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Channel: Jovialidade Do TAKA タカの楽しみ
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横浜ベイクルーズで、往く秋を楽しむ。

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 快晴の秋空をバックに横浜ベイブリッヂを臨む。遊覧船から見上げる景色は、迫力があり美しかった。
All Photo by TAKA


秋晴れの暖かな一日、赤レンガ倉庫前の新港埠頭から出て横浜港を一周する『横浜クルーズ』に乗船してみた。北の街

では雪の便りも聞き、冬将軍がやって来るのはもうすぐだが、うろこ雲が棚引く秋の空からは、明るい陽射しが降りそそいで

少し暑いくらいだった。



横浜ベイブリッヂは、横浜の象徴としてH型の橋梁デザイン、この首都高に続く鶴見つばさ橋はY型デザイン、
YとHで横浜の2大シンボルにしたとのこと。橋げたの真ん中に、小さく鶴見つばさ橋が見える。


『横浜クルーズ』は、乗り合いの遊覧船だが、港一周約一時間のコース、この日食い友のRKさんと乗った船はほぼ満席で、

2階の船上席もすぐ埋まってしまった。船内の室内席から2階船上席に移ってみると、海風が心地よく陽射しもたっぷり

だったので、湾内に停泊する貨物船や大型のコンテナ・クレーンなどを見ながら、ベイクルーズを楽しめた。



横浜ベイブリッヂを潜ってから、みなとみらい地区のランドマークタワーや帆型ホテルの建物群を臨む。
海上からしか見られない雄大な眺めだった。


船内には、ポイント・ポイントで説明してくれるガイドさんがいて、その話もなかなか面白かった。ペリー提督が初めて上陸

した頃は、横浜は人口400人程度の小さな漁村だったとのこと。現在の発展ぶりを見たら、ほんとにペリーさんもびっくり、

だろう。大型コンテナ船に貨物を積み下ろしするコンテナ・クレーンも見物だった。




一台10億円相当するコンテナ・クレーン、この港全体で約60機あるというから、設備投資だけでも大変な規模だとわかる。




ベイクルーズの後で、赤レンガ倉庫のイタ飯屋で食べたランチ。野菜たっぷりで美味しかった。


晩秋の横浜港風景を晴れた青空の下で見られてとても楽しかったが、この他にも、横浜夜景を楽しむ「Cafe Ship」という

コースもあるから、興味ある方は試してみてはいかがだろうか。海からの眺めは、日常と違ったパノラマを体験できるから、

気分のリフレッシュにはもってこいだと思う。





ランドマークタワーを臨む汽車道では、赤く色づいたヌルデの紅葉がきれいだった。


以下はおまけの画像です。





冬桜(四季桜)の小振り・八重の花弁、咲いているかよく判らないほどの小さな花だ。晩秋から初冬に花開くが、側を歩いて
いても見逃してしまうことが多い(上)。今年の紅葉はやや遅れ気味と聞くが、色づき始めのイロハモミジの紅葉も、色が
混ざり合ってきれいなものだ(上)。2点とも、川崎市郊外の遊園地にて撮影。


Jovial TAKA Trio Live のご案内

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Jovial TAKA Trio LIVE(第7回)
開催日平成28131
開演18:30 閉演20:30
会場経堂・カフェマレット


156-0052 東京都世田谷区経堂2-16-2 http://malleth.exblog.jp/
小田急線経堂駅北口徒歩2Tel03-3427-7171

出  演:ジョビアゥ・タカ(Vo/Gt)、ウッチー(Pf)、KAZABa

M C2,000(ドリンク別) フードメニュー:キーマカレーやハンバーガー・ロコモコなど揃っています。         
予 TAKA携帯090-2914-2567 または、メールJovialtaka@ace.ocn.ne.jpまで

会場は、20座席の小さなライブハウスです。事前予約をお願いします。



カ(Vo/Gt
ライブ歴10年、「Jovial TAKA Band(結成は2010)Vo/Gtを担当。
ボサノヴァとオリジナル曲を歌い続けている。 


ウッチー(Pf
早稲田ダンモ(ジャズ研)出身、ライブ歴30年以上。現在も他二つのバンドで
ピアニスト・アレンジャーとして活躍中。 



 KAZABa
プロのベーシスト、多くのバンドに参加して活動しながらBaのレッスンプロも。
ファンキーで乗りのいいウッドベースは定評がある。


■首都圏で活躍するミュージシャン2人と、ボサノヴァ・ジャズ・J-POPS・オリジナルをジョビアウ・タカが歌います。
トリオ・メンバー達の演奏と心地よいサウンドをお楽しみください。

YouTube動画とブログのご案内
今までのライブの歌と演奏は、「takasantafe neo」と「Luriirocho」でご覧ください。
ブログ:「Jovialidade Do TAKAhttp://jovialtaka.blogspot.jp

<演奏予定曲> 第1部はTAKAオリジナル曲を中心にJ-POPSも、第2部はボサノヴァ・ジャズナンバーを歌います。

「あなたをずっとー夏の終わりのサンバ(新曲)」、「Beside You あなたの側で」、「愛とも知らないで」、「ブラッド・ムーン」、
「君に酔ってしまいそうな夜」、「One Side Love」、「恋のフーガ(ポルトガル語版)」、「ワインレッドの心(ポルトガル語版)

O Pato アヒル」、「Antonico アントニコ」、「Corcovado コルコヴァード」、「Misty」、「Manhã de Carnaval(黒いオルフェ)」、
Desafinado音痴」、「Samba de Orfeuオルフェのサンバ」「Trem Das Onge 11時の汽車」、「Autumn Leaves」、etc
   
ボサノヴァ曲(ポルトガル語)は、TAKA訳の日本語詞でも歌います。

皆様のご来場をお待ちしております!

2015 ISU フィギュアスケート グランプリ・ファイナル戦を見終えて(その1)

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グランプリ・ファイナル戦男子シングルの表彰台は、羽生結弦(金・中央)とハビエル・フェルナンデス(銀・左)と宇野昌磨
(銅・右)の3人。羽生の驚異的な高得点(SP110,95/FS219,48計330,43)は、異次元のスコアと話題になった。
 All Photo by MSN


前回のブログ(11/15 「グランプリ・シリーズ後半戦とファイナル戦を予測する」)で、ファイナル戦の男女シングルの出場者

を予測してみたが、男子6人は日本勢3人(羽生結弦・宇野昌磨・村上大介)とH・フェルナンデス(スペ)、パトリック・チャン(カ)、

金博洋(中)となり、アメリカ勢の2人(ジェソン・ブラウンとマックス・アーロン)とロシア勢2人(マキシム・コフトンとセルゲイ

・ボロノフ)は出場できなかった。私の予測になかった2人の内、金博洋は、ジュニア戦で宇野昌磨と争ってきた実力者、村上

大介は健闘してファイナル戦出場を勝ち取った。しかし、ベテラン復帰者と中堅実力組と若手台頭組ががっぷり4つで熾烈な

戦いを繰り広げるという構図はズバリ実現したので、ハイレベルな戦いを堪能することが出来た




心・技・体が全て揃った完璧な演技、というものをこれからも見られるのだろうか? 330,43という超高得点の
羽生結弦の演技は、これからもフィギュアスケートの歴史の中で語り続けられるだろう。


「磨き上げたプログラム」を見せてもらった気がする。羽生結弦のSPはショパンのピアノ曲『バラード第一番』がテーマ曲、冒頭

の4回転サルコウ・ジャンプを見事に決め、その後の4回転+3回転のトゥループとトリプル・アクセルもきれいに決めた。テーマ

世界に乗った流れるような演技の中でのジャンプ、ステップもスピンも、何一つ滞ることなく、滑らかで力強くそして美しかった。

FSのテーマ曲は、映画『陰陽師』の『SEIMEI』、彼は陰陽師になり切って全てのジャンプをミス無く、高く・ダイナミックに飛んだ。

4回転はサルコウとトゥループ2種だが、3回転はフリップ・ループ・ルッツ・3アクスルの4種を完璧に決め、コンビネーションも

鮮やかだった。今シーズンのGPSを戦う中で、ブライアン・オーサーコーチとともに演技を磨き上げてきたが、ファイナル戦で

ここまでの高得点を獲得するとは、コーチの彼も予測しなかっただろう。キスandクライでのコーチの驚きの表情と、羽生本人の

溢れる涙がとても印象に残った。一つ一つの技を最高レベルにまで高める練習と、そのための肉体の酷使に耐えること、そして

己に打ち勝ち己を超えようとする精神力、その『心・技・体』が一体となった最高のパフォーマンスを観客に見せられる様努力

する姿は、アスリートとしての鑑だ。私自身は、礼節正しく強靭な心と肉体を持った『サムライ』を彼の中に見た。今時の若い日本人

でも、素晴らしい人間がいることを改めて知らしめてくれた。おじさんたちも、まったくオチオチしていられないよ、と感じさせて

くれた気がする。


日本のファンだけでなく、国境を越えた世界のファンたちが彼の演技に酔いしれた。
いや~まったくすごい日本人の若者がいるもんだ!


