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普通運転免許・再取得奮戦記(府中試験場)ーその1:きっかけ

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仮運転免許証取得後、路上練習中の一コマ、車提供と指導員同乗役は趣味友HIさんにお願いした。ハイブリッド仕様の
HONDA FIT は、ハンドルも軽く加速もブレーキもコントロールし易く、乗り心地が良かった。Photo by HI


処暑も過ぎ、この夏もそろそろ終わろうとしているが、8月のリオ・オリンピック競技開催と時ならぬトリプル台風による

大雨続き、そして天候不順による冷夏などで夏は足早だった。私自身はそれに加えて、自動車運転免許の再取得を敢行した

ため、余計に忙しい夏となってしまい、夏を楽しむ気持ちが本当に少なかった。頭の中では、「免許が取れるまでは!」と

集中する思いがあり、他のことはさておいても、道路交通法規の学習し直しや運転技能を思い出したり再練習する日々が続

いている。


「また、車を運転しようかなぁ!」という思いが強くなったのは、鬼無里・白馬の小旅行を終えて自宅に戻ってからだった。

このブログにも載せたが(2016.6.4 『鬼無里・白馬 新緑紀行』3回連載)、故郷の裾花川源流で釣りをしたり(釣果は

なかったが)、白沢峠からの北アルプス連峰の絶景に遭遇したり、姫川源流の湧水を見たりしてとても楽しい旅ができた

のはよかった。新幹線とトレンタくん(駅レンタカー)を利用しての移動はとても快適だったが、重い荷物(釣り道具や着替え

など)を持ち歩くのは結構大変だった。また、朝早起きして出かけたり、くねくねと曲がり続ける山道を運転したりするドラ

イブ役は、同行してくれた趣味友HIさんに専らお願いし、運転免許証なしの私は助手席でナビ役をさせてもらったのだが、

私も交代して運転すればお互いに負担も軽くなるし、何かと便利なのだがさてどうしようか!? と言う気持ちだった。

かくいう私は、今は車の運転はしないでも日常に何の不都合はない。電チャリ(電動アシスト付き自転車)を7年程乗り続け

ているが、地域サービスの仕事や買い物などこれで十分だし、バスや電車と時折タクシー利用で移動は間に合うし、車で

1~2時間の外出ならHIさん等におまかせして乗せてもらえばいいし、自分でまた車を運転することなど全く考えていな

かったのだが...


普通免許は25歳の時、その頃勤めていたキャラクター商品製造販売会社の休日を利用して、上石神井の自動車教習所

で教習を受けて取得した。あの頃は日本のモータリゼーションの黎明期で、若い人たちの多くはマイカーの所有を夢見て

いたから、自動車教習所はとても混んでいて、半年がかりで運転免許を取得したように覚えている。TVからは、ケンと

メリーが歌う『愛のスカイライン』や、布施明の『ファミリア・ロータリークーペ』のコマソンが流れていた。私のマイカー

遍歴はまた後の項で振り返ってみるつもりだが、免許を取得した1972年から失効した2000年までの28年間はほぼ毎日、

仕事にレジャーや買い物などに車を運転していた。最後の数年間は、自分の会社をたたんでサラリーマンに戻ったので運転

必要がなくなり、気がついた時は免許書き換え期限を半年も過ぎていた。実際その当時は運転はしなかったし、その後も

運転をする気がなかったので、失効そのままで16年が過ぎてしまった。実質この20年間は運転履歴がな~んもないのだ。


それをまたどうしてその気になったのか、自分でもよく判らないのだが、ごく親しい人たちに免許をを再取得する、と話し

たらほとんどの方達が、「バカじゃないの! 何を考えているんだか!」とか、「もう免許なんて返上しようか、という年なの

に!」とか、親友のHIさんですら、「よ~く考えた方がいいわよ!」とか、否定的な見解が続いたのだった。私自身の性向と

しては、直観を大事にする方なので、自分の中で自然に湧き起こってきた思いをどう実現しようか、という方向にすでに

動き始めていた。この夏の初め、6月中頃のことだった。とにかく運転免許取得のタイムテーブルを確認するために、警視庁

のHPを検索し、運転免許一覧で普通免許(仮免許・本免許)の詳細を調べてみた。ここから、悪戦苦闘の日々が始まった。

大袈裟でも何でもなく、書き換え忘れで失効したり、一度取り消しになった免許を再取得するのは生半可でなく大変なこと

なのだ。扱いは初心者と同じだから、再び自動車教習所(公認・届け出)に入り直しても、最短で30数時間の教習(20~30万円

の費用)が必要だ。そんな時間はもうかけたくないので、私がとった取得方法はいわゆる「一発試験」と呼ばれるもので、

府中の運転免許試験場で、仮免許(学科と技能)・本免許(学科と路上技能)の試験を受ける方法だった。

<警視庁のHP>http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/menkyo/menkyo/index.html


現段階で、仮免許の学科試験と技能試験をようやくクリアし(8月23日)、手元に仮免許証を得たが、これからこのブログ

に載せるのは、私が考え実践してみた免許再取得の詳細だ。約2ケ月を掛けてここまで来たが、まだ道半ば(私的には

8合目あたり)でこれからもひと踏ん張りしなければならない。その間、いろいろ思い悩みながら立てた作戦と実施結果も

併せて紹介したい。何らかの事情で、運転免許試験場での直接受験を考えている方・受験途中の方に参考としていただ

ければこの上ない喜び思っている。

いま私の中には一つのイメージがある。来年3月の古希を迎える前に運転免許を再取得し、70代は仕事の時間はもっと

セーブして、楽しいことに時間を費やしたい。車に釣り道具と撮影機材(画像と動画)・楽器や画材を積み込んで、懐かしい

場所や見知らぬ街・海山川を訪ねてみよう。清流で釣りをしたり、季節の花々を撮影したり、夜訪ずれた町のライブハウスに

ふらりと寄ってセッションを楽しんだり、美しい風景やイベントをスケッチしたり...そんな風にして親しい友と一緒に

ドライブを楽しみながら旅をするのだ。それを実現するためにも、あと一頑張りだ!


私のマイカー遍歴 初代:TOYOTA コロナマークⅡ ハードトップ2000GSS(1972年中古) MT





この車は自分で選んで買ったのではなく、当時カミさんが勤めていた薬局の店長が外車を買うことになり、安く譲るから
と言って゛お下がり的に゛入手したものだった。とにかくデカくてリアウィンドは良く見えず、座席も゛ストン゛と落ち込んで
いて、小柄なカミさんは座布団を2枚尻の下に引いて運転していた。燃費は悪かったが、パワーとスピードはあった。
2ドアだったので、後部座席の乗り降りは不便だった。この車で関西にドライブ旅行に行き、神戸でタコ焼きを食べたり、
姫路まで足を延ばして白鷺城を見たりしてドライブを楽しんだ。帰りの東名高速で豪雨に見舞われ、タイヤが浮くよう
怖い思いを味わった。ボディカラーは、シルバー・メタリックだった。画像は中古車ディーラーのネット情報より。


<この項つづく>


普通運転免許・再取得奮戦記(府中試験場)ーその2:準備

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『改定新版 学科試験問題集』(東京平尾出版)、 B4・40ページが2つ折りで袋に入っている。仮免問題
(50問×5セット)・本免問題(95問×6セット:危険予測問題付き)・解答と解説・交通法規と標識表示
見方も付いている充実版。これ一冊で学科試験は間に合う。府中試験場売店で入手 740円。


失効・取り消しなどによる運転免許の再取得は、①普通仮免許・学科試験と適性試験、②技能試験(府中試験場コースにて)、

③普通免許・学科本試験と適性試験、④技能本試験(府中試験場の周辺路上にて)に合格した後、取得時講習を公認

自動車教習所(学校)で受けてから免許証が交付される。試験は全て平日に行われるので、その都度府中試験場に行か

なければならない。何か、仮免学科試験のためのいい教材がないかと、書店やネットで探してみたがこれというものが見つ

からなかった。以前、持っていた免許証の書き換え(3年毎?)の時に必ず講習を受けた(というか、受けるのを義務付けられ

た)のを思い出し、その時使った交通教本(運転と法規が載っている交通安全協会編の冊子)が入手できないかと思い、とり

あえず試験場の様子見も兼ねて府中の試験場の売店に行ってみた(6月14日)。

売店のおばちゃんに「交通教本の類は置いてないか?」訊ねると、「あんなもん、教習の後のゴミ箱に一杯捨ててあるよ!」

と言われてしまった。ずっとゴミ箱の前で張り込んでいる訳にもいかないので、続けて、「何か手頃な問題集はないの?」

と聞いたら、上に載せた『学科試験問題集』を「これがいいよ!」と売ってくれた。この問題集には、仮免・本免合せて820の

問題が載っているので、これを繰り返しやっておけば充分だろう、と私は思った。学科試験は、仮免50問出題中45問正解で

合格、本免95問(100点)中90点で合格(危険予測問題は5問全部正解で10点)だから、結構難しいのだ。かなり正確に、

道路交通法に基づく法規と運転技術の知識を持っていないと合格は覚束ない。試しに家に戻ってから、仮免問題NO,1の

50問を解いてみたら(全て正解か不正解かの二者択一)33問しか解けなかった。いやはや、車に乗らなくなってから20年も

経つと、交通法規なんてボヤボヤにぼやけてしまっているのだ! これではいかん! とふんどしをしめなおして、学科問題を

精読し問題を解き、間違った個所やあやふやな部分は解説をよく読んで覚えた。


来たついでに、試験場本館の窓から運転コースをちらっと眺めてみた。かなり広い敷地に網の目のような道路と試験個所が

配置されている。いずれ技能試験を受けるにしても、まずは学科をクリアしよう! と思い帰ってきた。自宅からは、電車とバス

を乗り継いで1時間以内で行けることもわかった。それと並行して、仮免学科試験に合格したら技能試験の準備も必要なので、

20年間のブランクを取り戻すための運転練習の方法を調べてみた。前日の警視庁HPにも都内で貸コースを実施している自動車

教習所3ヶ所案内があったので、可能な日日と時間設定をしてみた。世田谷区の「上北沢自動車学校」では、貸コース・貸し

自動車のメニュー(サービス)があり、3年以上の運転経験を持つ免許所有者の同乗を条件に、コース内の運転練習が可能なこと

解った。ただし、時間帯は夕方8時以降(学校の教習終了後・祝日休日は5時半以降)に50分単位で実施している。免許再

取得者だけでなく、ペーパー・ドライバーや教習生(予習・復習)が対象と案内されていた。貸コースの運転練習方法が凡そ

解ったので、集中して学科試験の準備を一週間してから、6月21日(火)に府中試験場に行くことにした。私の仕事が火曜日は

休みなので都合が良く、以後試験は全て火曜日に決めて免許取りを目指した。

<上北沢自動車学校HP> http://www.kamikitazawa-drivingschool.co.jp/information/index06.htm


私のマイカー遍歴 2代目:VOLKSWAGEN ゴルフ 1600 5dr・ハッチバック(1977年新車) MT





お下がり車の運転しずらさに懲りて、真剣に次の車を探した。会社勤めの5年後、私は脱サラして商品企画会社を設立し、
幸いに順調な推移だったので、次の車は仕事とプライベイトに使える多機能多用途カーにしようと思った。このゴルフと足かけ
7年間で16万㎞走行の長い付き合いとなったが、鮮やかなマイアミ・ブルーのボディカラーもとても気に入っていたし、この
車と過ごした時間は楽しい想い出が沢山ある。G・ジュージアロー(伊・カ―デザイナー)のコンセプト設計よるハッチバック車
は、運転席・サイド・後部の見晴らしも良く、荷物も沢山積め、ヨーロッパ小型車の先進的なレイアウト(FF:フロントエンジン/
フロントドライブ、フエルインジェクション・システム:電子制御燃料噴射)による広い室内と、乗り心地いい硬めのシートを
備えていた。エンジンの吹き上がりと加速は申し分なかったが、弱点はエアコンの不具合とブレーキの効きの甘さだった。




VWゴルフのフロント(上)とリアビュー(下)、ともに中古車ディーラーのHPより。

当時、自宅は千駄ヶ谷・世田谷赤堤に借家した後、郊外の八王子に家を建てたので、毎日赤坂の事務所と自宅をこの車で
往復した。中央高速と首都高を乗り継いでの通勤を良く続けたものだ、と今では感心してしまうが。仕事で都内や近郊を周
り、休日には、後ろにラジコン飛行機を積んで利根川河川敷まで飛ばしに行ったり、奥多摩や山梨・長野源流にまで渓流釣り
に出かけたり、家族と愛犬を乗せて毎年千葉の波崎に海水浴に出かけたり、ルーフ・キャリアにスキーを積んで雪山に出かけ
たり...想い出は尽きない。MTによるシフトチェンジの音(クラッチを切って、アクセルを一瞬踏んでエンジンの回転を
上げてから3rdや2ndにシフトダウンする)とフェル・インジェクションの「ビーン」というエンジン回転音も好ましかった。
最後はシャーシが経たり手を入れるのにも費用がかさみ過ぎるので手放さざるを得なかった。ハンドルをNARDYの黒レザー
変えたり、MARCHAL(黒猫マーク)フォグランプを付けたり、ウッド製シフトノブを付け替えたり、この車には色々と
遊ばせてもらった。


<この項つづく>

普通運転免許・再取得奮戦記(府中試験場)ーその3:仮免学科試験と貸コース練習

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『わかる 身につく 交通教本』:全日本交通安全協会 編集・発行 272円(本体・送料込み)、安全運転の
知識・交通の方法に関する教則などが詳しく解説されている小冊子、免許取得のための必携本。1回目の
仮免技能試験で不合格となり、試験官に「右折・左折の仕方を教則本で勉強なおしてまた来てください。」
と言われ急遽入手。


仮免学科試験の朝(6月21日)は早起きして軽く食事を済ませ、府中運転試験場に向かった。前述の試験問題集を2回

演習し、解説もしっかり読んだので不安はなかった。電チャリでつつじヶ丘駅まで⇒京王線で多磨霊園駅下車⇒バスに

乗って府中試験場着、試験場は、免許の書き換えをする人や受験者で混んでいた。係員に案内されて仮免学科試験の

受付(費用は2,850円)をし、適性試験(簡単な視力検査等)をしてから3階の学科試験室に入った。開始前の試験監督官

の話によると、学科試験は本免許(第一種・第二種)も、仮免許も全て同じ教室で行われる、とのこと。仮免許は30分

本免許は50分、試験時間が過ぎればマーク式の解答用紙と試験問題用紙を監督官に渡して退室する。試験問題用紙を

持ち帰ることはできない。9時30分頃から試験が始まった。問題用紙は、試験室前方にあるキャビネの引き出しから出さ

れて受験者に配られる。幾つかのパターンがあって繰り返し使われているようだった。マークシートは、50問が上下に

分かれた四角空欄を塗りつぶして正解・不正解の回答する。間違えないように注意しながら解答し、見直してから終了

前に退室した。2問ほど?というのがあったが、概ね回答できたと思った。合否の結果は、1時間程後で同じ試験室で発表

れる。市役所の書類交付待合室の電気掲示板のような画面に、自分の受験番号があったので、合格を確認しほっとした。


「合格者は、仮免技能試験の予約手続きをして下さい。」と案内され、2階の受付で技能試験予約カードをもらい、コン

ビニの小さな端末機のような画面で予約可能日を検索すると、何と3週間後の7月12日からしか空きがなかった!!とりあえ

ず、7月12日に技能試験の予約を(試験手数料2,800+車両使用料1,550=4,400円)したが、「鮫洲の試験場改築中

影響で府中は混んでいるよ」とか、「府中での一発試験は大変だよ! 試験官も厳しいっていうし... 」とのうわさは本当

だった。ここから私の苦戦苦闘(大袈裟でなく)が始まるのだが、とにかくその日は、学科試験の合格に気をよくして、

「案外早く免許証がとれるかも~!」と喜び勇んで家に帰った。





 上北沢自動車学校のコースの様子、実際は夜間の練習だったので夜間照明があってもコース内は暗かった。マイカー
持ち込みや、近辺教習所の練習車と教官同乗で練習している人もちらほら。ここでの練習のお蔭で、車両感覚とハン
ドル操作をようやく思い出すことができた。画像は当校HPより。


