農園で、今年もブルーベリー摘み採りが始まっているので、7月最後の日曜日に食い友RKさんを誘って

行ってみた。ブルーベリー園はスタートしてからことしで7(8?)年目なのだが、始めは1面だけだった畑がすでに3面に増え、

新苗を植えた畑や他の果物畑(ラズベリーやはちみつを採取する花園など)も増えてなかなかの充実振りなのだ。ご近所

でも評判が上がり、おじいちゃん・おばあちゃん、パパとママ、子供たち・孫たちまでこぞって集まるようになり、先に植えた

ブルーベリーの木も幹や枝が茂り、沢山の実を付けるようになっているので、完熟した実の摘み取りを楽しめる。私は今年で

3回目だが、この園の側を通る度に、何時来ようかな、と毎年楽しみしているのだ。



やや小振りだが、酸味のある濃い甘さが人気の『ティフ・ブルー』(ラビットアイ系)、完熟した実をたわわに実らせていた。



樹枝の作りが下枝まで延ばせているので、小さな子供達にも摘み取りが沢山出来る。大人の目が届かない下枝は
子供たちの領分だ。家族連れで楽しめるのもいい。



雨予報で心配された天気も朝の内は晴れあがり、熱い夏の日差しが照り付けたが、風が通っていたのでさほど暑さは感じ

なかった。ブルーベリーの完熟した実は、触っただけでハラリッと落ちる。下に受けるバケツを置いておくだけで、どんどん

摘み取りができる。完熟した実を選んで摘んだら40分程でバケツ一杯になってしまった。私は約2㎏、RKさんは1,5㎏を

摘み採ったが、買取りの会計は100g210円で持ち帰りできる。日頃お世話になっている人へお裾分けして、後は冷棟保存

して、毎朝ヨーグルトとともに食べることにしている。少しづつ食べるので年内位持つかもしれない。アントニシアンと

ビタミン(CとE)たっぷりのブルーベリーは目にとても良いので、これを食べ続けたら夜空を飛ぶ人工衛星もばっちり見える

かもしれない(!?)


大振りの『バルドゥィン』(ラビットアイ系)は順次熟していくので、未熟の青い実・赤い実も一緒についている。完熟した
実は直径1,5cm程あって甘味が強い。



大きなバケツ(園で受付の時に貸してくれる)に一杯のブルーベリーを摘んでご満悦の私。


摘み終えて周りの畑を見てみたら、『ミスティ』とか『タロー』とか新しい品種の木が植えてあったり、3面の奥の方に、新苗の

ブルーベリー畑が出来ていたり、新しい展開も見られたので今後も楽しみが増えた。狛江は造園業を営む方たちが多い

のだが、最近その畑が宅地になったり建売住宅になったりで、緑がどんどん減っているのはとても淋してことだと思っている。

でもとみなか農園のように、地元の方達に愛される農業と緑地を残していく取り組みが同時に出来ているのは、まことに歓迎

すべきことなので、これからも応援しつつ大いに利用させてもらいたいものだ。駐輪場も駐車場もあるのでなかなか便利です。



入口の大きな木製看板は目立つのですぐわかる。


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