羽生選手の試合後のインタビューを聞いても、彼には常に自分を支えてくれるファンや関係者に対する感謝の言葉がある。それと

同時に、自分の演技を完成させようとする強い意欲と、さらなる芸の高みを目指しての目標を表現する。有言実行で自分を追い

込んで克己努力する姿勢は清々しささえ感じられるのだ。恐らく、キスand クライでの溢れ出た涙は、自分の目指した高みを

達成できたことの感涙だったと思う。ファイナル戦のNHK杯で出した初めての300点越え(322,40点)を見たTV解説者の2人

(織田信成と鈴木明子)が、その瞬間に「開いた口がふさがらず」、しばらくポカンとしていた映像の記憶も新しいが、フィギュア

スケートは300点という今までにない異次元の世界に突入してしまった。競技から引退した高橋大輔も、「もう(競技には)帰れない!」

と嘆いたものだ。彼は恐らく、コーチのブライアンとともに総てのジャンプ(6種類)類の4回転に今後挑んでくるだろう。エキシビジョン

でトライした4回転ループはその皮きりだと思う。そして、FSのテーマ世界:陰陽師は、日本古代に存在した神の領域と人間界を

繋ぐ呪術師あるいは祭祀師であり、厳しい修行によって陰陽道を極め、神の領域に届かんとする陰陽師の姿は、「フィギュア道」

を探求してさらなる高みに近づこうとする羽生選手の姿と、重ね合わされたイメージを感じたのは、決して私だけではなかった

と思う。その意味で、あのプログラムは彼のパーフォマンスの中でも秀逸だった。



地元スペインのファンを沸かせたH・フェルナンデス、ほぼノーミスの素晴らしい演技ながら、
羽生の高得点にやや影が薄れてしまった。

今シーズンのGPS戦で2勝しているのは彼だけだ(中国杯とロステレコム杯)。昨シーズンの世界選手権優勝者は、素晴らしい演技で

観客を沸せた。SP(テーマ曲:ラ・マラゲーニヤ)はフラメンコ、FS(テーマ曲:野郎どもと女たち)はジャズアレンジ、彼の表現力は

多彩で活き活きしている。ジャンプの安定性、スピン・ステップの滑らかな滑り、彼の演技の正確さと洗練性を誰もが評価する

だろう。FSの得点は201,43、彼の初めての200点越えも羽生の高得点の前にかすんでしまったが、彼も超一流のスケーター

であることを誰もが認めている。今後も、彼と羽生の戦いは見物だし、同じコーチ(B.オーサー)の元よきライバルとしてしのぎを

削っていくと思う。


今回のダークホースは宇野昌磨、ジュニアからシニアに転戦した初シーズンで表彰台に立つ快挙だった。

宇野昌磨の何が良かったかと言えば、やはり思い切りの良さと身体の柔らかさだと思う。小柄な体躯(身長159㎝)ながら、スピード

に乗った滑走と、キレの良い身ごなし、身体全体を大きく使った演技は、観客に躍動感を与えてくれる。FS(テーマ曲はあの

トゥーランドット)のジャンプはノーミス、4回転のトゥループとコンビネーションを見事に決め、ルッツ・ループ・サルコウ・アクスル

の3回転もすべてきれいに飛んだ。「恐るべし17歳スケーター! 」とTV解説者にも言わしめたのだ。ファイナル戦を転戦するうちに、

顔つきも勝負師の顔に引き締まってきた。今後も、トップスケーターたちを脅かす存在として、活躍が期待される。


私自身も予想していなかった金博洋(中国18歳)が、ファイナル戦6人の中に入ってきた。ジュニア戦で宇野昌磨とライバル同士

として競い合ってきた選手と聞くが、果敢に4回転に挑戦する姿は見物だった。回転スピードも速く、今時若手選手の実力を

改めて確認することとなった。羽生結弦のジャンプの凄さは、高度と回転軸のブレのなさだが、加えてシャンブに入る前の演技だ。

ブリッジや軽いステップの後、流れるようなジャンプが入ってくる。その繋がりの滑らかさと、飛んだ後の姿勢・身体の動きが実に

美しいのだ。金博洋の場合、「これから飛びますよー」の待機時間が長い。精神を集中しミスの無いようにタイミングを計って

いるのだろうが、これは他の多くの選手にも見られることだ。羽生選手のレベルに達するには、まだまだジャンプ演技を磨く必要を

感じるが、彼も演技を磨いてトップスケーターの仲間入りを目指してほしい。フィギュアスケートも男子はすでに4回転ジャンプ時代

に入ってしまった感があるが、高度な演技を楽しめる機会が増えることは大いに歓迎したい。

パトリック・チャン(カ)は、1年間の休養を経て試合に復帰し、SPでの演技失敗を取り返すべくFSでは高得点(192,84)を出して

気を吐いた。ジャンプもノーミス、「最高のステップ」と評されたステップも健在だった。しかし、羽生結弦の一つ次元が違う演技

を見てしまった我々からすると、チャン自身の演技がやや重たるく感じられたのは私だけではないだろうと思う。若手選手の台頭

と、高度な演技に磨きをかける中堅実力選手たちの前では、いかに前五輪金メダリスト・前世界選手権者と言えども、太刀打ちが

困難な状況が見えているように感じるのだ。ベテランの復帰(女子の浅田真央もしかり)は、話題としてはよろしいけれども、現実は

かなり厳しいことも解ってきたのだ。村上大介のファイナル戦初進出は6位に終わったけれど、FSでYoshikiの『Anniversary』に

乗っての滑走は、日本のアーチストの曲表現にチャレンジした新しい可能性を提示してくれて良かったと思う。

<この項つづく>

2015 ISU フィギュアスケート グランプリ・ファイナル戦を見終えて(その2)

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女子シングルの表彰台は、エフゲニア・メドベデワ(金・中央16歳)、宮原知子(銀・左17歳)、エレーナ・ラジオノワ
(銅・右17歳)の3選手、10代の若手台頭組が独占した。 All Photo by MSN


今回GPSファイナル・女子シングル戦の構図は、男子と同様にベテラン復帰者(浅田真央・日)と中堅実力組(アシュリー

・ワグナーとグレイシー・ゴールド:共に米)、そして若手台頭組(エフゲニア・メドベデワとエレーナ・ラジオノワ:ともに露、

宮原知子:日)の三つ巴となった。昨シーズンのチャンピオンで世界選手権を制したE.ツクタミシェワは、カナダ杯で2位に

食い込んだものの、エリックボンパール杯(仏)では振るわずファイナル戦には残れなかった。同じく、本郷理香(日)も、

中国杯で2位だったが、ロステルコム杯(露)で振るわず出場を逃した。E.メドベデワと宮原知子の出場は私の予想外

だったが、それだけ若手の台頭が顕著だったに尽きる。終わってみれば、10代の3選手が表彰台を独占してしまった。



ファイナル戦女子シングルのチャンピオンは、ジュニアから上がってきたばかりのE.メドベデワ(露)、
SP74,58/FS147,96 計222,54の高得点をたたき出した。