あっさりと仮免学科試験を通過したので、早速その週の週末に調べておいた上北沢自動車学校に行ってみた(6月24日)。

場所は小田急線の経堂駅からバスで10分位だった。同乗役をお願いしていたHIさんと一緒に受付をし(免許証や身分証明

書を提示)、初回なのでとりあえず練習車も借りてみた(貸コースと貸車両で3,400円)。案内された車は、えらい旧式の

タクシー車の様なセダンで、こんなどでかい車は操作しにくいなぁ、と思いながらコースを周ってみた。その車によってハン

ドル操作感覚もブレーキ・アクセルの踏み具合も違うのだが、件の練習車は何だかふわふわしていて頼りなかった。

「なんか、マフラーからガス漏れしているみたいで匂いがする! 自分の車を持ち込んだ方がいいわよ!」とHIさんも参った

様子。でも、50分の間、周回コースで時速40㌔走行を試したり、左折・右折・カーブ回りをしたり、縦列駐車・クランク・S字

をやったり、踏切・坂道・信号交差点を通過したり、コンパクトなコースを一通り走って練習できた。結局この貸コースへは

合計4回(2回目以降は、HIさんの車を持ち込んで貸コース料のみ2,050円)行って練習したのだが、そのおかげで運転

感覚を大分取り戻すことが出来た。


私のマイカー遍歴 3代目:HONDA アコード・5dr ワゴン 1800(1984年新車) AT


日本の車も室内のレイアウトや性能・ハンドル操作も大分良くなって来た、ということで、使い勝手の良い国産ワゴン車を
入手した。パワーステ・パワーウィンドウ・AT運転はラクチンだった。走行性能もまあまあだったのでしばらく乗ったのだが、
アメリカ仕様の大雑把な味付けになかなかなじめなかった。2代目VWゴルフのキビキビした走り、コンパクトで明るい室内、
吹き上がりのいいエンジンとキレのいいハンドルを思い出して、結局1年間乗っただけでこの車は手放してしまった。ボデー
色はシルバー・メタリックだった。画像は中古車ディーラーのHPより。


<この項つづく>

普通運転免許・再取得奮戦記(府中試験場)ーその4:仮免技能試験2回の不合格

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普通仮免ATの受験票と予約カード、カードは端末機を操作して日時の予約に使い、試験合格時には返却する。受験票は
受験申込時にその都度発行され、手数料を納付してから試験日に持参する。不合格の場合は、合格するまで、その都度
手数料の支払いが発生する(受験者名はブランクにしてある)



「とにかく一度仮免の技能試験を受けてみよう。貸コースの練習をして運転感覚も戻って来たし、20年間運転しなかったに

せよ、25歳の時から25年間は毎日運転していたのだから、うまくいけば一発合格かも~!」と多くの受験者にありがちな理由

のない安易な見通しで試験に臨んだのは確かだった。後で、私が運転免許証を取得した44年前(1972年)とは自動車運転

の教則も大分変わっているのを知るのだが、道路交通法大幅に改正され、歩行者・二輪車・高齢者・障害者の保護や、

交差点や道路のバリア・フリー化に基づく設計変更など交通法規に大幅に盛り込まれ、運転の仕方も変わっていた。初回

受験時にはそのような知識もなく出かけていったものだから、見事に不合格だった。


7月12日(第1回目)の朝8時30前に試験室に入ると、仮免許受験者は普通AT・普通MT・大型・中型などのコース別に、指示

された名札の前の席に着いていた。コース名も「Cコース」と掲げられていたが、これも大して気にしなかった。後で分かった

のだが、府中試験場の普通仮免試験は4コース(A・B・C・D)あり、その日の朝に発表され、ご丁寧なことに試験室の後方に

コース図も掲げられていたのだが、その時は全く分からないまま試験を受けた。その朝の仮免AT受験者は6名だった。試験

官からの説明、書類提出の後順番が決められ、私は最後の6番目だった。試験車両はTOYOTAのプリウス、最新の車なの

で、シフトノブはPCのマウスの様な形だし、エンジンキーはなく前パネルのボタンスタート、パーキングPは小さなボタン、

Pブレーキは左足で踏むフットブレーキだ。HONDA FITも最新のハイブリット車なので、同様な新型レイアウトだが、Pブレ

ーキはハンドタイプだ。慣れない車に初めて乗るのは、なかなか操作に戸惑うことも多いのだが、始めからプリウスで練習

しておけば、より負担は軽くなるだろう。


5番目の受験者は若い男性で、後方の座席で見ながら次の順番を待ったのだが、なかなか危なげない運転なので合格かな、

と思った。一回りコースを周って戻ってから、エンジンを止めPブレーキを踏んでからドアを開ける時、安心して気が抜けた

のか、いきなりドアを開けてしまった。右後方には、他の試験車が迫っていた。助手席の試験官が、左前のドア横に廻った

若い男性に、「概ね良かったのだけれど、最後のドアを開ける時の安全確認が駄目でしたね、不合格です。」と言われてし

まった。これも後でわかったのだが、試験官は細かな採点表に記入しながら運転技能を評価する。危険な運転で試験官に

ブレーキを踏まれたら、一発で不合格。減点も-20点・-10点・-5点と安全運転基準によって出来ていない個所が減点

される。100点評価で70点が合格基準だから、正しい(試験官が要求する運転技能、あるいは交通法規の教則に基づい

た運転)から外れるものは、ビシビシと減点されるのだ。


<HAKUBAさんのHP(一発屋のための技能試験研究)に載っている減点表>
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hakuba/license/hiketu.htm


さて、私の番になって、試験官から「準備をして、良かったらスタートしてください。」と指示があり試験が始まった。

コースに配置された番号表示に従って、「はい、③番を左折」とか、「➄番の坂道を登って、一旦停止」とか、指示通り

にコース内を走る。約10分程の間に(15分位だったかも知れないが、あっという間だった。)、S字・クランク・踏切・

坂道発進、途中障害物をよけ、周回直線道路は50㎞走行などをして、発着場所に戻った。武道でも鍛えているらしき中年の

がっしりした試験官は、終始無言だったが、車を降りて助手席に回ると、「右折・左折の仕方を、よく教則本で見直して、

また来てください。」と宣言した。「ありゃ~! 不合格だよ~!」とがっかりしたが、試験官の言った「教則を見直して。」

が気になった。試験室へ最後に戻ると、合格して待機していたのは、男性一名だけだった。「この合格率ではかなり厳し

いなぁ~! でもまあ初回だし、試験官に教習を受けたと思えば次があるさ。長期戦でいこう!」と気を取り直し、次の試験日

を予約してから家に戻った。例によって混雑する予約状況から、試験日は3週間後の8月2日となった。


かくして、2回目の技能試験を前にして、もう一度交通教本を見直そうと思い、前掲の『わかる 身につく 交通教本』(全日本

交通安全協会 編集発行)を、ネットで申し込み入手した(料金はコンビニ支払)。丁寧に読んでみると、道路交通法の法改正

についての最新情報や交通の方法に関する教則、危険予測運転や標識・表示の種類と意味など、車を運転するための最新

知識が網羅されていた。この中で、歩行者・自転車・高齢者・障害者などを保護するための安全運転の教則を私は知ることに

なる。交差点の横断歩道・自転車横断帯の前での一旦停止や徐行の徹底、左折時の手前からの左寄せ(合図と安全確認)、

交差点での左折小回りと安全確認、当然右折時には、センターラインへの右寄せとセンター内寄りの徐行と安全確認、この様

な運転教則は、私が免許取得時にはなかった。時代も変わり、交通事故減少の要請から、歩行者らの保護と二輪車・自転車との

接触事故防止など、安全運転が一層求められる状況に対応していると思った。S字やクランク・踏切や坂道発進は、過去の長年

の運転経験から何も問題がなかったと、と推察されたので、この進路変更や交差点での通行を徹底してやれば合格に近づくと

思い、上北沢自動車学校で最後の練習(4回目)をして2回目の仮免技能試験に臨んだ。


ところが、8月2日の技能試験はまたまた不合格だった。試験コースはDコース、試験車両はなんと、タクシー型の旧式セダン

だった。「え~っ! こんなロングノーズの車なんて最近運転したないよ!」といった所で後の祭り。とにかく運転しずらかった。

試験官は眼鏡をかけた若い男性で、今度は6人中の5番目だった。私は左折(手前での左寄せ・交差点での小回り・安全確認)

右折(手前での右寄せ・交差点中心の内回り・安全確認)を徹底してやったので、これらは上手く行った気がした。クランク・

坂道発進・踏切も無事通過、ところが、周回の直線道路先の急カーブで、突然試験官から「スピードの出し過ぎだよ!」と声が

かかり、次の信号矢印交差点で、右折右寄せ時に、片側2車線の黄色センターラインを跨いでしまった。「黄色線踏んじゃった

よ~!」とまた声がかかり、横断歩道手前の停止白線も、「ちょっと越えたよ!」との注意。あとは、ぐるっと回ってスタート

地点に直行し、S字は省略だった。この日の試験も、試験室を出た時には1人しか残っていなかったから、合格するのは相当

しいのを改めて理解した。これでは、何回受けたら技能試験をクリアするのか皆目見当がつかなくなった。根本的に作戦を

変えるか、プロの教官に力を借りるかしないと無理だと思い、見通しのつかない暗~い気持ちで家に戻ったのだった。


私のマイカー遍歴 4代目:VOLKSWAGEN ゴルフ 1600 5dr・ハッチバック(1985年新車) AT




発売以来9年を経過していたVWゴルフは、基本ボデー設計は変わらずに2世代目のリニューアルが施されていた。前後の
一体成型バンパー・パワステとAT仕様の追加・日本製エアコンの標準装備など、安心して乗れるスペックになっていた。熟成
した分、発売当時のきびきびした乗り心地は弱まったが、相変わらず使い勝手のいい車だった。このゴルフには4年間乗ったが、
2度の事故に逢い(1度は、都心の青山トンネルで私がBMVに追突、2度目は、目黒の交差点で右折待機時にスカイラインに
突っ込まれて。幸い怪我はなかったけれど。)、再び次のより安全な車に乗り換えることになった。画像は中古車ディーラーHPより


<この項つづく>


普通運転免許・再取得奮戦記(府中試験場)ーその5:仮免技能試験にやっと合格

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Googleの衛星写真とZENRINの地図をベースに、私が作成した府中運転試験場のコース図。試験で指示されるままに走行
していたコース内容をしっかり把握するのに大いに役立った。このコース図を見ながら、走行シュミレーションを試験時間の
直前まで続けた。コース開放を利用しての運転練習と併せれば、準備は整う。


2度の仮免技能試験に落ちて気落ちしていた私は、7月初めに負った右足ケガ(親指と親指付け根、土踏まずの腱を腫らして

の痛み発症)と、親しかった知り合いの孫一家の引っ越しが重なって、トリプル・パンチで意気が上がらなかった。試験の

時は、右足甲と親指をサポーターで固めて何とか乗り切ったのだが、痛みと腫れはようやく収まってきた。「こんなに

大変ならこのまま免許取得を諦めようかなぁ?」という悪魔のささやきもあったが、「せっかく始めたのだから最後まで

頑張れ!」という鼓舞もあった。よ~く考えてみて私が達した結論は次のことだった...

   『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず!!』

まず、ネットを利用して、同じ様な「一発試験」の経験者のブログを探してしっかり読んでみた。数人の方の経験記から

ヒント得て、以下のことが解った。①当試験コースは、毎週土曜日と祝日に、免許取得中の受験者に一定のキャリア

を持つ指導者同乗を条件に解放され、練習が可能なこと。②届け出教習所(公認でない自動車学校や教習所)の教官同乗に

よる運転教習が当コースで可能なこと。③届け出教習所では、失効・取消運転者に対しての教習コースを用意している

こと(6回12教程で約8万円位)など。④仮免試験では、縦列駐車と方向転換の課題はやらず、路上試験合格者が最後に

コースで実施すること。そうすると、S字・クランク・踏切・坂道発進に絞って集中すればいいことになる。➄受験者は、

技能試験(仮免・路上)前に、当試験開放コースで自主練習したり、プロの教官による教習を受けてから試験に臨んでいる

方の合格率は高いこと(それでも2~3回のチャレンジ当たり前のようだ)。参考のため、以下のブログ名を載せておき

ます(ここ1~2年に発表されたものです)。


『大陸人の夫と島国人の妻』:免許書き換えを忘れて失効した女性ドライバーの再取得受験記(府中)
http://ameblo.jp/negitoro1207/entrylist-1.html


『府中試験場 直接受験体験記』:ナ―ベラさん(取消になった男性ドライバー)の体験記
http://fkn-ippatsu.seesaa.net/category/23899760-1.html


『一発屋のための技能試験研究』:HAKUBAさん(男性)の大型一種等受験挑戦記(静岡県中部試験場)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hakuba/license/index.htm


8月8日(月)の8時30分に、府中試験場の開放コー受付に電話し、しばらく待って繋がったので予約を申し込んだ。お盆休暇

の最中だったせいか、13日と20日の予約が取れた(1通話1予約に限られる)。早速同乗指導員役のHIさんと連絡し、車持ち

込みと当日同乗をお願いした。開放コースは1日4時限で1時限定員25名、1日計100名まで練習できる、とのこと。もう一つ、

府中市試験場に近い公認自動車学校に連絡を取り、府中コースでの同乗教習ができるか確かめたら、どこも「そのよう

教習はしていません。」と冷たい返事だった。公認の学校は、生徒を集めてウン十時間の教習をする商売だから、確かに無理

かも?! では、ということで、届け出(非公認)の教習所に当たってみると、府中コースでの指導を専門にしている「サカイ・

ドライビング・スクール」(府中市)が見つかり、すぐ電話してみると、サカイさん(校長さん?)が対応してくれた。そして、

予約済の20日の2時限(11:15~12:15の1時間)に、教官が試験場までプリウスを持ち込んで来てくれることになった。

実際の試験車もプリウスで実施されることが多いのでこれは好都合だった。その都度払いコースの教習料:10,800円

(60分)をすぐ銀行振り込みした。コース使用料は別途2,200円(使用料+事故保険料)を受付時に試験場へ支払う。




教習の当日、おばちゃん教官のMKさんが用意してくれた府中試験4コースの中のAコース図、注意ポイントがピンクと黄色の
マーカーでしっかりと記され、運転の修正点・注意点を細かに指導してくれた。プロに頼んでほんとによかったと思った。


かくして、HIさんの車持ち込みと同乗指導で、試験と同じ府中コースをつぶさに回り(8/13)、仕上げにプロ教官の教習を同じ

コース受けた(8/20)事で、当面できる最大限の準備はできたように思った。特に、この府中コースを専門にしている教習所

の教官だけあって、指導は的確だった。

「左折時事前左寄せは、合図を出したら3秒間で①バックミラー・②サイドミラー・③左後方目視、その後でハンドルを切るように。

特に後方目視は、試験官の顔に自分の鼻先をしっかり向けること!」.....この辺り、安全確認と同時にハンドルを切っていたなぁ。

「交差点左折時も、合図を出したら3秒間で①・②・③の同じ安全確認をし、左サイドミラーと路端が交差したら一気にハンドルを

切る様に。左小回りはそれで上手く行きます。」.....そんなこと意識してハンドルを切っていなかったよぁ。

「右折時も、左折と同じように、合図出し、①・②・③で安全確認し3秒後にハンドルを切るように!」.....なるほど~!