昨シーズンのジュニアGPS戦とファイナル、そして世界選手権に出場し、全ての試合で優勝したメべドデワの実力は本物

だった。その勢いをそのままシニア戦に持ち込み、GPS戦ではアメリカ杯優勝・ロステレコム杯2位でファイナルに出場して

来た。SPのテーマ曲は映画『白夜の調べ』、ジャンプは3フリップ+3トゥループのコンビネーションと3ルッツ、2アクスル。

全てのジャンプをノーミスで飛び、片手を挙げての高難度も成功させた。いやはや、凄い若手が出て来たな、とびっくりした

が、FSのテーマ曲は同じく映画の『ヴォリスとエドワード』。3回転ジャンプは、トゥループ・フリップ・ルッツ・サルコウ・ループ

アクスル以外の全種類をコンビネーションと合わせて飛んだから、その技術的なレベルは相当高度なものだ。これは、

表彰台に上がった宮原知子やE.ラジオノワにも共通で、ジュニア時代からしのぎを削ってきた有力選手の技術力は、一昔

前に較べるとガラリと変わってしまった。メドべドワのFSでの演技構成点(芸術点)も6人中トップの72.37だから、ステップ

スピンを駆使したテーマ曲世界の表現でも、優れていたことを物語っている。

しかし、次から次へと有力選手を輩出するロシア女子選手の中で、ソチ五輪金メダリストのA.ソトニコワはその後低迷して

いるし、J.リプニツカヤも今回GPSの表彰台には上がれなかった。すでに、ジュニアGPSファイナル戦では、ポリーナ・ツルスカヤ

とマリア・ソツコワが金・銀で表彰台に上がっているから、さらに若い選手が下から上がってくるのだ。激しい競争の中で

トップ選手であり続けることは、ロシア女子選手にとっては至難の技と見受けられる。



女子シングルファイナル戦・銀メダルの宮原知子は、今回大健闘だった。自己ベストの200点越え(208.85)を
実現し、表彰台に立った。画像はエキジビションより。


小柄で細身(身長150㎝)の高校生が、いつの間にこんなに強くなったの? と思える位、今シーズンの宮原知子の活躍は

目覚ましいものがある。元々練習熱心なのは有名だが、演技の正確さでは定評がある。ただ、恥ずかしがり屋で、歯科矯正

のリングをしていたり、風貌がちょっと゛おばさん゛ぽかったり、決して華やかさはないのだが、日本女子選手の中でも、一番

安心して見ていられる選手だ。SPのテーマ曲は『ファイアー・ダンス』(フラメンコ)、FSのテーマ曲はF.リストのピアノ曲

『ため息』、色々な雰囲気の曲に乗って演技表現が出来るようになってきた。今回、FSの演技はノーミスで、ジャンプも

3アクスル以外の3回転ジャンプ全種類を飛んでみせた。優勝したメデべドワに対抗できたのは彼女だけだったのだ。

今後の課題としては、正確な演技を心掛けながら表現力をもっと磨くことだろう。芯の強さと言うか、精神力のたくましさ

では、群を抜いていると思うし、最後はこれが物を言うから、「おんな羽生」になったら良いのだ!(かなり大胆な提言かも!?)



ジュニアからシニアに転戦して3シーズン目、エレーナ・ラジオノワ(露)は表彰台を争う安定した成績を残してきている。
今回も200点越え(201,13)を達成して銅メダルだった。


昨シーズンに較べて身長が10㎝も伸びた! と話題のE.ラジオノワ、少女期から大人への移行期にどの女子選手も経験する

困難を彼女は何とか克服していると思われる。身長が伸び体重が増えれば、自分の身体のコントロールは大変だろう。

今まで飛べていたジャンプは不安定になるし、スピンだってうまく廻らないのが常だ。今回ファイナル戦のSPテーマ曲は

『ジュテ―ム』、FSテーマ曲は映画『タイタニック』、ともに笑顔で明るい彼女のキャラクターに合っていた。SPはノーミスで、

スピンもステップも良かったが、FSでジャンプの細かいミスを2つ出してしまったのが残念だった。しかし、成長期にうまく

自分をコントロールして安定した成績を続けているのは、今後も彼女の活躍を見られる楽しみがあるというものだ。


アシュリーワグナー(24歳)とグレイシー・ゴールド(20歳)のアメリカ勢2人は、今回の表彰台にどちらかが上がるだろう、

と私は予測していたのだが、二人ともSPでのジャンプミスが祟って200点越え出来ず表彰台を逃した。わずかに、A.ワグナー

のFS演技がほぼノーミスだったのが救いだったか。ダイナミックでキレの良い演技はA・ワグナーの持ち味、優雅で品の

ある滑走はG・ゴールドの魅力、これからも中堅実力派選手として、スケートリンクに立ち続けて欲しいと私は思う。

1年間の休養の後、ベテランとして競技に復帰した浅田真央、GPS中国杯の優勝にファンも今シーズンに大きな期待を

寄せたが、その後のNHK杯はかろうじて3位、今回ファイナル戦は6位の残念な結果だった。男子の復帰組P・チャンも

しかりだが、やはりスタミナ切れだろうか。そして、ジュニアも含めて、フィギュアスケートでメダルを目指す選手層の拡がり

もあると思う。年々、競争も激しく演技レベルも上がってきている。ベテランたちの演技尺度では太刀打ちできないような

高度な技も増えている。言わば、次元が違ってきているのだ。そういう状況の中で、競技を続けるモチベーション(動機)が、

とても大切なのだ。羽生結弦のように、常に自分の技術のレベルを上げることに挑戦し、己の中に己を超える新たな目標を

見出すことが出来なければ、表彰台に立ち続けることは困難だろう。フィギュアスケートも、『心・技・体』すべてが揃った

上での強靭な精神力が問われる時代になってきているように思うのだ。


<この項終わり>

G Flats(ジーフラッツ) クリスマス・ジャズ・ライブ訪問記

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音友ウッチーが参加しているジャズ・バンド:G.Flats

(ジーフラッツ)のクリスマス・ライブがあるということで、

取手の会場「Cafe じゅんべりー」まで出かけてみた。

ゲストで3~4曲歌ってほしいとの要請があり、少々遠い

けれど、音友の頼みとあれば行かずばなるまい、という

わけだった。会場は「漬物のさわと」というショップの2階、

若主人とスタッフたちが運営するギャラリーとカフェを兼

ねた多目的ホールで、毎月2回ほどクラシックやジャズ

のライブが開かれているとのこと。グランド・ピアノが

ホールの奥にデンと置かれていた。

今回ライブのプログラム、中にはクリスマス・ソングの
歌詞が載せられ、会場の皆さんと一緒に歌った。




メトロ千代田線とJR常磐線を乗り継いで、取手駅からタクシーに乗り会場に着くと、2階のホールはすでに40人程のお客

さんで埋まっていた。後で聞いたら、マネージャー役の女性が地元出身で、近隣のオバ様・オジ様達をご案内したとのこと。

賑やかな雰囲気でライブは始まったのだった。コーヒーやワインのドリンクと軽いおつまみ付きの参加費(3千円)なので、

ゆったりと椅子に座って飲み物をいただきながら演奏を聞けるのは良かった。ベース担当の吉村さんは、実は私の高校

(長野高校)の4年先輩。キャンパスではお会いしたことはなかったが、長野放送でディスクジョッキーをしているTDくんや、

今回ご一緒した音友HIさんの兄上や、高校同期生バンドのメンバー・ヨッシーとも知己があるというので、親しみがある

のだ。会場の席に座っていると、吉村さんが同じ高校の友人Nさんを伴って声をかけに来てくれた。





バンドメンバーは左より、ウッチー(Pf)・津田さん(Gt)・中村さん(Col)・吉村さん(Ba)・早坂さん(Dr)の男性5人、
年齢は70歳前後。吉村さんによると、女性メンバーは居ないので「ずっと女日照りが続いている」、とのこと(?!)



今回ライプの構成は、一部がジャズのスタンダード中心で、「You'd be so nice to come home」・「The Nearness 

of You」・「Take the A Train」など7曲をを軽快に演奏した。昨年3月に開催した藤沢でのライブに較べて、全体の音が

まとまってきていて、なかなか良かった。各演奏者の音もそれぞれはっきり聞こえたし、レベルが一つ上がった感じを受けた。

きっと毎月一回の定例リハで、一生懸命練習を重ねたのだろう。メンバーの皆さんは、実は練習よりもその後の飲み会が

楽しみで(練習より飲み会の時間が長いとのこと!)集まるそうな。70代のメンバーもおられる中で、楽しみながらバンドを

続け、自分たちの音表現に磨きをかけているのは素敵なことだと思う。

休憩をはさんでの2部は、クリスマス・ソングのオンパレード。「ママがサンタにキスをした」・「赤鼻のトナカイ」・「ジングルベル」・

「きよしこの夜」など7曲を、バンドの伴奏で会場の皆さんと一緒に歌った。メンバーたちは赤いサンタ帽子を被ったりして

クリスマスの雰囲気を盛り上げていたので、とても和やかな気分だった。




会場がさほど大きくないので、ゲストとしての弾き語りは生音でやった。会場の皆さんの
「聴く気」がじわ~っと伝わってくる様な手応えがあった。


ライブの2部が終わり、「本日のゲストを紹介します。」のお知らせが、MCの津田さんからあるかと思いきや、ご案内が何も

ないものだから、お客さんが席を立ち始めてしまった。「バンドの演奏が無事終わったので、ゲスト紹介を忘れたか!?」

と察して、私はギターを持って前のステージに歩き出した。やっと気が付いてメンバーの誰かが「ゲストの歌と演奏があり

ます!!」と叫んだが、半分近くのお客さんがすでに帰ってしまった。椅子に座りギターを抱えて、開口一番私は「残って

いただいた皆さんは大変ラッキーな方達です!」と言い、用意していた譜面をウッチーに渡し曲紹介をして弾き語りを始めた。

最初の曲は『黒いオルフェ(カーニヴァルの朝)』、心を込めてGt伴奏をしながら歌った。1コーラス弾き語りして、次の

1コーラスをウッチーのPFソロに渡そうとしたら、コルネットの中村さんがソロを吹き始め、後半をウッチーが弾き継いだ。

いつの間にか、Baの吉村さんとDrの早坂さんが加わり、とても素敵なセッションが続いた。3コーラス目をアドリブで〆て、

静かなエンディングで曲を終えた。会場からは大きな拍手が湧き起こり、バントメンバーの各位もとても楽しそうな笑顔

だった。ボサノヴァの名曲で、演奏者もお客さんも、皆が知っている曲だったのが良かったのだろう。そして、何時の間にか

スッと入ってセッションができる力をメンバーたちが備えてきているのが嬉しかった。私も大いに楽しめた。

そのようにして、『オルフェのサンバ』・『あなたの側で』(オリジナル曲の通称゛あなそば゛)・『黄昏のビギン』を続けて弾き

語りした。後の2曲は、ご一緒したHIさんに、追っかけコーラスとデュエットをしてもらった。とてもいい感じに曲表現出来た。

メンバーの皆さんたちと一緒に4曲もコラボ出来たし、HIさんとのコラボも楽しかったので、はるばる取手まで来た甲斐が

あったというものだった。

ライブ終了後、同じ2階の別コーナーで打ち上げがあり、食事をとるメンバーの皆さんとは別に、店のオーナーから漬物

盛り合わせを出していただき、美味しいビールとともにいただいた。ウッチーや皆さんにお礼を言って、打ち上げ会が続く

会場をお先に失礼させていただいた。バンド名のG.Flats(ジーフラッツ)のごとく、いつまでもジーさん以前(ジーさんには

なるまいぞ!)で、お元気に音楽を続けてもらいたいと思った。

2015年(平成27年)も、ようやく暮れて

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師走の冬晴れの朝、家のベランダからは冠雪した富士山がすっきりと見える。All Photo by TAKA


今年もあと3日で暮れようとしている。この秋関東では、河川の堤防決壊による大水害があったり、中東では戦禍は治まらず、

フランス・パリでも、大規模なテロ事件が発生したりした。地球の温暖化は治まらず、気候変動の激しさに身が追い付かない

こともしばしばだが、私事を言わせていただければ、概ね穏やかで平安な日々を過ごしている。地域サービスの仕事(じい様

・ばあ様・障害者の方・難病の方のケア)は、続けてもう8年目になるが、週の半分ほどの時間なのでマイペースでやらせて

いただいている。これからも自分のできる範囲で続けて行こうと思っているが、私の居る事業所でも私が最年長者なので、

無理をせずに世の中のお役に立てばよいと思っている。

今年はまた、私の周りに居る趣味友達のお蔭で、一緒に楽しい時間を過ごすことが多かった。音楽(歌会とライブ)・花巡り

とフォト撮影・近隣への小旅行・季節の料理・美術鑑賞と多摩川での遊び・フィギュアスケートなど、巡る季節の中で楽しみ

見出す機会に恵まれた一年だったと言える。その多くは、このブログにもフォトとともに載せて皆さんに見て頂いているが、

恐らく、来年もこの基調は変わらないと思う。何はともあれ健康に気を付け、毎朝のストレッチや身体に取り込む食材などに

留意しながら、バランスの良い身体管理を心掛けて行くつもりだ。やはり、病気やケガをしてしまうと、思い通りに物事を為せ

ない。身内や友達の中にも、今年は他界した方に遭遇したが、その人の不在を思うと寂しいものだ。



師走の夕暮れ時、家のベランダから見た富士山のシルエット。棚引く雲が紅に染まっていた。


明けて1月(31日)には、経堂のマレットで『タカ・トリオ』のライブがあるし、2月(20日)には、大学時代の『詩集紫陽花

・同人会』(現代詩のサークル)を予定している。また、3月(12日)には長野で高校時代のマンドリン班の『音楽の集いと

同期会』がある。4月は再びシルク・ド・ソレイユの『TOTEM東京公演』があるし...何だか遊んだり楽しんだりの予定が

控えているのだ。このブログに載せられるものは、フォトとともにまた皆さんに見て楽しんでいただこうと目論んでいる。

来る年の皆様のご多幸をお祈りして、今年のブログの最終回としたい。

平成28年(2016年)の始まり

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何時もの年と変わらぬ我が家のお節。一のお重には、黒豆・田作り・海老のうま煮・紅白なます・赤蒲鉾を、
二のお重には、サーモンと白身魚のミルフィーュ・昆布巻き・数の子・白蒲鉾を盛り込んだ。 Photo by TAKA


我が家のお正月には、お節料理を作って新年を迎えるのが例年の習わしだ。師走の半ばから、買い物をしたり、さび釘

(黒豆用)を作ったりして、29・30日の二日間でささっと作ることにしている。お節料理には、伝統的な日本の家庭料理

(和食)の基本がぎっしりと詰まっているから、自分で作ったレシピ本(食材と料理手順・撮影写真を載せたもの)を見直し

ながら、食材を刻んだり・煮たり・お造りをしたりして作り上げる。このレシピ本は2004年のお節料理づくりを契機にして、

その他の魚料理・野菜料理・鍋料理・豆腐料理・肉料理・麺類・ご飯類などなどを加えて2冊・60ページ程あり、約80品目

(上下2段が半分)のレシピが手元にあるのだ。1年程かけてこの位のレシピを作ると、もういい加減にいいだろう、という

ことで新しいものは載せるのもお終いにしたが、時折見直しては料理を作る際にとてもいい参考になる。このブログにも

初期(2008~2009年)には、そのレシピと写真の結構な数を載せているが、最近はさほどでもないのだが。



お節料理の黒豆煮のレシピ、料理写真は自宅の即席スタジオでスポットライトを使って撮影、調理手順などは
全て鉛筆の手書きだ。お節の料理本を参考にしながら、味付けは素材を生かした独自の味付けにしている。



黒豆煮:甘味控えめのやわらか煮、まめ(健康)に暮らせますようにとの願いを込めて。さび釘のお蔭で、黒い艶も

うまく出せた。

田作り:カリッとした歯触りが身上、豊作を願う縁起物。デロンギの上で水分を飛ばして(2時間程)から、照り醤油

(出し汁・みりん・醤油・洗双糖)で味付け。飽きの来ない味が出せた。

海老のうま煮:ひげが伸びるほど、腰が曲がるほど長生きが出来ますように願う長寿のシンボル。年毎に国産車海老

の入手が困難になっている。輸入物の冷凍海老を今回は使った。

紅白なます:紅白の色は、太古の昔から平和のシンボル、お節料理には欠かせない。良く研いだ包丁で細長く手切りし、

塩でもみ水分を絞ってから、玄米黒酢とメイプルシロップで味付け。しゃきしゃきとした歯触りが美味しかった。

紅白蒲鉾(2色サンド):赤蒲鉾にはナチュラルチーズと紫蘇の大葉を挟み、白蒲鉾にはとびっこ(トビウオの卵)とゆず

の皮細切りを挟む。ちょっと華やかなオードブル風味でおめでたに花を添える。

昆布巻き:昆布は「よろこぶ」に繋がり、一家の繁栄を願う縁起もの。日高昆布で生鮭を巻いて、かんぴょうで縛る。煮汁

(出し汁・酒・黒酢)で煮てから、みりん・醤油で煮上げる。小振りで食べやすい。

数の子:単純な味だけにごまかしが効かない。無漂白の数の子を、薄めの塩汁で水を替えながら3度塩抜きした。漬け汁

(出汁2カップ・醤油・みりん各20cc)で柔らかな味付けに。子孫繁栄を願う縁起ものです。

サーモンと白身魚のミルフィーユ:生魚のお造り(刺身)を、オードブルのようにしつらえた一品。板状の切身を薄く刺身

にし、広げたラップの上に紫蘇・サーモン・おぼろ昆布・白身(鯛や鰤など)の順に重ねていく。3段から4段に仕上げ、ラップ

で包んでおく。食べる時は、一枚づつ剥がしながら何もつけずにいただく。刺身に香味と旨味が加わった味のハーモニー

が楽しめる。



手伝っていただいてお料理別けしたYKさん宅のお節、二つのお重にきれいに収まった。

水分補給と飲み物の話

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長年使い続けている「フィルターイン・コーヒー and ティー メーカー」、ワイアー・メッシュの丸いフィルターが経年変化で
擦り切れてきた。フィルターと金具一式を取り換えることにした。 All Photo by TAKA