その他にも、S字・クランクでのハンドルを切るタイミングや、坂道発進でのAT運転ではサイドブレーキやローギアチェンジは

必要ないこと、交差点や一時停止の白線では、ゆったりと50㎝~1m位の余裕で停止OKのこと.....昔私が習ったのは、

30㎝手前ピタリだった。等々.....


府中試験コースの特徴としては、外周道路と東西・南北に優先道路が配され、東西の優先道路2ヶ所に矢印信号と赤・黄点滅

信号がある。また、同じ幅の道路で信号のない交差点(左方優先)と、交差する優先道路を通過する信号のない交差点(徐行)

では走行の仕方も違うことを教えてもらった。その他、各所に交通法規に基づく信号や標識が配されているコースを走って色々

注意点の説明を受けた。1時間びっしりやったら、頭はしびれ足や腿が疲れたが、台風の影響で土砂降りの雨、コースの

カーブはプールの様な水たまり、路面の白線も見えないような大変な天気の中だったが、教習料は高いと思わなかった。


そして、3回目の仮免技能試験の当日(8月23日)、私は8人の普通AT受験者・Aコースで2番目に受験し、走行後、小柄で

若い眼鏡の試験官から、笑顔とともに、『合格です、おめでとうございます!』の託宣をもらった。『ああっ、ありがとうございます!』

と言いながら、『何か、減点個所はありましたか?』と訊ねると、『左後方目視の安全未確認が1か所だけありました。99回OK

でも、たった1か所の確認ミスで重大事故に繋がることもありますから、今後も万全な安全確認をして下さい。』と言われた。

その日の合格者は、普通AT3名とかなりいい成績だった。お昼近くまで待機して、仮免許証発行を受け、本試験の説明を

聞いてから帰途となった。結果を心配して試験場内で待っていてくれたHIさんと、合格の喜びを分かち合うことが出来た。

敵を知り、己を知れば、百戦危うからず! 困難ではあったが貴重な体験だった。


私のマイカー遍歴 5代目:ISUZU ジェミニ・セダン DIESEL 1800(1989年中古) AT




オイルショックによる1980年代前半の石油価格高騰に懲りて、ラニング・コストの安いディーゼルカーを入手した。この当時
神奈川県湘南地区での仕事が多かった私は、事務所を移した八王子と取引先のある逗子との往復が多く、この車が日常の
足となった。良く走ってくれたがごく普通の車だったので、運転感覚はさておきでコスト優先だった。中古車の経たり(サスペン
ションの劣化)で乗り心地も悪くなり、結局3年乗って手放してしまった。車体色は2代目VWゴルフと同じライト・ブルーに塗り
替えた。画像は中古車ディーラーのHPより。4drが見つからなかったので、2dr車を載せてある。


<この項つづく>


晩夏の多摩川・オイカワ毛鉤釣り-2

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『晩夏の多摩川・オイカワ毛鉤釣り-2』 YouTube動画より。釣り人・撮影・編集 by 釣楽人タカ


夏も終わりである。8月は台風の連続アタックで、日本列島各地は大雨と強風に見舞われ、特に東北太平洋側と北海道中部

に大きなな被害をもたらした。地球規模の気象異変は、予測が困難なケースが増え、気象予報士を悩ましているが、我々

生活者にも大きな不安をもたらし、防災対策と非常時の避難を心がけねばならない状況に否応なく置かれているのだ。


で、釣りの話である。その大雨のお蔭で、近所の多摩川は最近になく増水し、雨後は濁流が溢れた。一応堤防の補強や

治水対策のお蔭で、危険水位まで水が達することはないのだが、雨後に増水の状況を見に電チャリで堤防の上を走って

みたら、ちょっと怖いくらいの水量が普段にはない川幅で流れていた。その水も3~4日経ってやや落ち着き、水色も濁りが

取れてきたので、久し振りに川に繰り出してみた。オイカワの産卵期もそろそろ終わりに近づいている。大量の水で洗われ

た川底の石は、コケや汚れがきれいに流され、何時になく水は澄んでいた。こういう川姿に出会えるのも嬉しい気がする。




毛鉤にアタックしてきた2匹のオイカワ(オス)、魚体の婚姻色が鮮やかだった。針掛かりした時の引きがとても
大きかったので、大物か? と思ったが、こんな風に2匹一緒に釣れるのはとても珍しい。


この朝は、川の中心の流れがかなり強かったので(増水のため)、流れの脇の澱みやゆるやかな流れ個所に毛鉤を流し

てみた。次々に毛鉤にアタックしてくるオイカワに、小一時間楽しませてもらった。春から夏にかけて良く釣れたアユは、

上流に移動してしまったのか、ほとんど姿を見ることができなかった。良い釣りができるのも、初夏から夏の終わりまでの

ほんの一時だけだ。その時期でも、渇水期はなかなか魚の姿は拝めない。「雨後の増水を狙え!」という釣り人のセオリー

があるが、その朝は、まさにその言葉通りの釣り日和だった。恐らく、魚も、増水時の空腹(大量の水では泳ぐにも体力を

消耗するし、濁って餌の姿も見えないだろうから)と、雨後の捕食に食い気が立っていたのかもしれない。片手で竿を操り、

片手でデジカメ撮影するのもなかなか制約があって大変なのだが、ちょっと面白い動画が撮れたと思っている。



朝6時の曇り空だったので、光も少なく実際はもっと暗いのだが、画質調整した多摩川の風景。夏も過ぎゆく...



普通運転免許・再取得奮戦記(府中試験場)ーその6:路上練習と学科本試験

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「仮免許練習中」の表示シートを車体に付けて、路上で運転練習中の私。試験場からもらった用紙をコピーし、雨天時も
OKなように透明クリアシートに入れて密封し、裏側にマグネットシート装着で取り外し可能にした。実際は車体の前面と
後面に各1枚づつ取り付ける。 Photo by HI


仮免許取得の後は実際に街中を走行し、路上練習を1日2時間×5回以上行って、申告書にその詳細を記さなければなら

ない。もちろん、免許取得から3年以上の運転履歴を持つ指導者の同乗が条件だ。私は今回の免許再取得協力者のHIさん

にそれをお願いし、車も提供していただくことになった。ではまず、府中試験場の周辺を練習してみよう、ということで、

8月の最後の週末(27日・土と28日・日)の2日間、東八道路や多磨霊園周辺、小金井街道や甲州街道(20号線)を走行練習

してみた。次の週には、多摩地区の丘陵地帯の道路(30日・火)、川崎市の丘陵地帯と地元狛江の市街地域(31日・水)、

最後に再び府中試験場周辺を走った(9月3日・土)。同乗指導役のHIさんによると、『上北沢で乗り始めた頃は、急ハン

ドルや急ブレーキもあったけれど、車になれたせいかスムーズになったね。違和感はほとんどないよ!』と評してくれた。

私自身も3回の仮免試験の間に大分運転感覚を取り戻したようで、走行ラインもスムーズなハンドル操作で描けるように

なった。アクセルとブレーキの踏みしろ・効きしろの感覚もはっきりしてきた。これで、学科の本試験と技能試験(路上)

に臨む準備が一応整った。


学科試験の準備は、前述の『学科試験問題集』を一通り見直し、間違った個所をよく覚えるようにした。道路標識や道路

標示も再確認したので、これで大丈夫、と言う気持ちになった。9月になって朝晩も涼しくなり、心なしか秋風の気配

感じるようになった日(9月6日)、例によって早起きし府中の試験場に向かった。受付で用紙をもらい、本免許の学科

試験の申し込みをした(2,200円)。すぐ適性検査(視力・色弱など)を済ませて、3階の試験室に入った。仮免10名程、一種・

二種合わせて30名程の受験者だった。95問(5問はイラスト付きの危険予測問題で、1問中3つ正解で2点となる)・100点

満点中90点で合格。仮免は50問中45問正解で合格。50分の5分前に、マークシートと試験問題を試験官に渡して退室した。

実際に合格発表で残ったのは、40人程の受験者中10数名だったから学科試験も結構難しいのだ。1時間程待機した後の

合格発表で、電気掲示板に自分の受験番号があったのでほっとした。その後の本免技能試験(路上試験)の予約は、火曜日

の空きが3週間後しかなかったので、ここまで来たら急いでも仕方あるまいと腹を決めて、9月27日に受験予約を取った。

ほんとに、もう一息のところまで来たなぁ、という実感があった。

 
私のマイカー遍歴 6代目:VOLVO ステーションワゴン GL ESTATE 2300(1992年新車) AT




2台目のVWゴルフが2度の事故に見舞われ、幸いなことに怪我は免れたが、車は安全で頑丈なものにしようと思いこの
VOLVO・ステーションワゴンを入手した。その当時、百貨店の画廊や各地の催事場で、絵画展や写真展を開催すること
多かったので、車の後部座席を倒して広い後部スペースに作品を積み込んで各地の画廊に出かけることがよくあった。
30枚位まで額入りの作品を積めたので、その収容力は抜群だった。乗り心地も良くパワーもあったので、運転することが
楽しかった。今でもこのの良さを懐かしく思い出す。゛上質゛と言う点では、運転したマイカーの中でも一番だったと
思う。足かけ3年間日常の足となってくれたが、バブル崩壊後の絵画需要も少なくなり、維持費や税金も嵩んだのでやむを
得ず手放すこととなった。深い紺色の車体色も落ち着きがあって好ましかった。画像は中古車ディーラーのHPより。


<この項つづく>

野辺山・秋雨紀行 その1

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秋雨と霧に煙る早朝の八ヶ岳の眺望、裾野がわずかに姿を現しているが、山の頂きは隠れていた。でも、ほぼ180度
何も建物がない視界の広がりは、高原の緑に埋め尽くされた素晴らしいものだった。 All Photo by TAKA


夏の終わりには、どこかへちょっと旅をしたいと思うのだが、この時期は夏の暖気と秋の寒気がせめぎ合う気候と、台風の

襲来が重なり、断続的な雨に見舞われることが多い。いわゆる「秋雨前線」ですね。それでもやはり何処かへ出かけたくて、

今年も高原の野辺山(清里や信濃川上を含む)にやってきた。私のお目当てとしては、千曲川上流での渓流釣りと八ヶ岳

高原のひんやりとした空気、美味しい野菜をたっぷり食べることと、車の路上運転練習(高速道路走行と山間部の道路走行)

などだった。私の遅い夏休みに同行してくれた趣味友・兼運転指南役のHIさんは画材を持参したが、雨天のため今回は

残念ながらスケッチができなかった。

その日(9/12)は朝10時ごろ都内を出発、甲州街道をしばらく走って調布で中央高速に入り、そのまま長坂まで。NAVIの

示した道は、通い慣れた141号線(佐久往還)の一本西側の街道だったが、道巾も広く走りやすかった。どちらかと言うと、

出発点と到着点を直線的に結ぶ道(地図上では最短距離)を示す傾向のあるNAVIだが(HIさん談)、時折えらく狭い道路

商店街を通らされることもあるので注意が要る。でも、今回はなかなかいい選択だった。「たまにはいい道を案内するわ

ねぇ!」と言っているうちに野辺山に到着。ここからは運転を代わって、高原の野菜畑と信濃川上に続く山間部を私が運転

練習した。キャベツやレタスの広大な畑の中を走る道は、時折『農作業車優先』の表示板が掲げられており、どでかいトラ

ターや11トンの大型貨物車が走行していた。長い間(20年間ほど)車の運転から遠ざかっていたのに、古希を前にしてその

封印を解くことになった私は、すでに4年前に、少年の頃と30代に親しんだ釣りの封印も解いてしまった。しかし、毎日

車に乗って運転していた感覚は大分戻って、ハンドルも手になじんできている。



千曲川上流・信濃川上御所平の川原にて、テンカラ釣りでイワナとヤマメを狙う゛釣楽人タカ゛。川水は澄んで冷たく
(16~17℃)、川石も苔が付いてなくてきれいだった。 Photo by HI



出発前の一週間程は、天候の予測が定まらずヤキモキしたのに、この日は午前中は陽も差すいいお天気で、午後からは

やや曇りがちになった。御所平の古い傾きそうな商店で、店番のじい様から日釣り券を購入し、ついでに川相や放流の状況

などを聞き、すぐ近辺の赤顔橋(゛あかづら橋゛というそうな)から入渓してみた。千曲川の上流域は、信濃川上から梓山辺り

まで、川は護岸提と堰がつづく゛ざら瀬゛で、高原の村落と畑の中ををゆるゆると流れている。比較的入渓しやすい川筋なの

を過去に経験しているので、不安はなかった。冷たく澄んだ水の中に、餌釣り(ブドウ虫)で仕掛けを流し、次に毛鉤に変えて

テンカラ釣りを試み、少し上流に移動して毛鉤を数個付けたウキ流しで魚を誘ってみた。しかし、まったく当たりはなく、

魚影も見られなかった。大きな岩や渕もない開けた川でいく通りかの釣りを試み、1時間半程で竿を収めたが、ちょっと気落

ちした。シーズン初めに放流したイワナも釣り尽されたか、はたまた釣り人が多く魚も摺れているのか、あるいは住む魚が

減ってしまったのか...いずれにしても渓流魚に遭遇はできなかった。昔一緒に遊んだ゛ともだち゛にまた会いに来た

のだけれど、残念! しかし、山間の鄙びた村を流れる川では、昔遊んだ「小鮒釣りしかの川」は、ただ想い出の中にあるだけ

のことなのかもしれない。細かい霧雨が舞い始めた千曲川を後にして、今夜の宿泊先ホテルに向かうことにした。







『白樺洋食コース』の中の「信州サーモンのカルパッチョ」(上)と「和牛ステーキ」(下)の二品。魚もお肉も大変美味し
かったが、『農園レストラン』を名乗るここの地場野菜がことのほか美味! 特にトマトとナスの付け合わせは逸品だった。


HIさんから聞いていたこのホテルは、古くてちょっと綺麗じゃないけれど食事はすごくおいしい、ということなので楽しみに

していた。ホテルの駐車場に車を入れると、外装が結構きれいになっていた。案内された部屋に続く回廊もきれいだし、部屋の

内装もきれいになっていた。食事の時に年配のサービス係に聞いてみたら、ここ10年程で各所に手を入れて内外装を一新

した、とのこと。八ヶ岳全体を部屋から前面に見られる絶好のロケーションは、古いホテルならではの立地だし、部屋のレイ

アウトも、ゆったりと作られているのが好ましかった。新しいホテルだと、効率一辺倒で何故かゆとりがないのだけれど、この

くつろぎ感は◎だった。早速大浴場でゆっくりとお湯に浸かった。夏の疲れがゆるゆるとお湯に溶け出していく心地がした。

受付の時に、和食と洋食の中洋食を選んでおいたのでレストランへ行ってみると、そこは『農園レストラン・和(なごみ)』と

いう名前で、地場の取れたて野菜と甲州ワインを楽しめる店だった。オードブルからデザートまでの六品を、生ビールと赤

ワインでゆっくりと味わった。食事中に前述の年配サービス係の女性が来て、「またお越しいただきありがとうございます。」

と挨拶していった。恐らく、ゲストブックから数年前にゴルフに来た時の名前を確認してのことだとHIさんは言っていたが、

客のおもてなしの在り方としては、なかなか気持ちの良いことだった。「前は、食事のサービスも旅館の宴会みたいで、あまり

いい感じではなかったけれど、大分変ったわよ。」と続けて感心していた。20数席あるテーブルも空いていたのは1席のみ、

秋雨の天候にも拘らず宿泊客の多さが目立った。満腹・満足の後部屋に戻ると、窓の外は小雨の音がパラパラと聞こえた。

その音を子守唄代わりに、ぐっすりと寝てしまった。





レストランの入口に飾られていた吾亦紅の鉢活け、高原はもうすっかり秋なのだ。


<この項つづく>


野辺山・秋雨紀行 その2

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信州峠と塩川ダムの山道を走行後、広い棚田が拡がる長細い平野に到着、車を止めて水稲が黄色に色づいた様をしばし
眺めた(地図で見ると後藤田辺りか?)。山々は霧に隠れ、細かい雨が断続的に舞っていた。 All Photo by TAKA


夜半に喉が渇き冷水を一口飲むと、窓の外の暗闇には強い雨音が聞こえた。「朝の釣りは無理だな?」と思い、再び眠りに

落ちた。翌朝の朝食はバイキングスタイル、和洋取り混ぜのおかずや玄米粥をゆっくり食べながら、少し上流の千曲川の

様子を見てから、韮崎にある『大村美術館』を訪れてみよう、と予定を決めた。ホテルのフロントで取れたて野菜を販売して

いたので、新鮮なレタスとトマトを2人でお土産に購入した。昨日通った道を再び走り出すと、雨脚が強くなり、野菜畑の道

は水が溜まって所々プールのようになっていた。排水溝がない場所では、道路の溜まり水を跳ね飛ばすようにして走らな

ければならない。昨日の釣り場近くの道路も、雨水が滝のような勢いで流れていた。運転していたHIさんも、これでは危険

なので引き返そう! ということになり、上流の川の様子見はまた機会を改めることにした。

NAVIで韮崎を設定し、再び走り出したのだが、野辺山の手前で山道を登る方向に案内された。とりあえずNAVIの通りに

行ってみよう、と進行してみたが、これがとんでもない急坂の山道だった。途中すれ違う車もなく、道は全て舗装されては

いたがとにかく急坂と急カーブの連続だった。「よくこんな所に道路をつくったよなぁ!」と驚いたが、運転するHIさんは慎重

にスローでとにかく山を下りた。後で地図を見てみたら、その街道は釜無川と塩川に沿って黒森や塩川ダムを通過し、川上

村から須玉に抜ける道だった。もちろん私も初めてだし、直線距離で近いとはいえ「とんでもない道を案内してくれたわねぇ!」

 とHIさんも呆れていた。まあそれでも無事目指す『韮崎大村美術館』に到着したのだった。

教訓①:「山の天気は変わりやすいから無理しない!」、教訓②:「NAVIの言うことを鵜のみにしてはならない!」




韮崎市の西方高台にある『韮崎大村美術館』エントランスの景観、館長は2015年のノーベル医学・生理学賞を受賞
した大村智氏、個人の長きにわたる美術品コレクションを韮崎市に寄贈して、2007年にオープンした。晴れた日には、
霊峰富士山・八ヶ岳などが庭園や2F展望カフェから臨めるとのことだが、当日は山々が霧に煙って見えなかった。
下は、当館でもコレクションが充実している堀文子作品が印刷された入館チケット。建物画像は当美術館のHPより。



須玉から20号線に入り、釜無川に架かる武田橋を渡って丘を登っていくと、山裾の高台に『韮崎大村美術館』はあった。駐車

場には大型バスが一台止まっていて、団体ツアーらしき一群の人たちがぞろぞろと入館していた。高台からは韮崎の街が

眼下に広がっていたが、1時間もあればゆっくりと作品を鑑賞して展望カフェでお茶も飲めるこじんまりとした規模の美術館

だった。収蔵作品は大村さんが1点1点想いを込めて集めたと言うだけあって、上質でユニークなコレクションだった。ご本

人は、長らく北里研究所の所長を務めながら、女子美術大学の理事長も兼務されてきただけあって、コレクションの中に

女流美術家の作品が多く収集されていた。特に、堀文子の作品は充実していたし、1Fの展示室でも、片岡球子や上村松園

(日本画)、三岸節子(油彩)や佐野ぬい(抽象画)を見ることが出来たのは楽しかった。また、2Fの展示室に上がってみると

挿絵画家としてまた油彩画で著名な鈴木信太朗の部屋があり、作品とともに多くの装丁本がショーケースの中に収められて

いたので(その多くは文芸本)、それを見るのも面白かった。


ひと通りコレクションの数々を見終わって車に戻ったのだが、私は来る途中に直ぐ近くの『武田八幡宮』の信号表示が気に

なっていたので、ちょっと覗いてみようと思った。美術館の北隣の一角にそれはあった。古木の鳥居の前にある駐車場に

車を入れが、坂の上の神社脇にも駐車場があることが解り、そちらに廻ってみた。小雨がぱらつく中、樹齢千年以上の杉

古木の脇にある小さな石鳥居を潜って見ると、そこには総門・舞殿・拝殿に続く本殿が、古い石階段の上に静かに建って

いた。総門は丁度改装工事中で組まれた足場で覆われていたが、嵯峨天皇の時代(822年)に端を発し、戦国時代の武将

武田信玄が本殿を再建した(天文十年・1541年)と伝えられるこの神社は、武田家の発生・終焉の地に建つ神社として今も

崇敬されているとのこと。(『神社記憶』武田八幡宮より)





武田信玄家紋の「四割菱紋」の垂れ幕が掛かった本殿、小雨の中で静かな佇まいを見せていた。


山梨県民の尊敬を今も得ている武田信玄は、勇猛な騎馬軍団を率いて天下統一に名乗りを上げ、志半ばで倒れた悲運

の武将として知られている。一方六文銭の旗印とともにNHK大河ドラマ・『真田丸』に登場する真田一族のように、その

歴史的遺産の城や街・菩提寺などが全国的に知られれば、もっと多くの観光客や興味を持つ人々がこの神社を訪れる

だろうが、今は静寂の中にひっそりと佇んでいるのが心に染みた。

さて、帰路の韮崎から中央高速の談合坂SA(この高速を通り始めたころ、私は「だんござか」とうろ覚えしていたが、)までは、

私が高速道路走行練習にハンドルを握ることになった。とは言え、何度となく過去に通った道なので不安はなかった。平日で

空いた道路では、後ろに「仮免許練習中」表示を付けた車を、トラックも普通乗用車も軽自動車も追い越してゆく。たまに80㌔

以下で走行している車を、左走行車線から追い越し車線に移り、加速して追い越すのもいい練習になった。山間で降って

いた弱い雨もなく、道路は乾いていたのでとても走りやすかった。HIさんの愛車ホンダ・フィットは、坂道でも加速が良く、

車重とエンジンパワーのバランスの良さを感じたし、何よりもハイブリッドで燃費がいいのを気に入っているそうな。1時間

程走行して談合坂SAで軽い食事をとった。二人でラーメンを食べたが、最近のSAフードコーナーは、何を食べてもそこ

そこおいしいので感心する。「サービス競争が激しいから、出店しているお店はそれなりのものを出すわよ。(HI談)」との

こと。納得。談合坂から私の自宅までは、HIさんに運転してもらい、野辺山への秋雨旅行を終えた。一時的な集中豪雨にあった

り、急坂の山道を走ったり、目指す渓流のイワナにも会えなかったりだったが、高原の景色と美味しい食べ物を満喫した旅

だった。車ごとお世話になったHIさんには、とても感謝している。

<この項終わり>

普通運転免許・再取得奮戦記(府中試験場)ーその7・最終回:本免許技能試験(路上)

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通い慣れた府中自動車試験場、今回の路上試験合格で後は免許証発行に来るだけとなった。フォトははGoogle画像より


本免許技能試験(路上)の日(9月27日)、例によって朝早起きし8時過ぎには本館西側の路上試験の待合所についた。

手数料の3,100円(受験料と貸車代)はすでに申し込み時に支払っていたので、8時30分からの説明を聞いてスタートと

なった。受験手続きの結果、順番は1号車の4番目となったが、2・3号車の受験者の欠席があり試験官の案内で2号車の

3番目にスライドした。試験官は白髪の長身男性だったが、試験車に3人で乗り途中で交代しながら、試験場周辺の道路

運転した。すでに仮免許中にこの周辺道路は数回運転練習をしていたので心配はなかった。20代後半の女性と30代

前半の男性、そして古稀手前の私が、試験官の指示でコースを周った。試験場前の東八道路(対向2車線の広い道路)から

途中右折し、味の素スタジアム周辺→甲州街道(20号線)→府中の住宅街→調布飛行周辺→東八道路→試験場というよう

なコースだった。

私は最後番だったが、途中で道路工事中の個所が3か所もあり、交通整理員の手旗信号に従って慎重に片側車線を走った

りした。東八道路に戻る信号で右折車線に入り、対向右折車を待っている時にトラックの影から小型乗用車が飛び出し

てきてはっとしたが、少し前進しようとする前に踏みとどまって事なきを得た。ちょっとそこだけが減点対象だったかも

知れない。試験を終えて待合所に戻り、試験官から3人とも合格を告げられた。すぐに試験場内のコースで方向転換の試験

をした。縦列駐車か方向転換のどちらかを路上試験合格者が受けるようになっているのだ。20代女性は慎重にゆっくり

運転し途中2度の切り返しをして汗だくになりながらもクリアした。30代男性は手馴れた風で一発でクリアした。私は

試験車のプリウスで方向転換をするのは初めてだったため、バックの感覚が今一つ掴めず切り返しを2度したが何とかクリ

アできた。白髪の試験官は、試験終了後各自に運転注意点を丁寧に説明してくれた。私はやはり、右折時の注意点として、

完全に安全確認ができるまで待ってからの右折でいいことと、方向転換のハンドルさばきをもっとゆっくりでいいことを

指摘された。おとなしく「はい、はい。」と拝聴したが、とにかく合格だったので喜びが湧いてきた。


その後、本館に戻って義務付けられている取得時講習の手続きをしたが、その場で自動車学校一覧表を渡され、講習の

電話予約をした。驚いたことに自宅近所の自動車学校(和泉自動車学校と調布自動車学校)は、1か月先とか2か月先で

ないと受けられないとの返事だったので、受付警察官に話してみたら、近くの東小金井にある尾久自動車学校なら週末の

日曜日に講習可能と聞き、10月2日に講習を受けることになった。朝から夕方まで1日缶詰で、交通法規の注意点や運転

シュミレーション、救急救命などの講習受けるとのこと。講習料13,700円(高い~!)を支払い予約ができた。後は講習

を受け、講習終了証をもらってからここで運転免許証を発行してもらえば、免許取得は完了する。


6月14日に売店で「学科試験問題集」を購入してスタートした私の「普通運転免許再取得」は、約3ヶ月半で終わることに

なった。久し振りに何かに集中して頑張った日々もこれで終わるとなると、一抹の寂しさのようなものを感じることが、我な

がらちょっと不思議に思えた。免許証を手にしたら、相乗りなりカーシェアなどで何処かへドライブに行くのもいいな、

と思っている。無理のない安全運転でドライブを楽しめれば、いい気分転換にもなるだろう。警視庁の白書によれば、国内

の免許保有人口は、凡そ8,000万人前後でここ数年推移しているが、自動車学校卒業者はここ10年で15%減少、教習所と

教官も減少傾向(約10~13%)、運転免許試験合格者は248→205万人(18%減少)と、完全に縮小市場になってしまった。

運転免許ビジネスは、斜陽産業と言われても仕方ないだろう。20代の若者の自動車離れ・新規免許取得の減少が、その流れを

加速させるに違いない。そんなご時世に、私ごとき高齢者が運転免許を再取得したのは結構珍しい事例かもしれないが、

せっかく免許証を手にするのだから、車を移動の手段として、また道具として、ドライビングを楽しませてもらおうと思って

いる。7回の連載もここで終了とし、最後にかかった費用についてメモを残しておきます。


【 普通運転免許・再取得費用】
「学科試験問題集」                       1x740=   740
仮免許学科試験手数料                                 2,850
仮免許技能試験手数料              3回×4,400=13,200
仮免許証発行手数料                                    1,100
貸コース使用料・貸車代 4回×2,050+1,350= 9,550
開放コース使用料                     2回×2,200= 4,400
ドライビングスクール教習料                        10,800
本免許学科試験手数料                                  2,200
本免許技能試験手数料                                  3,100
普通運転免許証発行手数料                             2,200
取得時講習料                                            13,700   合計63,480円


その他、試験場・自動車学校への交通費(バス・電車)が凡そ1万円かかり、仮免許時の路上練習での同乗教習指導料と

貸車代は、趣味友HIさんに協力していただいたので、何かの機会にお礼をと考えている。これも、プロ教官に頼んだり、

レンタカーを借りたりすれば、それなりの費用が発生する。


私のマイカー遍歴 7代目(最後):NISSAN アべニール・ステーションワゴン 1800 (1995年新車) AT




マイカーの最後は、国産のステーションワゴンだったが、走りも使い勝手もなかなか良い車だった。日本では、こういう
大人味の車はその当時需要が少なかったと思うが、人と荷物を沢山載せて移動するには、ステーション・ワゴンの良さが
身に染みていたので愛用していた。だが、経営していた会社を畳んで1サラリーマンに戻ったので、この車に乗ることは
多くなかったし、2年間乗っただけだった。リアの丸っこいラインに愛嬌があった。車体色は深い紺色だった。画像は中古
ディーラーのHPより。



<この項終わり>

初ドライブは佐島マリーナヘ

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佐島マリーナ入口脇にある天神島臨海自然教育園(ややお堅い名前!)から眺めた富士山の姿、久し振りの晴れ日
だったが霞がかかっていてボヤッとしていた。これから秋も深まれば、頂上の冠雪が美しくみられるに違いない。
風も穏やかで、波の音を聞きながらゆったりと眺めを楽しんだ。 All Photo by TAKA