毎日の食事後やお茶タイムに摂取する飲み物には、各自好みがあると思うが、私の場合は日本茶が多い。それとは別に、

コーヒーや紅茶もよく飲む。身体のことを考えた水分補給という点では、朝起きがけと寝る前に必ず、そして昼間でも喉が

渇いたときや、一仕事終えた時にコップ一杯の水を飲むことは習慣になっている。食事中に飲むアルコール類(ビール・焼酎・

ワインなど)は、この際水分補給とは別に考えたい。それで、専らコーヒー専門に使っていた一杯分(350cc)のポットは、珈琲

豆卸専門店で煎りたての豆を挽いてもらって購入した珈琲粉に湧かしたお湯を注ぎ、約3分程抽出してから飲むのが専らだ。

2人以上のコーヒーを入れる時は、ペーパーフィルターを入れた大きなポットを使うが、コーヒー豆の油脂成分がペーパー・

フィルターに取られない分、一杯分のポットでいれた珈琲の方が美味しく感じる。


この一杯分ポットは、使いやすいので愛用して来たのだが、10数年も使っていたらフィルター部のワイアー・メッシュが綻び

てきた。抽出した珈琲飲料分をフィルターでプレスすることを繰り返すので、ガラスとの接触部分が擦り切れたのだ。近くの

ホームセンターや、珈琲豆を買う駅前の堀口珈琲店(近辺の喫茶店はここで豆を購入される方が多い) などに当たって

みたが、このタイプのポットを扱っておらず、ましてや中のフィルターだけ交換できるのも不可能だった。そこで、ネット通販で

新しいポットを探してみようといろいろ調べてみたら、ナント、ポットもあったし交換用フィルターもあったのだ!! 正式の製品名

も、「フィルターイン・コーヒー and ティー メーカー」と呼ぶこともわかった。数社のメーカーがこの製品を扱っているが、

他の名で「フレンチ・プレス」とか「トラベル・プレス」、という呼び名もある。要は゛手軽に美味しく珈琲を入れられます。゛

ということなのだ。ネット注文したフィルターセットが届いたら、早速取り換えてまた美味しいコーヒーを飲もうと思っている。





備長炭の一片(10㎝位)を入れてろ過している毎日の飲料水、500ccのペットボトルにも入れて冷蔵庫保存。


毎日の食事によって身体に栄養分を取り込むことは、我々が生きていくために必須のことなのだが、願わくはそれが体内

でスムースに消化・吸収され、栄養分が取り込まれた後の残り物(気体・液体・個体)も、スムースに対外に排泄されること

が望ましいのは誰もが解っていることだ。その代謝を促すためにも、適度な水分補給は欠かせない。以前は、濾過器を

使って水道水を脱臭ろ過していたのだが、私の住む狛江地区は奥多摩湖系の水道水なのでかなりきれいな水であることが

わかり、またろ過器が台所で結構邪魔になるので外してしまった。その代り、ポットの水に備長炭の一片を放り込みろ過

した水を飲んだり料理に使ったりしている。2リットルのポット水を使い終わると、その備長炭を湧かしたお湯で煮沸し一日

天日干ししてからまた再使用する。一年間ほど使ったら数本を買い替えする。カルキ臭も雑味もこれで十分に取れて美味しい

になるので、1人暮らしの身にはこれで十分だ。




朝食に飲む玄米スープの粒粉と休みの日やコーヒータイムに飲む珈琲粒粉、堀口珈琲店で挽いてもらい
何時も冷蔵庫に保存している。


この冬、私の身体的状況に顕著な変化があった(なに、大したことではないのだが...)。と言うのは、ここ2年間私を悩ませて

きた湿疹(腰回りや胸元)がかなり良化したのだ。かかり付けの皮膚科の女医さんは、副腎皮質ホルモン系の塗薬を処方して

くれたので、風呂上がりや症状が出た時に塗っているが、一番の対処は肌着を全部取り換えたことだった。いわゆるヒート・

テックを謳った機能性肌着を全部止めたのだ。運動や仕事で体を動かすとき、またエアコンの効いた(効き過ぎた!)乗り物や

室内では、体内の熱分を放出するために人は汗をかく。この汗が直接触れる下着に吸収されたり、風や冷えた空気により

クール・ダウンされて体温が調節されるのだが、ナイロン・アクリル・ポリエステルなどが混紡された素材では、汗は吸収され

にくい。結果、皮膚の表面に汗(身体の老廃物)が残り皮膚障害を起こす。皮膚科の女医さんも、最近機能性肌着による皮膚

障害が増えている、と言っていた。



食事後やお茶タイムに飲む「くき茶」、ほのかな甘みがあっておいしい。紅茶は「水車むらの七夕」で国産紅茶、
味と色がしっかりしている。ともに、自然食品販売の「こだわりや」で購入。



綿100%ないし、綿が90%以上の肌着に全取っ換えしたことで、心配の種だった湿疹はほぼ治った。ただし、晴天と乾燥

が続く関東地方の気候では、乾燥と水分不足による肌荒れや乗り物・外出先・自室内の環境によっては皮膚障害を起こし

やすい状況が多々あると思う。私の周りにも、急に身体に湿疹が出たり、顔に赤みが出たり、かゆみを伴ったり赤発などで

悩ませられる方がおられる。加齢による症状(肌の水分不足や代謝力の減少)という面もあるけれども、やはり体内に取り

込む食料や水分による面も大きいと思う。身体の保湿力や代謝力を十分キープできる水分や飲料と食材の摂取がとても

大切なことを改めて感じているのだ。それと、飲みすぎや食べ過ぎ、あるいは身体の使い過ぎ、ストレスの溜め過ぎなども

代謝力の減少を引き起こすので、何事もやり過ぎにならぬように、適度の休息を心掛けることも大事なことだろう。もう、

なかなか無理が効かないからね。


ジョビアゥ・タカ トリオ ライブ(前篇)

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アンコール曲「Autumn Leaves」を歌い終えて、思わず笑みがこぼれたTAKA。ウッチー(Pf)とKAZA(Ba)と3人で
ガップリ四つに組んだ共演のトリオ・ライブだった。録画した動画の静止画像より。 DVD by Teruo


先日の日曜日(1/31)の夜、経堂のカフェマレットで、第7回のタカバンド・ライブを開いた。今回はゲストもDrもなしで、

ウッチーとKAZAと3人の共演だったので、シンプルな編成のトリオ・ライブだった。前回のPICKでのライブでは、会場が

超満員のお客様で溢れ、来られた方達は随分と窮屈な思いをされたせいか、また、私のファンの奥様達が日曜日の夜と

いうことで敬遠されたせいか(ちょっと見えを張ってみた!?)、来場者はやや少なく10名で、程良く空いた席のゆったり

としたライブになった。

振り返ってみると、このカフェマレットは、第1回のタカバンド・ライブを開催した場所だった。今から5年2か月前の2010年

12月5日に、バンド名が『Quarteto UCHIKITA』(カルテ―ト・ウチキータ)という不思議な名前のバンドで、ウッチー(Pf)・

チアキ(Ba)・キリ(Dr)・タカ(VO/Gt)の頭文字をつなげた名前のカルテットに、ゲストのリュウヤ(Ts)が加わったクイン

テットのバンドライブだった。その時は、高校の同期生で別のバンド(ザ・タペストリー)を立ち上げようとしていたので、その

音友や地元椿珈琲店に集う「どようかい」のメンバーたち、それにボサ友や出演者の友人・知人が来てくれ、満席のとても

賑やかなライブとなった。その思い出深い会場で再びライブをやることにしたのは、私なりの思いがあった。


前回のライブ会場:同じ経堂のPICKは、PA環境も整い程よい広さなのだが、超満員のライブをしてしまいある種の達成感

が出て来たのと、さすがに同じ会場で4回続けてのライブとなると少し雰囲気を変えてみたいと言う気持ちになってきていた。

次の会場をどうするか考えた時に、もっと都心の交通の便も良くPA環境の良い会場(MCは高くなるが)にするか、または

地元狛江の会場でご近所さんも来やすい会場でやるか、色々な選択肢の中から私が選んだのは、初回のバンドライブ

したMalletだった。普段は喫茶とレストランを営業している店で、月に2回程ジャズやボサノヴァのライブを定期的に開催

している会場ゆえ、PA環境は一応備えてはいるが充分とは言えない。しかし、店主平田さんのキャリア(元早稲田ダンモ出身、

ビルのオーナーもウッチーの後輩で元ダンモ)からして、音楽に対する造詣は深いし、何よりもお店の雰囲気がとても寛げる

環境なのだ。また店主自身も、「余りお客が来すぎると対応できないので、精々10数人までにしてよ」と、音楽をゆっくり楽し

もうという心意気だし、出演者へのペイバックも良心的なので安心してライブが出来る会場だった。





初回タカバンド・ライブの懐かしい画像、左からゲスト・リュウヤ(Ts)、チアキ(Ba)、ウッチー(Pf)、キリ(Dr)、
タカ(Vo/Gt)。バンド名は「カルテート・ウチキータ」!