10月2日にこの夏中かけて取得した運転免許証がようやく手に入ったので、早速初ドライブに出かけた(10月3日)。さほど

遠くなくて初秋の海を見ながら、地元で取れたおいしい魚料理を食べたいと思い、何度か出かけたことのある湘南の海辺

スポットの中、久し振りに佐島マリーナを訪れてみた。朝早めに家を出発し、HIさんと合流してから16号線→保土ヶ谷バイ

パス→横浜横須賀道路と自動車専用道路を走り、横横インターで一般道に降りた。ナビが案内する道は、三浦半島をから

西へ大楠山を縦貫する初めて道で、トンネルや道路も新しかった。出発から約1時間で10時過ぎには佐島マリーナに着いて

しまったのにはちょっとびっくり。平日の朝早めという事もあり渋滞には全く引っかからなかった。雨と台風続きの9月の

気候と違って、この日は雲間から陽が降り注ぐいい天気だったが、日中は30度を超える夏日で蒸し暑かった。


佐島マリーナに入る天神橋を渡る手前に、小さな魚料理店があったので車を一旦止めて覗いてみると、若いお兄ちゃんが

水槽の前で魚を捌いていた。氷水の入った白いスチロール箱の中には、カワハギやカマスがどさっと入っていた。「お店の

開店は何時?」と訊ねると、「11時半からです。」と返事があった。よし、昼飯はここにしよう、と決めてマリーナの入口

に行って見ると、すぐ脇に『天神島臨海自然教育園』の建物があり、駐車場もあったので(受付で駐車表示シートをもらい

運転席の見えるところに置く)車を入れてから見学することにした。お昼までにはまだ間があるし、ゆっくり海を眺めるのも

いいか!と思って寄ったのだが、ここはとても素敵なスポットだった。




自然教育園の建物(ビジターセンター:フォト上)と入口(フォト下)、Internet・サイトFC2他より。




ハマカンゾウと、遊歩道からのビジターセンターと佐島マリーナの景観(下)、花図鑑他より。



天神島は、自然林が残る一角に木造りの小さな天満宮が祭られており、その周りの砂浜にはハマユウ(ハマオモト)やハマ

カンゾウ(オレンジ色のユリ)・ハマボウ(トロロアオイのような黄色花)などの海浜植物が多く生息している希少地だ。残念

ながらシーズンが過ぎていたのでハマカンゾウしか見られなかったが、隆起して残る奇岩が島の周りを囲っていて面白い

風景が楽しめた。三浦半島南端の城ケ島も奇岩で有名だが、ここ天神島の方が内海で穏やかなので、ゆっくり見られる

気がした。岩々の間にはサザエ・アワビやカニ・ヒトデなど海浜生物が一杯いるので、学校の自然観察授業やファミリー

での海遊びに訪れる人も多いとのこと。ビジターセンターはそういう人たちのために、種々の資料や生物標本などを備えて

学習できるようになっているのは、貴重な施設だと思った。海で漁をしている白い漁船の向うに、霞がかかった富士山が

遠望できた。9月終わりの初冠雪(少量の雪だったとか)はまた解けてしまったのか、頂上の白雪は見られなかった。凪の

穏やかな海で、潮騒の音を聞きながら午前中の明るい陽射しに輝く波面を眺めた。園内のベンチからは、天神島に続く笠島

の向うに江ノ島や逗子の浜辺が遠望できた。奇岩にはサザエの子供がびっしりと付き、小ガニが岩の影を走り回っていた。



佐島マリーナ・かねき鮨で食べた「おまかせ丼」、焙りサワラ・アジ・ハマチ・ホタテ・マグロ・出汁巻き卵・釜揚げシラス
など旬の刺身がたっぷり載った海鮮丼だ。その日のいいネタをお店にお任せで盛ってもらうので、旨いことこの上なし、新鮮で
プリプリした歯ごたえを大いに満喫した。味噌汁に入った三浦大根とサワラも絶妙だった。私が食した海鮮丼の中でも、ベスト
スリー間違いなしの味だった。HIさんもおいしい! と完食だった。画像は「食べログ」より。


昼食後、少し佐島マリーナの周りを見てみようと思い車で移動した。真昼時のマリーナは海面が陽ざしにキラキラと輝き

まぶしかった。夏日の蒸し暑さはちょっとうっとうしかったが、明るい陽射しは久し振りだったので気分が良かった。

帰りは、私が運転することになり、逗子から鎌倉を抜けて朝比奈から横横道路に入った。鎌倉の若宮通りの段葛が様相を

一変していた。傷んだソメイヨシノをすべて伐採し、長身細長の新しいサクラの木に植え替えられていた。遊歩道も車道

より1m以上上げられていたので、段葛が生い茂ったサクラの葉や枝に覆われるのは大分先のこととおもわれた。ヤレヤレ!

と、ちょっと落胆したが、今後のサクラの生育と段葛の景観復活にに期待したいと思う。初ドライブのいい一日だった。





夏シーズンが終わった佐島マリーナは、静かな佇まいだった。


最近の歌会から

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新宿のカラオケハウスで音合わせする『タカ and ダブル・エイチ(TAKA and WH)』のトリオメンバー、右よりタカ・
原ちゃん(1H)・hirokoさん(2H)、午後の明るい陽ざしの中で高層ビル街がガラス越しに見られる心地よい時間だ。
All Photo by TAKA


この夏は、運転免許再取得のために多くの時間を取られたため(このブログにも7回の連載をアップしたが)、歌会の記事

はほとんど載せられなかった。ギターやウクレレを弾き語りしたり、好みの歌の譜面を作ったり、ともに音楽を演れる
 
メンバー達と集ったりすることは、日々楽しみとなっているが、少しさかのぼって最近の歌会についてちょっと触れて
 
みたい。
 
『タカ and ダブル・エイチ』は、原ちゃんのマンドリン・ソロとhirokoさんのピアニカ・ソロ、それに私のギター伴奏
 
と歌を組み合わせたユニットで、基本的にはトリオなのだが、ゲストメンバー(ピアノとかの他楽器)が入る時は、『タカ
 
andダブルエイチプラス』となる。まことにゆるい編成トリオだが、要するにメンバー同士でどうにでもなるという
 
ユニットなのだ。月に1回程度の音合わせをしているが、これがなかなか楽しい。新宿のカラオケハウスに週末の午後
 
集うのだが、窓越しに外の高層ビルの景色が見える部屋を予約するので、明るくてまことに気持ちが良いのだ。最近は、
 
夜遅くのライブハウスで、酒とたばこの匂いに塗れるのは何だか不健康で疲れるので気が乗らなくなっている。


課題曲の編曲は私が担当しているが、譜面ソフト(プリント・ミュージック)を駆使してパート譜を作るので、それぞれ
 
が弾きやすい譜面を用意する。パート譜も4枚続き(A4)ともなると譜面台一杯に拡がるので、これがちと難点ではあるが。
 
トリオのレパートリーは、『第三の男』(映画『第三の男のテーマ曲』・恵比寿ビールのコマソンでもよく知られている)、
 
『ムーン・リバー』(これも、オードリー・ヘプバーン主演の映画『ティファニーで朝食を』のテーマ曲)、『スカボロー
 
・フェア』(サイモンとガーファンクルのヒット曲、古いイギリス民謡の詠唱版)、『黒いオルフェ』(これも映画の主題歌
 
でボサノヴァの名曲)等々。ふたりのHさんはコーラスも得意なので、私のオリジナル曲『ブラッドムーン』も歌とコー
 
ラスでレパートリーに加えている。
 
インストの場合は、原ちゃんのマンドリン・ソロにhirokoさんのピアニカ・オブリガードを重ねて伴奏を私がするのだが、
 
歌バージョンの時は、私のギター弾き語りにマンドリンとピアニカが加わる。何回か音合わせを重ねて来たら、段々ハー
 
モニーが出来上がってきた。まず、自分のパートをしっかり弾けるようになると、伴奏や相手の音と歌も聞こえるように
 
なり、全体の音がまとまってくる。これがとても気持ち良いのだ。音楽を一緒にやる醍醐味といえるだろう。その内3人
 
で、他の歌会や集いに参加して、私達のレパートリーを披露しようと目論んでいる。原ちゃんはクラシックの合唱団を
 
しながら、マンドリンも2年ほど前から復活演奏し、老人ホームへの慰問演奏もしているというし、hirokoさんは絵画
 
グループで絵を描きながら定期的に作品展に出品しながら、最近ピアニカを演奏始めた。だから、高校同期生同志の元気な
 
面々が3人で演奏するときは、『We are 古稀~ず(Kokeis)!』と言ってトリオの紹介をしてから始めよう、と思っている
 
(アハハ!)。




久し振りにサイトウさん(Trampet)と音合わせした。ジャズのスタンダードナンバーを歌ったり・演奏したり、
とても楽しかった。(画像は他の歌会のもの)


この所、椿珈琲店でのどようかいは、某バンドのリハやらなんやらで、ゆったりと歌いたい歌を唄ったり、他の方の好みの

歌を伴奏して一緒に楽しむ雰囲気がなくなってしまったので、しばらくお休みしていた。サイトウさんから連絡があった
 
ので、久し振りに店を訪れてみた。演った曲は、『I Remebar Cliffrd 』(アート・ブレイキーの演奏などでお馴染みの
 
バラード)、『Caravan』(デューク・エリントンの名曲)、『いそしぎ(The Shadow of Your Smile)』などなど。私の
 
伴奏に合わせてのトランペット・ソロとGt弾き語りを一緒に楽しんだ。当日来ていたキリさんは、『涙をふいて』(三好
 
鉄生)や『別れの予感』(テレサ・テン)などを弾き語り、マリさんは『Sweet Memories』(松田聖子)や『異邦人』(久保田
 
早紀)などを歌ってくれた。ハジメちゃんは『Mary Jane』(つのだひろ)を歌い、私へのリクエストで『あなたの側で』
 
(通称゛あなそば゛TAKAオリジナル)と『黄昏のビギン』(ちあきなおみ)を一緒に歌った。私からのリクエストでタカコさん
 
は『舟唄』(八代亜紀)や『ラストダンスはわたしに』(越路吹雪)を歌い、店主茂子さんも『Crying Time』(レイ・チャー
 
ルズ)を力強く歌った。私も、『喝采』(ちあきなおみ)や『黄昏マイラブ』(大橋純子)などを弾き語りした。私が作ったコード
 
入りの曲集が3冊あり、人数分を茂子さんがコピー作成して店置きにしているので、気軽に選曲して楽しめるのがいい。



『昭和枯れすすき』をデュエットするヤタマリさん(左)とタッキー(右)、本邦初公開にして2度とないツーショット?!
8月の歌会から。



「つばき・リハビリ楽団」の面々(タカコさん・Hm、イズミちゃん・Gt/Vo、ハジメちゃん・Uk、マリさん・Pf)は、
『Stand by Me』(Ben E. King)を合奏。こういう皆が知っている曲は乗りがいいです! 8月の歌会から。



ほろ酔い加減でGt伴奏するTAKA、リラックスしてできる歌会は楽しい。Photo by Yatmari


この夜は、皆さんで次から次へと歌が飛び出し、一緒に演奏したり歌ったり、デュエットしたりリクエストしたりでおおいに

くつろげた時間だった。7時頃から初めて気がつけば11時を周っていた。こんなに遅くまでいることはめったにないのだが、

やはり歌会は、雑音なしで静かにゆったりと皆で一緒に楽しめるのが一番いい。久し振りのくつろぎタイムだった。


鶴見川源流の湧水と、昭和記念公園のコスモス

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「鶴見川源流泉の広場」の池からこんこんと湧き出る水は、鶴見川となって東京都町田市から神奈川県鶴見区河口で
東京湾に注ぐ全長42,5㎞の川となる。 All Photo by TAKA


ある日健康オタクのYKさんと地図を見ていたら、「鶴見川の源流」という表記が目に飛び込んできた。何故そんなものを

見つけてしまったのか全く分からない。偶然としか言いようがないのだが、とにかく目に入ってしまった。そうなると

何やら気になる。私はこの初夏に、長野県白馬町の「姫川源流」を探訪して大いに面白かったので、「源流」という

フレーズに無意識的に敏感になっていたのかもしれない。「そんならちょいと行ってみようか!」と車で出かけてみた。

場所は、世田谷通りを東にずっと下り、多摩川を渡って鶴川の先で図師町まで行き、北上して小山田町の田園と山林の

谷戸にある。ここからは、山越えして多摩センターの唐木田に道は続いている。



町田市の案内によると、一日1,300トンの水が湧き出ているとのこと。脇の小川に注ぎ出る水も、
滔々と流れていた。


車で通り過ぎたら、ふと見落としてしまいそうな場所だったが、近所のお宅の聞いてみたら場所がわかりしばらく見物

した。池の周りは町田市が遊歩道や柵を整備中のため、無粋な鉄パイプで囲われていたが、湧き出る水の量は豊富で

なかなか見応えがあった。「これが鶴見川の源流かぁ~!」とつぶやいたが、鬱蒼とした森の中ではなく、なだらかな

山林のふもとの田んぼの脇ににあり、周囲がとても開けた感じだったので、ちょっと拍子抜けした。後で調べてみたら、

その先の山道の奥に「鶴見川源源流」という場所があり、湧き水と細流が数本あるらしい。ただ、近隣の山からの地下

伏流水が集まってこの泉で湧き出していることは間違いないので、この場所が「鶴見川源流」と呼ばれているのだ。この

泉は、平成元年の川崎市による水道トンネル工事の影響でいったん枯れてしまったが、工事終了後再び湧き出し現在に

至っている。町田市と市民グループが保全管理して、源流の泉と水辺の生物を守っているとのこと。詳細を知りたい方は、

以下のHPにアクセスしてしてご覧あれ。
http://www.env.go.jp/water/junkan/case2/pdf/44.pdf




昭和記念公園の「花の丘」一面に咲き揃うピンク系のコスモス(400万本とか)、品種は「ドワーフセンセイション」と
入園案内に紹介されていた。この色がやはり一番コスモスらしく感じる。秋晴れの空の青と白い秋雲に映えていた。


さて、その日(10/18)はまた夏日が戻ってきて昼間はとても暑かったのだが、風が吹き渡っていて気持ち良かった。
 
何よりも抜けるような青空だったので、明るい陽射しが空から注いでいた。鶴見川源流を後にして、私が運転を代わり
 
「昭和記念公園」に向かった。多摩センターの広い道と団地を抜け、日野橋を渡って立川の街並みを過ぎるとすぐ目的
 
地に着いた。ただっ広い駐車場には、まだ車が少なかった。入園料はシニア割引で一人210円(大人の半額)、古稀
 
間近の私はこういう時にメリットを感じますね~! この公園は、昭和天皇の在位50周年を記念して、旧米軍立川基地の
 
跡地に開園(1983年)以来、多くの来園者を集めているが、何よりも165ヘクタールという広大な広さなので、歩いて
 
回るだけでも数時間かかる。私自身も何度か訪れているが、春のサクラ・秋のコスモス畑は有名なので、今回もコス
 
モスを見に来たのだった。
 

「原っぱ東花畑」には、沢山の「黄花コスモス」が咲いていた(70万本とか)が、ややピークを過ぎたようだった。品種は
明るい黄色の「レモンブライト」、他にもオレンジ系の「マンダリン」や「サンライズ」も群生していた。

 
「かなり広いから、チャリを借りて周ってみよう!」ということになり、入園口脇のサイクルセンターで二人とも自転車
 
を借りた。3時間で420円也。サイクリング道路が整備されており、遊歩道とは区別されているのでまことに走りやすい。
 
所々に駐輪スポットがあり、自転車を置いて歩いたり見物したりできるので都合よかった。なだらかな坂を上ったり
 
下りたりしながら樹林の中を抜け、「原っぱ東花畑」に行ってみると、一面黄花コスモス畑だった。ここで写真撮影
 
したりしてしばらく咲き揃った花を見物した。それから、もう一ケ所の大きな花畑に移動した。「花の丘」は、小高い
 
丘の斜面一帯にピンク系のコスモスが植えられ、中を遊歩道が通っていた。青い空と白い雲(秋の筋雲)・咲き揃うピン
 
クのコスモス、色のコントラストがまことにきれいで、秋の風景を堪能した。木陰の芝生に腰を下ろしてしばし休憩。
 
丘を吹き渡ってくる風が気持ち良かった。広場脇の売店で、「多摩黒焼きそば」(ご当地B級グルメ?)とおでんを買って
 
軽い昼食にした。まあまあおいしかった。最近は競争が激しいせいか、こういう売店やサービスエリアの食べ物も
 
そこそおいしいのには感心する。帰りは走り慣れた甲州街道を通ってYKさんに自宅まで送ってもらった。心地よい
 
秋の一日だった。


サイクリングロード脇で見つけた「飯桐」の赤い実、沢山の実房を枝から垂らしていた(実はメスの樹にしかならない)。
飯桐の赤い実も、最近は植物園や公園でしか見られなくなった。樹木の下には、赤紫色の「ホトトギス」や、薄紫色の
「シオン」も咲いていたので、秋の花実が見られてなかなか楽しかった。

白根・小諸紅葉紀行(その1)

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長野県と群馬県の境界に建つ渋峠ホテル(標高2,152m)の脇から眺めた絶景。志賀高原の山並みの眼下に善光寺平
が拡がり、その遥か彼方には北アルプス連峰が棚引く白雲の上に臨めた。雲一つない秋晴れは、奇跡的な眺望を
恵んでくれた。 All Photo by TAKA


今年の紅葉をどこで見ようかと色々検討したが、車の運転免許を再取得したのでドライブの小旅行にした。栃木

県日光市と群馬県と長野県上田市を結ぶ「日本ロマンチック街道」をメインルートにして、その周辺の紅葉ス

ポットを訪れてみよう、というのが主な目的。天気が良ければ白根山や志賀高原にまで足を延ばしてもいいし、

軽井沢や小諸周辺をうろうろしたりして、帰りは野辺山や八ヶ岳周辺を訪れてみるのもいいか。気ままなドラ

イブ旅行だから、あちこちに立ち寄りしてもいいだろう、ぐらいの計画だった。とりあえず宿は小諸のビジネ

スホテルを取ってもらった。旅の友はドライブ好きのHIさんで、出発日(10/24)は秋晴れの好天に恵まれた。



吾妻渓谷の紅葉はまだ早く、吾妻川両脇にそそり立つ広葉樹の森はまだ色づき始めたばかりだった。


朝早起きしてHIさんが自宅に迎えに来てくれたので、6時には都内を出発した。「早起きは三文の得だね!」など言いな

がら、私がハンドルを握って、甲州街道(20号) →環状8号線 →練馬インターで東関東自動車道に乗り、一路沼田を目指

した。雲一つない快晴の青空の下を走るのはとても爽快だった。途中、高坂SAで休憩し軽い朝食をとった。まだ8時前

ということもあり、外の売店のシャッターは閉っていたし、中の食堂のざわつきと注文出来上がりアナウンスのマイク

音がやけに大きくてゲンナリし、中の売店で焼き餅と菓子パンを買ってコーヒーを飲んでお腹をちょっと満たした。

東名高速の海老名SAや中央道の談合坂SAのような新しくこぎれいなSAを見慣れているので、ここの古さ加減には

ちょっと驚いた。ここで運転を交代し、吾妻渓谷をまずの目的地にしたら、NAVIが一つ手前の渋川伊香保ICから草津

に向かうルートを示したので、ここで高速を降りJR吾妻線に沿って県道353号線・145号線を走り吾妻渓谷に着いた。

川に掛かる大橋から渓谷を覗いてみると、周囲の広葉樹は紅葉が始まったばかりでまだ色が乏しかった。今年は9月の

台風と大雨のため、例年より紅葉は遅れているようだった。天気もいいし、もっと標高の高い山に行ってみよう、と

いうことになり、白根山まで足を延ばすことにした。



白根山麗のオオカエデ(オオモミジ)の紅葉がきれいに色づいていた。青空との色コントラストも素晴らしく、
「天気がいいと紅葉もきれいだね!」と言い合った。


吾妻渓谷から万座温泉までは私が交代して車の運転をした。八ツ場ダム工事の副産物というか、途中の道路は吾妻川

にかかる真新しい橋の連続と新しく長いトンネルが続き、公共工事が落とす莫大な金額と山村の景観の激変を見る

ことになった。道路が良くなるのはいいのだけれど、余りに無機的な眺めには気分が沈んでしまった。川原湯温泉 →

長野原町 →草津温泉を抜けて、11時頃白根火山ロープウェイの山麗駅付近についた。オオカエデの葉が真っ赤に色づい

ているのを見つけ、車を道路脇に止めてしばし眺めた。地元の方らしきおばさんが近づいてきて、「ロープウェイ付

近はたくさん紅葉しているよ!」と教えてくれた。



紫陽花の花も、標高の高い山ではきれいに紅葉するのを見た。とても珍しい。


白根火山ロープウェイは運転中だったが、山麓駅付近は人が多かったのでそのまま白根山に向かってくねくねと

続く登り道を走った。白根山手前の駐車場で車を止めて外に出てみると、強烈な風が吹き渡っており、外気温も

かなり冷たかった(後で2℃という気温を渋峠で確認することになったが)。その中で、赤い実を付けた「ナナカマド」

の樹を何本か見つけ、山頂付近の不思議な光景を見ることが出来た。今年6月の小噴火により、気象庁は白根山

(日光白根山と区別して草津白根山という)の火山噴火警戒レベルを「レベル2」に引き上げている。その影響で山頂

付近(1km四方)は入山禁止となっていた!! 従がって、白い山頂にもあの不思議で不気味な色の湯釜にも近づくこと

はできなかった。ロープが張られた道路もすべて駐停車禁止だった。やれやれだが、危険を冒してまで行くこと

もないので、そのまま万座温泉に向かって山道を下った。






 白根山頂とナナカマドの赤い実と抜けるような青空の不思議なコントラスト!(上)
入山禁止でなければ見られた湯釜の景色、硫黄含有独特の湖色だ(下)。画像はWikiより
万座温泉の湯川、湧き出た硫黄を含んだ温泉水が滔々と流れていた。
<この項つづく>

白根・小諸紅葉紀行(その2)

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白根山麗の道路脇で見たイロハモミジの紅葉、オオカエデの隣りで緑を残した紅葉7分の色づきがきれい
だった。 All Photo by TAKA
 
 
今回のドライブルートは、長野原町でロマンチック街道から別れ、292号道路を上って白根山まで来たが、吾妻渓谷から
 
145号道路を西上し万座・鹿沢口駅まで行けば、軽井沢から北上している「浅間・白根火山ルート」と合流し、そのまま
 
万座温泉まで来られる。白根山頂付近から山道を下り、万座温泉についた。そろそろ昼時なので、食堂かレストランを
 
探してみたがこれという店がなかったので、とりあえずプリンスホテルの駐車場に車を入れてホテル内で食事ができる
 
か当たってみた。中華の麺類が一杯1,500~1,800円という御高地値段だったので諦め、トイレだけ借用して失礼した。
 
山を下りてから食事しようと、HIさん持参の柿・お煎餅・チョコでまたお腹をごまかして、運転を交代し再び山を
 
登り渋峠に向かった。
 
見晴らしのいい山頂道路をしばらく走ると、渋峠に到着。山頂(長野県と群馬県の境に建っている)の渋峠ホテルにもこれ
 
といった食べ物ものがなく、しばらくホテル脇の高台から景色を眺めた。外気温は2℃、晴れてはいても風は冷たくて、
 
意して来た冬コートを着ていてもかなり寒かった。しかし、これがまことに素晴らしかった(その1のフォト参照)。
 
眼下に見下ろす善光寺平の遥か彼方に、白雲を棚引かせた北アルプスの連峰が宙に浮かぶように姿を見せていた。快晴
 
の青空・澄み切った高原の空気、薄紫の大気に染まった連峰の雄姿、生涯忘れられない素晴らしい光景だった。今年の
 
初夏に、鬼無里から白馬に抜ける途中、白沢峠で見た残雪残る北アルプスの絶景に勝るとも劣らぬ眺望だった。これだ
 
から旅は止められないのだ!
 
 
 

渋峠から山田牧場に向かう途中で見た北アルプスの眺望。眼下の山田牧場ののどかな景色、右の笠ヶ岳の
こんもりとした山姿、はるか彼方の北アルプスは高度が下がったせいか、棚引く白雲に隠れていた。
 
 
毎年11月から翌年3月まで、白根山頂を走る道路は雪と悪天候のため封鎖されるとのこと。その寸前に訪れた甲斐が
 
あって、素晴らしい眺めを味わえたのを2人で喜んだ。渋峠から横手山を抜けて道をだらだらと下り、熊の湯で温泉
 
旅館の従業員の方に道を訪ねたら、山田牧場へ抜ける山道があり通れる、というので行ってみた。山中をくねくねと
 
走るその道は、地元の人しか通らないすれ違うのがやっとの狭路だった。車載のNAVIにも載っていない道だったが
 
無事山田牧場にたどり着いた。大分山を下りてきたが、この辺りが紅葉の最盛期で、ブナやナラの広葉樹・糸杉など
 
の針葉樹の紅葉をたっぷり味わうことが出来た。山田牧場と松川渓谷は、去年の紅葉紀行で訪れてみようと思って
 
いたスポットだったが、すでに紅葉のピークが過ぎていたのでパスした場所だった。けれども今回、素晴らしい広葉
 
樹の紅葉を見られたのはとても幸運だった。紅葉狩りを楽しむ中高年の方達を横目に山道を下りながら、助手席の
 
私は車窓の絶景を眺め続けた。
 
 


左上の笠ヶ岳から山裾が拡がる山田牧場の景色(上)、もっと下の牛舎付近には放牧されている牛がちらほら
見えた。針葉樹の緑と広葉樹の紅葉が織りなすのどかな風景が、気分をとてもリラックスさせてくれた。
(下も同じ)
 
 
熊の湯 →山田牧場 →五味温泉 →山田温泉と紅葉街道を堪能した後、さすがお腹もへってきたので、遅い昼食をとれる
 
スポットを探しながら山道を下り、なだらかな丘陵地帯に出たところで、頃合いのお店を見つけた。こういうことに
 
なると私の鼻は効くのだ。「和食・そば処 高山亭」というお店で、土蔵造りのクラシカルな風貌と広い駐車場を備えた
 
お店だった。2時を周っていたのにお店は結構混んでいた。お店のメニューの中から二人とも「季節のランチ(そば定食)」
 
を選び、ほどなく出されたお蕎麦と炊き込みご飯・天ぷら・キノコくるみ和え・きくらげ煮しめなどのランチをいただ
 
いた。ボリュウムたっぷりのうえ、しこしこした蕎麦の噛み応えも申し分なく、満腹・満足の昼食となった。そば湯を
 
飲みながらこれでやっと人心地がついた。 



高山亭の季節のランチ・一人前1,050円也、このボリュウムと味でこの値段はコスパものです! 画像はHPより
 
 
目と脳は、紅葉のカラフルさで満腹となり、お腹もお蕎麦ランチで満腹となり、これで今回のドライブ目的は8割方
 
達成できた気分になり、今夜の宿泊先の小諸に向かうことにした。私の運転に変わって、道路両脇にリンゴ畑が連なる
 
農道をしばらく走り、須坂・長野東ICから上信越自動車道に入り、山裾の道路とトンネルが続く高速道を走った。山
 
並みは夕方の時間でもくっきりと見え、雲一つない好天気が一日つづいた。小諸インターで降りてから、ほどなくで
 
駅前のビジネスホテルに着き、地下の駐車場に車を入れた。ホテルは結構古い建物だったが、1階の受付も広々として
 
いたし、2階からの赤じゅうたんを敷いたらせん階段が、何だか宝塚風に見えて面白かった。部屋で1時間程一眠り
 
したらすっきりした。朝食つきのプランなので、夜は近所の居酒屋で軽く一杯やろうと目論んでいた。ホテルの受付
 
で頃合いの居酒屋を訪ねると、近辺の居酒屋案内の地図を渡してくれ、地元で評判のいいお店を3軒紹介してくれた。
 
 
まことに手回しのいいことで感心しきり。早速歩いて出かけてみると、「酔心」というお店が良さそうなので入って
 
みた。赤と黒を基調にしたモダンな感じのお店で、夫婦(親子?)で創作和食料理を出してくれる店だった。メニューの
 
中から飲み物は上田丸子町の地酒「瀧澤」の純米大吟醸を選び、食べ物は遅い昼食であまりお腹が減っていなかった
 
ので、「酔心風ポテトサラダ」と「まろやか手作り豆腐」、それに「福味鶏のおろしポン酢唐揚げ」の3品を頼み、
 
辛口でキレのいい日本酒を飲みながらのゆっくりとした夕食をとった。旅館やホテルの品数の多い夕食も、時として
 
は食べきれないので、夜は外でこういう食事もいいね、と話しあった。
 
それ後ホテルに戻り、大浴場で温泉に浸かって温まってから、早目に眠りについた。
 
 
 
居酒屋酔心での一献、お酒も食べ物もとても美味しかった
 
<この項つづく>
 

白根・小諸紅葉紀行(その3)

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JR小諸駅隣りに在る「懐古園」正面入り口、江戸時代末期の大洪水で門が流されてしまったのを、明治2年
に再建したもの。石垣は新しいが趣ある扁額が掲げられていた。(入園案内より)。 All Photo by TAKA