今回ライブの趣向としては、①私のオリジナル曲を思いっきり歌わせてもらおう! ②ベテラン・ウッチーのピアノと、プロベーシ

ストKAZAのベースと、私のギター弾き語りの歌とコラボし、トリオならではのハーモニーを思う存分に作ってみたい。③お客

さんにも、ゆったりと寛いだ雰囲気の中でライブを楽しんでもらおう、というものだった。アコースティックな私の歌とGt音は、

トリオにゲストプレイヤー(Dr・Sax・Vioなど)が入って賑やかにやるのも良いのだけれど、やはりシンプルな編成でじっくり

と聞いてもらえたら嬉しいな、と思ってのメンバー構成だった。前回ライブがあまりに賑やかだったからか(それはそれで

とても楽しくて、大勢のお客さんも喜んででくれたのはとても良かったのだが)、今回は歌の原点に戻って3人でガップリ四つ

に組み(実際は私が゛二人の胸を借りる゛ということだが)、会場も初回のバンドライブをしたマレットに戻って来たライブと

なった。「初心、忘れるべからず」 である。

当夜のプログラムを以下に載せておきます。


タカトリオ・ライブ 演奏曲(2016.1.31 in Mallet)


    1st Stage

1. 恋のフーガ Am J-POPS(ポルトガル語バージョン)
2. あなたをずっと(夏の終わりのサンバ) CMaj オリジナル(作詞/作曲 ジョビアゥ・タカ)
3. One Side Love 片想い GMaj オリジナル(作詞カルロス美希/作曲ジョビアゥ・タカ)
4. 愛とも知らないで GMaj オリジナル(作詞ジョビアゥ・タカ/作曲QP村山)
5. ワインレッドの心 Cm J-POPS(ポルトガル語バージョン)
6. ブラッドムーン CMaj オリジナル(作詞/作曲 ジョビアゥ・タカ)
7. 君に酔ってしまいそうな夜 BbMaj オリジナル(作詞:QP村山・作曲TAKA)
8. Beside You あなたの側で CMaj オリジナル(作詞:カルロス美希・作曲TAKA)

    2nd Stage

1. Desafinade 音痴 FMaj ボサノヴァ
2. Trem Das Onge 11時の汽車 Gm ボサノヴァ(日本語詞 by TAKA)
3. Corcovado コルコヴァード Am ボサノヴァ(日本語詞 by TAKA)
4. Antonico Em ボサノヴァ(日本語詞 by TAKA)
5. Misty CMaj ジャズ
6. Samba De Orfeu オルフェのサンバ CMaj ボサノヴァ(日本語詞 by TAKA)
7. Manhã De Carnaval Am 黒いオルフェ ボサノヴァ
8. O Pato あひる Eb ボサノヴァ(日本語詞 by TAKA)
アンコール曲:Autumn Leaves Am ジャズ

<この項つづく>

ジョビアゥ・タカ トリオ ライブ(後篇)

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ウッドのテーブルとイスが置かれ、落ち着いた雰囲気のカフェマレットで歌い演奏するジョビアウ・タカ トリオのメンバー3人。
後半に行くにしたがって盛り上がり、アンコール曲「枯葉」でピークとなった。


今回のライブ構成は、1部がJ-POPS2曲(ポルトガル語版)を挟んでの「タカオリジナル 怒涛のぶちまかし!」6曲(音友ヨッシー

の談)、2部がジャズ・ナンバー2曲を入れたボサノヴァ・スタンダード7曲、計17曲だった。予約客が少なかったので、少々

心配していたのだが、お店の大家さんや思いがけない音友(KIRI)や学友(KZくん)も駆けつけてきてくれたので、スタートの

18:30にはお客さんが揃ってしまった。予定通りの開演で順調にスタートしたが、このライブのために用意した新レパートリー

『恋のフーガ』(ザ・ピーナッツのヒット曲でお馴染み)と『ワインレッドの心』(詩:井上陽水/曲・唄:玉置浩二)は、ポル語と

日本語歌詞を両方歌ってみた。新趣向ということで、ライブの度に何曲かの新曲をトライして入れるのだが、私自身は

ちょっと味付けが変わって唄いながら楽しかった。客席の皆さんはいかがだっただろうか? オリジナル曲も、これだけまと

めて歌うのは初めてだったが、夏の歌『あなたをずっと』(あなずー)と『One Side Love』の2曲、ザ・タペストリーのバンド

活動から生まれた『愛とも知らないで』と『君に酔ってしまいそうな夜』の2曲、そして最近の『ブラットムーン』と最後に皆さん

から愛されている『あなたの側で』(あなそば)の2曲を続けて歌った。


1部の曲の中で、このトリオでやるのが初めての曲が大半(6曲も!)だったためか、「歌も演奏もちょっと硬かったわよ、でも

2部は凄く滑らかで気持ち良かった!」(音友HIさん)との感想もいただいた。初めての曲という以外に、私のマイクとギター音

に時折ビビりが出てしまい、スタート前のPA調整では出なかった雑音に少々悩まされながらの演奏となった。また、ベース

アンプとVo・Gtアンプを店のレイアウト上ピアノの上(後方)に置かざるを得ず、前向きになっている私にはベースの音が

聞きづらかった。そして、「曲がノスタルジックなこともありYo君とは高校時代にタイムスリップしてあいつどうしてる、こいつ

どうしてるで話が盛り上がりました!」(KZくん)という学友同士の声が聞こえた来たりして、ちょっとナーバスになっていたかも

しれない。私のオリジナルソングは、若い頃を思い起こさせる歌もあるし、また現在を生きる心境を歌ったものもあるが、

基本的にラブ・ソングだ。人を好きになったり、その思いが破れたり、今想いを寄せる人がいたり、その自分と人の思いを

言葉とメロディーに託して表現したものが多い。『One Side Love』は、2008年11月の制作、『あなたをずっと』は昨年8月

に作ったもの、1曲1曲に思い出が残る歌の数々を、今回まとめて歌えたのはとても幸せだった。有名でも何でもないオリジ

ナル曲を共演してくれたウッチーとKAZAにはとても感謝している。「居心地の良いお店で、TAKAさん色にそまった曲たちを

聴きながらとても良い夜を過ごせました。オリジナル曲の数々、、すばらしいですね。」(ボサ友MIさん)


2部の曲は大半が歌いなれたボサノヴァ曲で、バンド曲としても3人で演奏した曲が続いたので、とてもリラックスして歌えた。

その中にジャズ・スタンダードの『Misty』を挟んだり、アンコールの拍手をいただいて『Autumn Leaves』を演奏したり、

構成としてはメリハリがあってよかったと思う。ただ、『オルフェのサンバ』の様なリズムカルな曲は、やはりドラムが入って

賑やかな方が良いし、4バースや演奏者の掛け合いなども、ドラムやパーカッションが加わった方がより雰囲気が上がる

だろうと感じた。ゆったりとしたバラードやボサノヴァ曲が中心のプログラムだったので(1部のオリジナル曲もそうだが)、

乗り乗りの雰囲気や皆で一緒に歌える楽しさという面では、また次回の課題として考えたいと思う。言わば、今回はかなり

私のわがままを通して歌中心に構成させてもらった。何回かライブが続くと、たまにはそういった趣向でやりたくなるのですよ。

アンコール曲の『Autumn Leaves』は、この夜のハイライトだった。ゆったりとした4ビートでまず私の歌(英語)、次に

ウッチーのピアノ・ソロ、KAZAのベースソロと続き、最後にフランス語の歌で終わった。ウッチーがリハの時に「タカちゃん

これはちょっとシャンソン風に軽やかにやろうよ!」と設定したので、本番でもとても気持ち良く唄えた。ウッチーのピアノも

゛リラクシング and ファンタスティック゛のタイトル通りとても軽やかだったし、KAZAのベースもしなる様なベース音でとても

゛ファンキーでご機嫌゛だった。今回、2人の実力者とがっぷり四つに組んだ共演ができたことを、私はとても幸せに思った。


「とても穏やかでよい時間でした。タカさんの音楽、ボサノヴァを愛する姿がとても見受けられました。」(ボサ友TDさん)