部屋の窓に朝日が当たって明るくなってきたのを機に起きてみると、東に向いた窓からは丘に沿って広がる小諸の

街並みと、二つの高い山が見えた。私は、歌友サイトウさんが作ったオリジナル曲『ビューティあだたら』を

思い出した。故郷の安達太良山は別名「おっぱい山」と呼ばれていて、二つの山の連なりが隆起する゛おっぱい゛

のように見えることを懐かしく思い出した歌だ。「なんか、似ているなぁ!?」と思いつつ、帰ってから地図をよく

見てみたら、向かって左が黒斑山(2,404m)、右が剣ヶ峰(2,281m)、その奥に山頂だけがちらっと見えるのが浅間山

(2,568m)だと分かった。下から見上げているので、浅間山は前の山にほぼ隠れていたのだ。昨日の青空とは打って

変わって空には雲がかかり、予報では午後から雨になるとTVが伝えていた。



朝6時の小諸の街姿、空には雲がかかり薄日が差していた。左右二つの山(黒斑山と剣が峰)の奥に、浅間山が
わずかに顔を出していた。


バイキングスタイルで和食・洋食取り混ぜの朝食をしっかりといただき、ゆっくりコーヒーとヨーグルトを食べて

から出発の支度をしてチェックアウトした(朝食付きで6,000円とは割安!)。車はそのままホテルの駐車場に置き、歩いて

すぐの懐古園に入った。開園の8時30分直後だったので、園内は2~3人しか入園者がいなかった。思ったよりかなり

広い敷地のあちこちには、16世紀の後半に武田信玄(縄張りは山本勘助)と仙石秀久が築いた当時の石垣が残されていて、
 
大小の不規則な大きさの石を積み上げたまんまが苔むしたまま残っていた。明治維新と廃藩置県の折、日本各地の
 
城壁と建物は取り壊されたり、石垣だけが残されたりしてしまった。後年、観光や歴史遺産の復興のため、再建された
 
石垣や城は多いが、上田城祉や松代城祉は、近代的な石垣で再建されたものだ。そう言う意味では、懐古園の城壁や
 
空堀などの保存状態は貴重なものと感じた。



天守台の石垣は、古色蒼然とした趣があり見応えがあった。「よくもまぁ、こんな不ぞろいの石を
積み上げたものだねぇ~!」


天守台から見下ろした樹齢400年のケヤキの大樹、葉が色づき始めていた。標高が高く朝晩と昼間の寒暖差が
大きいこの地では、ケヤキの葉はきれいに紅葉する。関東地区では、ただ茶褐色に変化して落葉するだけだが。


HIさんの思い出話によると、子供の頃駅近くの北国街道沿いに親戚の家があり、懐古園には良く遊びに来ていた。

その時、園内で草笛を吹くおじさんがいて、島崎藤村の『千曲川旅情の歌』をよく聞かせてくれた。 小諸なる

古城のほとり 雲白く遊子悲しむ  「あの方は、横山祖道という禅師さんだったのね~!」。最近またこれに

一つ偶然が重なって、お住まい近くの「ふるさとむら」という里村保全地区に時折スケッチに行くのだが、田圃の

中を草笛を吹いて歩いているおじさんにバッタリ会い、聞いてみたらその草笛の師匠がかの千曲川旅情の歌を吹く

「草笛禅師」だということが解り、「お互い奇遇ですね~!?」と言い合ったそうな。


園内に設けられた演奏録音再生器によって、生前の「草笛禅師」の演奏が聞けるので、ボタンを押してしばしその音

(草笛とアカペラの歌声)に耳を傾けた。「千曲川旅情の歌」は、藤村による情緒あふれる古文調の歌詞もさることな

がら、ドとソ(西洋音階のメジャー音)を極力省いた日本音階でメロディが作られており、江戸時代の謡曲のような雰囲

気を残しているのが魅力だろう。懐古園で思いもよらないエンターテイメントに出逢った気がして楽しかった。



「草笛禅師 横山祖道」氏の紹介と、「千曲川旅情の歌」の歌詞、下は音声再生器のミュージック・ボックス。




「水の手展望台」からは、藤村が眺望したであろう千曲川の流れが蛇行して見渡せた。画面左には水門が築られて
いたが、藤村が見た当時はそれもなかっただろう。川底の白石のせいか、澄んだ川水が水色に輝いていた。



園内にある「藤村記念館」の入口脇に設置された藤村の銅像(内堀功作)、「小諸は何と言っても懐古園と
島崎藤村が目玉だね~!」と話した。


さて、子供の頃や以前訪れた場所も、時を経てまた出かけてみると新たな発見や出逢いがあるものだと思った。白根

山や山田牧場もしかり、小諸懐古園も思っていた以上に面白かった。旅の目的もほぼ達成したので、帰路につくこと

にした。私の運転で141号道路(佐久往還)を南にに向かい、JR小海線に沿って山間の道を登り続けた。途中、松原湖

辺りから山々には濃い雲がかかり始め、野辺山に着いた時には細かい雨が降り出してしまった。野辺山の産地野菜

販売店に寄って一休みし、お土産に大きなブルーベリーのジャムと柿の実を買った。晴れていれば、眼前に八ヶ岳が

連なる様を見られたのに、今回もそれができなかったのはやや心残り。雨や霧のために、山姿を拝めなかったのは

これで連続3回目だ。何やら、好意を持った相手にふられ続けた気分! 「また今回、袖にされたわね!」とHIさんにも

冷やかされてしまった。

運転を代わり山を下って中央道長坂ICに行く途中、大泉町で道路脇の「定食屋 木亭」の看板を見つけ、駐車場に車を

入れて昼食にした。落ち着いた木のテーブルとカウンター席があるお店で、地元の人たちがお昼を食べたり夜食事に

来るお店らしく、種々の定食やサンドウィッチがメニューにあった。そこで、ツナサンドとハンバーグサンド(珍しい!)

を頼み、コーヒーを飲みながらのランチとした。SAのフードコーナーと違い、ゆっくり静かに食べられるのがいいな

と思った。そのまま、長坂ICから中央道に入り談合坂SAで一休みし、最後は私の運転で中央道調布IC →狛江の自宅

まで夕方早目に戻り、2日間のドライブ旅行を終えた。走行距離は凡そ600㎞、2人で交代しながらのドライブだった

ので、さほど疲れは感じなかった。高原の紅葉を堪能した楽しい旅だった。


<この項終わり>

追悼:フルート吹きシロー

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暦が11月に変わった途端、音友急逝の知らせがあった。高校同期生で音楽バンド『ザ・タペストリー』を組んだ仲間

のフルート吹きシローが、介護施設での音楽活動中に、慰問先の舞台で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。死因は

急性大動脈解離、人工呼吸やAEDの手当ても空しく、医師の診断では即死状態だったことを、同じバンドの音友

(トランペット吹き)のタカオちゃんが連絡してくれた。来年2月で古希を迎える前の突然の逝去、享年69歳だった。




小田急線梅ヶ丘の音楽スタジオに集まってリハをしていた頃のシロー、きれいな銀髪がトレードマーク
だった。後ろで缶ビールを旨そうに飲んでいるのはヨッシー(バンジョウ弾き)。All Photo by TAKA

 

バンド結成当時のメンバーは、左からQP村山(Dr) /マッキー(As) /ヨッシー(Bj) 以上後列、TAKA(Gt)
 /AYA(Ba) /シロー(Fl) 以上前列、マッキーとシロー以外は皆歌も歌った。その後、歌い手やコーラスや
ラッパ吹き・ハモニカ吹きも加わって、総勢13名の大所帯となってしまった。(同じスタジオにて)


 
高校時代の彼は、ブラスバンド部の指揮者として活躍していたが、その後は私とは交流がなかったので、2010年の

高校同期会(東京開催)の折に音楽クラブをしていた同期の仲間と意気投合してバンドを組むことになるまで、彼のこと

は全く知らなかった。『ザ・タペストリー』は、2011年から2014年まで丸4年間活動し、計6回のバンドライブを

長野や都内で開催して、毎回多くの高校同期生やその友人・知人を集めて賑やかで楽しいライブをすることが出来た。



メルパルク長野での同期会に特別出演し、第1回のライブを開催したメンバー達。シローは中央で、
『All of Me』『Take the A Train』のジャズナンバーを吹いた。
  
 
六本木アロハステーションでの第3回ライブ、シローは All Memberでやるジャズスタンダード曲や
『Amasing Grace』に参加、だんだんバンドにも溶け込んでいった。
 

彼は、バンド結成直後から参加し、途中抜けたり入ったりしながら、最後のライブまで仲間として加わっていた。

彼の演奏では、ボサノヴァの名曲『O Grande Amor 大きな愛』を、彼のフルート・ソロ(テーマとアドリブ)と私の

ギター弾き語りで共演した(第5回のライブ)のが思い出に残っている。還暦を過ぎてからフルートを吹き始めた彼に

とって、クラシックスタイルとは違ったジャズやボサノヴァのバンドリズムに乗って、メロディを吹くことはとても

大変だったと思うが、何度もリハをしてこの「愛の不可思議さ」をテーマにした陰影に富んだこの曲に取り組んで、

テーマとアドリブを吹き切ったことに仲間たちも拍手を送った。聞いていたお客さんたちにもしっかり表現出来たと

いう印象を与えたと思った。



 ▢経堂・音楽酒場ピックでの第4回ライブ、彼はレパートリーの『大いなる愛』とハワイアン曲
『Akaka Falls』(AYAさんの歌と共演)、ジャズナンバーの演奏で参加した。
  

ザ・タペストリーメンバー達との最後の共演となった第5回ライブ(新宿レストランパペラにて開催)、
ラストナンバーで演奏した『Caravan』は、バンド・レパートリーとしても出色の出来で、お客さんを
大いに沸かせた。シローのフルート演奏も収録、視聴は以下のYouTube動画から。

https://www.youtube.com/watch?v=tlShQNnw6cA
 


バンド活動を終えてからは、同じ高校同期生の音楽仲間(タカオちゃんとナッケン、共にトランペット吹き)でトリオ

を組んで、定期的にリハしながら、介護施設への慰問演奏に取り組んでいた。その他にも、探鳥の会やシルバー

人材センターの仕事などに従事し、一番元気に活動していたのに、仲間の中で一番早く往ってしまうなんて! !

本当に人の運命というものは、誰にもわからないものだ、とつくづく知らされた思いがする。


 
ラストライブ(レストランパペラで2014年10月開催)では、シロー(Fl) /タカオちゃん(Tr1) /ナッケン(Tr2)の
トリオで『花は咲く』の三重奏を披露、この活動がその後も続いていた。
 

ご家族の強い希望で、親族とごく親しい友人だけの葬儀を営まれたことを聞き、式に参列し最後のお別れを言う事

は叶わなかったが、ここに、手元にある画像を掲載し彼の冥福を祈るとともに、彼を偲ぶよすがとしていただけ

れば幸いと思う。


合掌...


AYAさんのハワイアンショーで演奏とフラダンスを楽しんだ時のワンショット(2011年7月)、
あの頃は皆元気で若かった...

 

ISU フィギュアスケート・GPS 前半戦3試合より(その1)

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ISU(国際スケート連盟)主催のフィギュアスケート競技会・GPS戦(グランプリ・シリーズ)の前半戦3試合が終わった。

GPS戦は、世界6ヶ国(カナダ・アメリカ・ロシア・フランス・中国・日本)を転戦し、最終戦(グランプリ・ファイナル)

は、12月にフランス・マルセイユで開かれ、今シーズンのチャンピオンが決まる。フィギュアスケートをこよなく

愛する1ファンとして、前半3試合の成績から今年の最終戦出場者を展望してみよう、というのが今回のテーマだ。

各6試合の成績により獲得点のトータルが順位の決め手になる。1位から6位までは、15/13/11/9/7点が与えられ、

7位と8位には4/3点だから、表彰台に1度以上乗らないとファイナル出場資格者(上位6選手)にはなれない。あくまで

私的な見解なので、意にそわないコメントは見過ごしてほしいと思う。画像は例によってZIMBIO他からであること

をお断りしておく。



初戦・スケートアメリカを制した宇野昌磨(日18歳)、世界初の4回転フリップを決め、計3回の4回転
(トゥループと同コンビネーション/FS)も成功させて優勝した。SPとFSの合計点279.34も立派。テー
:ビアソラの『ブエノスアイレスの午前零時~』(FS)に乗った演技にもキレがあり、トップレベ
ルの選手に成長したことをアピールした。


男子シングル戦は「4回転時代」と言われるように、6種類のジャンプ中どの4回転ジャンプをプログラムに組み入れ

るか、そしてそれを技術的(回転軸・速度・高度)にも芸術的にも(美しさ・見栄え)決められるかが各得点の大きな要素

となってきた。そのジャンプを組み合わせて連続して決める「コンビネーション・ジャンプ」も、どこで組み入れるか?

特に後半戦でのジャンプ成功は加点要素となるので、各選手はコーチと共に入念な戦略で試合に臨んでくる。もち

ろん、スピンやステップの出来具合も大切なポイントとなるので、SP(ショートプログラム/2分40秒)・FS(フリー

スタイル/4分30秒)の競技時間の中で、選んだ競技曲の曲想に合わせて各選手は表現に工夫を凝らして演技すること

になる。


ジェイソン・ブラウン(米21歳)の持ち味は、柔らかな身体全体で表現する伸びやかさだ。SPで4T(4回転
トゥループ)に挑戦したものの(転倒!)、基本は多様な3回転ジャンプの演技完成度で勝負する戦略を取って
いる。FSのテーマ曲は映画『ピアノレッスン』からピアノ曲「愛の香気」、3回転ジャンプをすべてきれ
に決めてスケートアメリカ2位を獲得。しなやかでメリハリのあるステップ表現も巧みだ。



ベテランのアダム・リッポン(米26歳)がスケートアメリカ3位に食い込んできたのは、J.ブラウンと共に
アメリカ勢健在をアピールした。彼もやはり演技完成度と構成点に重きを置くタイプで、その多彩な表
を見ると、フィギュアスケートの魅力の別な方向性を感じさせてくれる。FSテーマ曲も映画『Mystery
of Flamingos』ピアノ曲「Arrival of Birds」、美しいバラードは彼の演技とマッチしていた。
 
 
スケートアメリカの女子シングル戦をみると、ベテラン勢・中堅勢・若手勢の凌ぎあいが見物で、シニア戦の10代
 
後半をどう乗り切って円熟した選手に成長してくるかが鍵となっている。身体の成長に伴って、身長は伸び体重
 
増え皮下脂肪も増えていく女性特有の課題をどう乗り切ってくるか? それまで軽く飛べていたジャンプも困難と
 
なったり、足や腰のケガになやまされることも増える。有望な10代若手選手が競技会を辞退したり引退するケース
 
も多く見られるのだ。
 

シニア戦9シーズン目のベテラン:アシュリー・ワグナー(米25歳)、初戦スケートアメリカを制して優勝
した。円熟味を増した演技、キレのあるダイナミックな表現力には定評があり、ジャンプの安定が高得点
繋がっている。SP/FS合計点196,44もさすが。左利きジャンパー(時計回りの回転)のFSテーマ曲は交響
曲3番『エクソジェネシス』、この曲に合わせて滑走する鍛え上げた筋肉美は、細身の多い選手の中でひ
光る。「ドライ・マティーニ」のようなパンチの効いた極上のカクテルを飲んだような酩酊感がある。
 
 

マライア・ベル(米20歳)の2位獲得と、FSの得点130,67にはビックリ! 今回故障選手の代役で出場権が転が
込んできたラッキーガールは、終始愛くるしい笑顔の演技で観客を魅了した。FSテーマ曲は映画の
『エデンの東』、6種類の3回転ジャンプとコンビネーションををすべて成功させ高得点に輝いた。ステップ
・スピンも申し分なかった。ただ、後半戦のGPSにはエントリーがないので、ファイナル戦出場は無理だろう。
 
 
女子選手にとってもジャンプは大きな課題だが、かつての安藤美姫の4S(4回転サルコウ)や、浅田真央の代名詞3A
 
(トリプルアクセル)のような「一発大技」の時代から、6種類すべての3回転ジャンプを確実に飛べる総合力の時代に
 
なっていると思う。一瞬の回転技なので、TV中継の画面でも瞬時にその種類を判別するのは素人の私には無理だが、
 
スローの再生画面では最近は少しづつ解るようになってきた。大まかに言うと、踏切を前向きか後ろ向きか、踏切
 
エッヂを左足外側か内側かあるいは右足外側か、右足か左足のトゥを突くかに、よって6種類の違いが出てくる。着氷
 
は全て後ろ向きだ。この回転技術は相当難しいものだが、繰り返されるコーチとの練習で選手は身に付けていくのだ。
 
男子選手の場合は、4A(4回転半)を除いて5種類の4回転ジャンプが全て競技会で実現されているし、女子選手も、6種
 
全部の3回転ジャンプ(A:アクセル・Lz:ルッツ・F:フリップ・S:サルコウ・Lo:ループ・T:トゥループ)を飛ぶ選手が
 
出てきている。いやはや、大変な時代になったものだ!!
 