「最後の枯葉が最高に良かった。ピアノとベースのソロを聴けただけでも来た甲斐があった。」(音友HIさん)




愛用のクラシックギターYAMAHA No,45(1963年製)、Anthem SL Classical の
Pickup/Condenser Mic を装着


ライブを終えて、他にも二つ良いことがあった。一つは、ここ1年半ほど私を悩ませていた左手の指と肩の痛みがほとんど

残らなかったことだ。ギター演奏だけでなく、仕事でも使い過ぎになりがちな親指と人差し指の付け根と関節がほとんど回復

したのだ。長時間のGt演奏や使い過ぎを避けて、ほどほどに休ませながらやってきたことが良かった。又、医者の勧めで、

筋肉疲労の後に残る尿酸値の上昇を抑える薬の服用も効果が出ていると思う。これで、注意しながら過ごしていけば、

まだまだGtも弾けるし、歌も歌えることが体感できたので、今後も養生しながら音楽を楽しみたいと思っている。もう一つは、

今回お店をマスターに任せて駆けつけてくれた椿珈琲店の茂子さんをテーマに、現在油絵を制作中のHIさんがほぼ完成

したタブローの写真を見せて、二人で盛り上がっていた話を休憩中に聞けたことだった。音楽を通した交流の中で、そんな

絵画の話題が生まれるのは嬉しいことだ。かくいう私も「コルコヴァード」という表題の絵画のモデルになって、彼女に絵を

描いてもらっているのだが。どんな絵が完成するのか、これでまた楽しみが増えた(今年5月の浜美展に出品予定)。


寒い冬の日曜日・夜に、ライブに来ていただいた方々には、本当にありがたいことだと感謝している。共演者2人に恵まれて

いいライブが出来たことにも感謝しているのだが、やはり課題は残る。サンバの様なリズムの速い曲では、時折早乗りして

私の歌とGtが上手くリズムに乗れなかったことがあった。それと、PA環境をもっと整えて、お客様にいいサウンドを届ける

ことが大切だ。次回は、ゲストプレーヤーを呼んで、またコーラスも呼んで、出演者と参加者が一体となったようなライブを

実現したいな! などと、終わったばかりなのに次回のライブを考えている懲りない私なのであります。日取りも、日曜の夜は

避けて、もっとお客様の来られやすい日と時間を設定したい。「今後の希望としては、日曜はだめよ。金、土の夜のライブが

翌日を気にせず、ゆっくりできます。」(音友ヨッシー)

ご来場の皆様、そして今回種々の事情で来られなかった皆様、また趣向を凝らした楽しいライブを準備したいと思います

ので、今回同様にまたのご来場をよろしくお願いします。


<この項終わり>

ジョビアゥ・タカ トリオ ライブ(付録:動画公開)

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今回のライブ演奏曲の中から、以下の2タイトルをYouTubeにて動画公開しました。
動画サイト「takasantafe neo」にてご覧ください。


1. 「Autumn Leaves ジョビアウ・タカ トリオ」(Jazz Standard)



DVD by Teruo


2.「One Side Love 片想い ジョビアゥ・タカ トリオ」(オリジナル)





※他のオリジナル曲、及びボサノヴァ・スタンダード曲については、すでにYouTubeで公開済みです。また、「恋のフーガ」と

「ワインレッドの心」については、著作権の関係から公開は差し控えています。よろしくお願いします。

ライブ訪問記:つきこ and TM BOSSA Valentine Live

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つきこさん(Vo/Gt/Pf)とTM BOSSA(Toshiro:Vo/Gt/Per と Mieko:Fl の夫婦デュオお2人)のジョイントライブは、
ボサノヴァ・スタンダード曲のオンパレードで大いに楽しかった。 All Photo by TAKA


荻窪の「かふぇ and ほーる With 遊」で、『つきこ and TM BOSSA』のライブがあり、Toさんからご案内をいただいていた

ので、ヴァレンタインの日の午後、JR荻窪駅南口から徒歩10分程の会場に出かけてみた。この会場は、約20席程のカフェ

の奥に多目的ホールがあり、PA設備や照明も整った頃合いの空間だった。カフェオーナー(白鬚まじり)のご主人に聞いて

みたら、「アコースティックな音楽には向いていると思う」と言われるだけあって、ゆっくりと音楽を楽しむことが出来た。

会場に着いたら、すでに客席は約20人ほどのお客で埋まっており、私の知り合いのボサ友も数人おられたので、久し振りの

挨拶をしているうちに開演となった。

Toさんは、中村善郎教室(ボサノヴァ・アーティストの中村善郎が、歌とギター演奏をグループ・レッスンする田町の音楽教室

先輩で、私が入門した2007年の12月にすでに10年近くレッスンを続けておられたから(今も続けているとのこと)、20年

近いボサノヴァとブラジル音楽のキャリアをお持ちなのだ。私は4年間のレッスンを経て卒業し、後はボサノヴァだけでなく

ジャズやJ-POPS、オリジナル曲など、自分の好きな世界の音楽を楽しんでいるのだが、Toさんは筋金入りのボサノヴィスタ

(ボサノヴァ愛好者)で、その歌も滑らかなポルトガル語、ギターは高度なテクニックも駆使してとても滑らか、その午後は

久し振りに彼の繰り出すサウンドを堪能させてもらった。聞けば、長らく勤めた食品大手会社を最近定年退職し、時間に

余裕ができたので音楽をもっと楽しみたい、とのこと。奥様のMiさんもフルート(この日はバス・フルートも演奏された)を

やられるので、お2人で(T and M Bossa)ボサノヴァをやるなんて、なんとまあ幸せなことだろうか!!





ライブの後でのToさんとの2ショット、Gtに装着していたDPAマイクロフォン(私も使ったことがある)
の話で盛り上がったりした。これからもお元気で音楽を続けて行かれるでしょう。


この日の演目は、ボサノヴァ・サンバ・ショーロ・中村善郎オリジナルなど、全てブラジル音楽のオンパレード17曲だったが、

つきこさんGt弾き語りのエド・ロボの2曲(『Beatriz』・『Reza』)と、Toさんのバーデン・パウエル2曲(『Samba em 

Preludio』・『Berimbau』)は、ブラジル音楽の深みと拡がりという意味では、なかなか聞けない曲なので興味深かった。

私的には二人のデュオが良かったので(『Se Todos Fossem Iguais a Você』と『Samba em  Preludio』)は、聴いてて

とても心地よい気持ちになれた。つきこさんも定期時にボサノヴァ・ライブをやっておられる、ということなので、これからも

素敵な歌を歌い続けて欲しいと思った。


ボサノヴァ大好きなつきこさんとも、フォトを撮ってもらった。

『古稀が来る前に』(その2):詩集紫陽花・同人会 2016・前篇

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47年振りに蘇えった『同人誌集 紫陽花(しようか) 復刻選集』の表紙。発行当時、表紙は木製版画の多色刷り、本文は
ガリ版・鉄筆で刻んだ蝋紙に藍色インクを乗せて、各自がローラーで手刷りしたものだった。 All Photo by TAKA



首都圏に春の嵐と大雨が襲来した日の午後(2/20)、新宿のインド料理専門店にメンバー5人が集まって、大学時代に集って

活動していた現代詩の同人会(詩集紫陽花 同人会)を、最終号発行以来47年振りに開いた。私達は、創設されたフランス

文学科の第一期生であると共に、四谷のキャンパスで学び青春の一時期を共に過ごした仲間たちでもあるので、同級会

(同期会)も兼ねていた。このレストランは、私の高校時代の音友たちと結成し4年間活動した音楽バンド『サ・タペストリー』

が3回ライブを開催し、何時もホール満杯のお客様と楽しんだ場所でもあるので、店長の釈迦さんもランチタイムの集まりを

快く受け入れて、中3階の別室を用意してくれたのだった。


話はさかのぼって、何故『古稀が来る前に』(その2)なのか? を少々説明したい。このブログの昨年11月3日の記事に、

私は56年振りに小学校の同級生たちと再会し、ミニコンサートをしたり皆さんのお話を聞いたり、とても楽しいひと時を

過ごしことを載せた(『北信濃紅葉紀行(その3) 56年振りの小学校・クラス会』)。その時に、ある時代のある時間を共に

過ごした友達は、得難いものだとつくづく感じたのだった。そして、気がつけば、私ももうすぐ70歳(古稀)に達する。幼い頃

には考えてもいなかった年代に突入するのだ。そう思った時、勃然とある歌が心に浮かんできた。

   ♪ 冬が来る前に もう一度あの人と めぐりあいたい ♪ (唄:かみふうせん 詞:後藤悦治郎/曲:浦野直)

私なりに読み直してみると、こうなる。

   ♪ 古稀が来る前に もう一度仲間たちと 集い会いたい ♪ (TAKA作!)