 
 
三原舞依(日17歳)も3位に食い込んで新星シンデレラガールの一人となった。シニア戦初出場でSP2位・
FS3位はご立派! FSテーマ曲が、映画『シンデレラ』というのも符丁があって面白い。第5戦の中国杯に
も出場するので、強豪が集まるこの試合で表彰台に上れるかどうかがファイナル戦出場の条件となる。
 
 
ソチオリンピック(2014年)後1年間の休養を経て復帰し、シニア戦11年目となるベテラン浅田真央は、今回ジャンプ
 
に精彩を欠き6位に終わった。長らく日本のフィギュア界のトップを走ってきた彼女を応援する気持ちは分かるが、
 
故障であろうか足に力が入っていないと感じた。また、ジャンプを含め総合的な技術力で競う現在の採点基準から
 
すると、彼女のレベルでは表彰台に上がるのは難しいだろう。有力な若手選手が次々に台頭している現在、競技会
 
で順位を争うよりも、プロ転向も視野に入れて、表現力豊かなスケーティングを見せてくれる方がファンも喜ぶと思う。
 
 
<この項つづく>
 

ISU フィギュアスケート・GPS 前半戦3試合より(その2)

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現在、フィギュアスケート・GPS戦は国内ではTV朝日の独占中継となっているが、最近のインターネット・サイトの

フィギュアスケートHPも充実してきて、選手の競技結果の採点表や演技の動画も瞬時に見られるようになった。TV

中継を見逃す場合もあるので、まことに喜ばしい状況だ。動画プログラムも、イギリス版・アメリカ版・ロシア版・

たまに中国版など、各国言語に対応しているので、応援する選手の演技を後からゆっくりと見られるのは、ファンに

とっても嬉しいかぎりだ。一応主だったサイトの紹介をしておきたい。画像はZIMBIOより。

【 フィギュアスケートYuoTube 動画blog 】   http://www.fgsk8.com/

【 フィギュアスケートSport Navi 】   http://sports.yahoo.co.jp/figureskate/ 
              
【 Wiki 2016/2017 ISUグランプリシリーズ】https://ja.wikipedia.org/wiki/2016/2017_ISU%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA#.E6.A6.82.E8.A6.81


各国選手の素晴らしい演技を比較してみることが出来る現在の状況では、やたらに日本選手の名前を連呼して「がん

ばれ! 頑張れ!」というようなTV中継解説者(MC?)のスタンスは、ちょっとずれているような気がする。視聴者はすで

に自国を問わず世界レベルで選手の演技を楽しんでいるのに、と思うのは私だけかも知れないが。



第2戦のスケートカナダ・男子シングルでは、パトリック・チャン(カ25歳)がベテランの味を充分に見せてくれたの

が良かった。シニア戦9シーズン目、世界選手権3連覇の実績を持つ彼も、ソチオリンピック(2014年)後1年間の休養

を経て競技に復帰している。今回FS冒頭の4T+3Tジャンプを見事に決めて健在ぶりを示し、ステップ・スピンで

もレベル4の高得点を重ねて優勝し、スケートカナダ3連覇を成し遂げた。A.ワグナーしかり、P.チャンしかり、円熟

味を増したベテラン選手の演技を見られることはとても嬉しいものだ。一つ一つの確実で丁寧な演技は、熟練した

職人の仕事ぶりを見るようで楽しい。


 P.チャンのFSテーマ曲はオーケストラによる『A Journey』、ゆったりとした調べに乗って滑らかな
スケーティングを見せてくれた。第5戦の中国杯でも彼の演技が見られるが、ジャンプの細かなミス
を修正してくれば、再び表彰台に上る可能性は大だ。
 
 

カナダ杯2位の羽生結弦(日21歳) 、前戦の「オータムクラシック」(今年9月)で、ISU公認記録初めての
「4回転ループジャンプ」を成功させ、今回もSP・FS合せて6本の4回転ジャンプを組み込んだ高難度の
プログラムに挑戦してきた。しかし、転倒やミスがあり全部成功は叶わず、FSの後半は完全に息が上が
ってしまった。テーマ曲は久石譲の『Hope and Legacy』、昨シーズンのキャラクター(陰陽師)に代わ
って、自分自身の表現を追求するようなテーマだ。
 
 
今年3月の世界選手権で痛めた左足甲の靭帯、さらに高難度のプログラムを実現させるための体力、羽生にとっての
 
身体的課題は、今後の競技にも大きな影響を及ぼすと思われる。「フィギュアスケート道」を追求する修行僧の
 
ような、克己的なスタイルもわからないではないが、F.フェルナンデスやP.チャンは、もっとスケーティングを
 
楽しんでいるように見える。あまりに自分を追い込みすぎて、また身体の故障に繋がらないことを祈るが、彼はとこ
 
とん自分が満足するまでやってしまうような気もする。B.オーサーコーチもそれを心配しているというニュースも
 
耳に入っているが...昨年のGPSファイナルで叩きだした世界最高得点(SP110,95 /FS219,48 計330,43)に迫るスコ
 
アを今シーズンも出せるかは、大いに興味を引くところだ。次回は、第6戦NHK杯に登場予定。
 
 

 ▢スケートカナダ3位に食い込んだベテラン・ケビンレイノルズ(カ26歳)、4Sは失敗したものの他の2本の4T
成功させ、3回転ジャンプは6種すべて成功する素晴らしい出来だった。177cmの長身を生かしたダイナミ
ックな演技は、FSテーマ曲の『狙われた黒髪』(映画・グランドピアノより)に乗って見応えがあった。GPS戦
初めての表彰台を果たしたが、後半戦へのエントリーがなく、ファイナル戦出場は無理かと思われる。


スケートカナダ・女子シングル戦では、エフゲニア・メドべジェワ(ロ16歳)の圧倒的な強さが目立った。SP76,24

/FS144,41 計220,65 という得点は、昨シーズンのGPファイナル222,54・世界選手権223,86 に続く安定したものだ。

実際前半戦3試合で200点を超えたのは、彼女の他ケイトリン・オズモンド(206,45)とアンナ・パゴリラヤ(215,21)

の計3人だけだ。女子の競技もも、ほぼノーミスのジャンプ・200点越えの得点を達成できないと表彰台には登れ

ないという、まことにハイレベルな戦いになってきた。
 

スケート・カナダ優勝のE.メドベジェワ(ロ16歳)、2015年の世界ジュニア選手権優勝の後、昨シーズンの
シニア戦参加初戦でGPSファイナルと世界選手権を制するという驚異的な成績を残している。その勢いその
ままに今シーズンを戦っているが、3A以外の3回転ジャンㇷ゚のすべてを成功させ、その多くが片手を挙げたま
回転するという高難度技が加点に繋がっている。FSテーマ曲も映画『ものすごくうるさくて、ありえない
ほど近い』という珍しいタイトル。ドラマチックな振り付けで主人公を演じきった。次回は第4戦トロフィー
フランスに出場予定。
 
 
今回2位の表彰台に上ったケイトリン・オズモンド(カ20歳)、FSでは3A以外の3回転ジャンプをすべてを
左利きで飛び、3Lを除いて成功させた。シニア戦4戦目の彼女は、ケガで1年間の休養を経て昨年競技に復
ているが、今シーズンは調子を上げてきているのでダークホース的存在。FSテーマ曲・シャンソンの
『ラ・ボエーム』に乗っての演技は笑顔と共に愛くるしかった。次回は第5戦中国杯に出場予定。
 
 
 
 
 全日本選手権2連覇と昨年GPS2戦を優勝し、日本女子フィギュアの第1人者になった宮原知子(日18歳)は、今
シーズン初戦USクラシックを優勝して今回のスケートカナダに臨んできた。ファンの期待とは別に、ジャンプ
の回転不足やステップの減点(リンクの長辺と短辺を一杯に使わなければならない)のため得点が伸びず、3位に
留まった。私から見ても、慎重に飛び過ぎていて、回転スピードが足りず身体も回り切れていないように感じ
た。次回GPS第6戦のNHK杯出場で、どう巻き返してくるか? FSテーマ曲・ホルストの『惑星』の乗った思
切りのいい演技を期待したい。
 
<この項つづく>
 

ISU フィギュアスケート・GPS 前半戦3試合より(その3)

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GPS・6戦中、出場資格のある選手は2回エントリーしてくるから、前半戦3試合で1回りしたことになるが、宇野昌磨
 
のように1戦と3戦に出場したり、H.フェルナンデスのように連戦でロステレコムカップとトロフィフランスに出てく
 
る場合もある。現在男子シングル選手の中では、フェルナンデスが羽生結弦を抑えて1番の実力者だろう。世界選手権
 
2連覇・欧州選手権5連覇の実績は、彼を「王者」と呼びにふさわしいと思う。ジャンプの切れと安定性・多彩なス
 
テップ・高速で軸のブレないスピン、テーマ曲の表現においても、クラシックのみならずジャズやコミカルな曲を表
 
現する身体能力は実に多彩だ。そして、如何にもスケーティングを楽しんでいるかに見える雰囲気は、多くのファン
 
を魅了してやまないのだ。
 
 

 ロステレコムカップ男子シングル優勝のハビエル・フェルナンデス(ス25歳)、SPはフラメンコの『ラ・マラ
ゲーニヤ』・FSは『E.プレスリーメドレー』がテーマ曲。ロックのリズムに乗った曲表現は、彼の芸達者ぶり
をおおいにアピールした。観ている当方も楽しい雰囲気に嬉しくなってしまった。次回第4戦・トロフィフラン
スで再び表彰台に上がれば、ファイナル戦に出場しメダル争いのトップに立つ可能性は大だ。来年3月の世界
選手権まで、P.チャン・羽生結弦との三つ巴のバトルが楽しみだ。恐らく、計300点台の争いとなるだろう。
 
 

 初戦スケートアメリカ優勝の勢いをそのままに今回の試合に出場してきた宇野昌磨(日18歳)、2014年のJr世界
選手権を制し、シニア戦2シーズン目でトップ選手たちと互角に戦えるまで成長してきたのは驚異。実際トップ
H.フェルナンデスに次ぐ2位を獲得した。SPで挑んだ4Fは着地で手をついてしまったが、FSではそれを
に成功させた。ジャンプ着地の後両足をイーグルにしたまま身体を後ろに大きくそらす「クリムキン・イー
グル」も彼の見せ技となっている。SP98,54は歴代3位の高得点、1戦1位・3戦2位で、いち早くファイナル戦へ
出場を決めたのは素晴らしい。
 
 

ロステレコムカップ3位は、私もノーマークだったベテランのオレクシイ・ビチェンコ(イス28歳)、シニア戦
10年目・出身はウクライナとのこと。FSのテーマ曲『道化師』に乗った演技も、果敢に4Tを2回飛び成功させ、
3F以外のすべての3回転ジャンプを見事に飛んだ。まだまだこんな凄い選手がいるのにびっくり。第6戦のNHK
杯にも出てくるから、彼の演技は見物だ。
 
 
 
ロステレコムカップの女子シングル戦は、地元ロシアの女子選手3人の戦いとなるかに見えたが、ユリア・リプニツ
 
ヤ(ロ18歳)がFS競技中に足故障のため演技中断となり、戦列を離れてしまったため、コートニー・ヒックス(米20
 
歳)が、アンナ・パゴリラヤ(1位)・エレーナ・ラジオノワ(2位)に次いでで3位に上がってきた。E.メドベジェワを加え
 
たロシア3選手の熾烈な戦いは、GPSファイナル戦まで続くものと思われる。
 
 
 
ロステレコムカップを優勝したA.パゴリラヤ(ロ18歳)、167㎝の長身から繰り出すジャンプは迫力があり、
しかも安定してきた。今年の世界選手権で銅メダルの実績に加えて、長い足先・指先まで意識がこめられた
演技は伸びやかで、全体に大きなイメージの創出が可能になってきた。FSテーマ曲・映画『モジリアーニ・
真実の愛』に乗った演技では、3A以外のすべての3回転ジャンプを成功させ、Stのコレオシークエンス・
Spのフライングキャメル・スピンも高評価を得て141,28を獲得し、SPとの計215,2を叩きだした。エキゾ
チックで華やかな風貌は、衣装映えする体躯と共に人気が出て来た。
 
 
 
E.ラジオノワ(ロ17歳)は、今回もまた手堅く2位で表彰台に上った。2013年の世界Jr.選手権を優勝後シニア戦
に転戦して以来3年間、大崩れすることなく常に表彰台にいた彼女(今年の世界選手権だけ6位)は、その間に身長
が10㎝以上伸びているというから、本当に順調な成長を遂げた数少ない若手選手かもしれない。最近、お姉
さん的雰囲気も出て来た。現在、パゴリラーヤと同じ167㎝、ジャンプもステップ・スピンも総合的に高いレベ
ルでこなせるのが魅力。FSテーマ曲はお馴染みの歌劇『トゥーランドット』。

 
 
今回3位に飛び込んできたコートニー・ヒックス(米20歳)、シニア戦に入ってからの成績は昨年のNHK杯2位
があるくらいで、大きな大会での実績はこれからだ。ただ、今回のFSでは、テーマ曲『ノートルダムの鐘』
に乗ってジャンプをノーミスですべて成功させ、Spのスピードも速く全体に切れがあった。次回のエントリ
ーは第5戦中国杯、A.ワグナー・K.オズモンド・E.ラジオノワ・三原舞依・本郷理香らが出場する激戦だ。
ここで再び表彰台に上がれれば、ファイナル戦出場が見えてくるが...
 
 
 
さて、GPS前半3戦を振り返ってみて、ファイナル戦出場有力選手を探ってきたが、男子シングルでは、H.フェルナン
 
デス・P.チャン・羽生結弦のトップ3選手に、若手の宇野昌磨・アメリカ勢のJ.ブラウン・A.リッボンがどう絡んで
 
くるか? ダークホースはA.ビチェンコだろう。
 
女子シングルでは、ロシア若手3選手のE.メドベジェワ・A.ポゴリラヤ・E.ラジオノワに加えて、アメリカ勢のA.ワグ
 
ナー・C.ヒックス・カナダのK.オズモンド、そして日本の宮原知子・三原舞依らの争いになるだろう。G.ゴールド
 
(米)とE.トゥクタミシェワ(ロ)はややきついか?
 
本日から第4戦のトロフィーフランスがパリで開催される。参戦する浅田真央の健闘を祈るが、どんな結果になるか?
 
 後半3戦とファイナル戦(12/8~)を楽しみにしたいと思う。
 
 
<この項おわり>

 
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