『古稀が来る前に』(その1)が、小学校のクラスメイトとの再会だったので、私は長年疎遠になっていた友達との再会を実現

したいと思い、大学時代の同人詩集を一緒に出していた仲間(その2)や、高校時代の音楽クラブ(ギター・マンドリン班)の

仲間たち(その3)との連絡を取り始めた。普段交流のない方達との連絡は困難を極めたが、その過程で、カナダ在住の

大学クラスメイトとも連絡が取れ、ご家族の法事で日本へ来られるSHさんを囲んで、3月にお花見会をすることも決まった

(その4)。こういう集まりは誰かが幹事になって(結構大変なことだが)、気兼ねなく話せる場所の手配や楽しめる飲食の用意、

また頃合いの予算や交通の便、各自との連絡や参加者の確認など、率先して動かないと実現が困難なのだが、今回は

「古稀になる前に、皆と会ってみたい!」という思いが強い私が企画・幹事をやらせてもらった。言わば、イベントのプロデュー

サー役を自ら勝手に買って出た、ということになる。




今回集まってくれた同人メンバー3人と学友2人の仲間たち。左から、ST君・TO君・TAKA・HR君・KR君、
生ビールとワインを飲みながら、焼きたてのナンとカレー、サラダやタンドリー・チキンなどを美味しくいただき、
詩集紫陽花や同級生達の話題と各自の近況を話して大いに楽しかった。

<この項つづく>


『古稀が来る前に』(その2):詩集紫陽花・同人会 2016・中篇

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『同人誌集 紫陽花 復刻選集』(2016年2月20日・限定10部発行)の目次、同人メンバー15人の
29作品が収録された。


昨年の11月、私の手元には『詩集 紫陽花』の既刊14冊が残されていた。第2号(1966年7月1日発行)から、第15号

(1969年9月18日発行)までだ。創刊号は、残念ながら手元にはない。なぜなら、私の同人誌への参加は第2号からだった

から。大学時代の度々の引っ越しや、卒業後も各地を引っ越ししたにもかかわらず、奇跡的に所持品の布袋の中に残され

ていたものだ。実際の所、主だったメンバーに連絡を取り始めてみると、誰一人として詩集を残している人はおらず、ましてや

「え~っ、そんなものあったったっけ!?」と、存在すら忘れている人もいた。50年近く時が流れていれば、大方そんなものかも

知れない。特に第8号は実験詩集で、自分の好みの曲や効果音をBGMにして自己詩を朗読・録音した前衛的な詩集(当時

では)だった。手元詩集の録音テープが不十分だった(半面を知人が勝手に楽器演奏の練習に使ってしまった!!)ので、完全

版を探して復刻しようと目論んでいた私にとっては、会の先行きが思いやられる結果だった。

しかし、今を置いては復刻選集を刊行する機会は他にないだろう、との思いで作業を始めた。14冊の詩集を読み直し、同人

各位の詩の中から、主要メンバー達(6人)は各3編・他メンバー達は1~2編を選び、当時のガリ版詩集の雰囲気を残すため、

各ページを画像でスキャンしてページに組み込んだ。詩集の表紙はリーダーだったEB君の木版画手刷りで、一色づつ版を

替えて多色刷りするのを皆で手伝った。ページの合間に挟むカットは私の担当で、ちょっと抽象画っぽい絵をその都度鉄筆で

描いた。本文は、各自が鉄筆でガリ版紙(蝋紙)を切り、自分の詩を自刻した。放課後の教室で、手分けして印刷し製本した

作業を今も懐かしく思い出す。フランス語やフランス文学の出版書籍は、当時洋書版といって各ページをペーパーナイフで

切って本を読んだ。それに習って、P.ナイフで切りながらページを読むスタイルにした(B6版本文B4四つ折り)。約50部程作り、

仏文の同級生や友達たちに1冊200円で販売した記憶がある。そして、詩集が出来上がると、四ツ谷駅近くの喫茶店にメン

バー達が集まり、朗読と批評会をした。お互いの詩の意味を問いあったり、感想を言い会ったりして、そんなやり取りをしな

がら文筆活動(みたいなこと!)をしていることが何故か楽しかった。ホントにいい時代だった。

1968年10月3日に第12号を刊行した後、キャンパスは学園紛争とバリケード封鎖が起こり、警官隊導入を経て大学は

約半年の休学となってしまった。詩集同人の中にも留置されたメンバーが出て、翌年の4月に大学の授業は再開されたが、

詩集紫陽花も第13号(6月12日)・14号(9月7日)と発行されたものの、かつての熱気は去り、15号(9月18日)の刊行を

もって最終号となった。創刊号(1966年5月)から約3年半の創作活動だった。







MRさんの詩『断想』、みずみずしい感性が溢れていた。カットはTAKA作


今回制作した復刻選集は、本文26ページ(1c藍色)・表紙2ページ(カラー)、B5版縦書き2段組みのホッヂキス製本の

ものだ。本文・表紙の画像の画質調整・印刷・製本は全て゛タカ印刷工房゛によるもの(手持ちのカラーコピー機使用)、

編集・レイアウト・ブックデザインもすべてやらせていただいた。大変だったけれど、各メンバーの詩を読み直し、当時を思い

起こしながらの作業は楽しくもあった。また、第8号の実験詩集の録音テープ(片面約10分)は、当時のオープンリール方式

によるテープだったので、大阪の専門工場に送り、テープからCDに復刻してもらった(費用4,000円ほど)。同人会当日は、

美味しい料理とお酒をいただきながら、この復刻選集を読み、また、持ち込んだデスクPCで復刻CDを聞きながらの会と

なった。寛いだ雰囲気の中で、同時代のひと時を一緒に過ごした仲間たちといろいろ話せたことは、ほんとに楽しかった。

<この項つづく>

『古稀が来る前に』(その2):詩集紫陽花・同人会 2016・後篇

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TAKA作の詩『アプサンス』、言葉とイメージ(画像)を融合させたフランス詩人・アポリネールの作風に刺激を受けて創った
画像詩(Poème Imaginaire)だった。「どこへいっちまったのやら おいらのこころ しわくちゃの空には 澱がべったり
青空なんてあるもんかい 粉々に砕けて 風が運んで行ったさ ああ absence absence  愛より遠く放たれたもの 」
の詩文が、風に飛ばされる「NON?」という文字風に描かれている。



当日の司会進行は私が担当し、持参した既刊詩集を皆に見てもらってから、復刻なった『同人誌集 紫陽花 復刻選集』を

各自に配った。ページをめくりながら、かつての同人たちの詩作品1編づつを読み上げていった。リーダーだったEB君の詩

『さびしさ』(初期作品)は、ロマンチックな詩情が溢れる作品で私は好感を持っていた。その後彼は言葉を自動的に連ねる

「オートマチック詩」長編や、社会性を鮮明にした抗戦詩などに傾斜していったのだが、50年近い時が経っても、自分の

心情を赴くままに素直に表現した言葉は、人を惹きつけることを改めて感じたのだった。この会のため、久し振りに彼と

電話で話したら、「最近、消化器系の病気で手術してようやく回復したので、参加するよ!」と元気に答えてくれた。だが、確認の

電話を開催2週間前に入れたら電話に出た奥さんが、「うちの主人骨を折っちゃったんですよぉ。酔っぱらって階段から落ちて、

複雑骨折ですぅ。今入院していて車椅子ですっ。リハビリもしなくちゃいけないんですぅ...」。ヤレヤレだ。新宿にある物品

販売の店を息子に任せて、時々手伝う位だからちょっと余裕も出た、と言っていたのにね。残念だったけれど仕方がない。

年を重ねることは、何時何があってもおかしくないことだからね...

続いて、冒頭に掲げた私の詩『アプサンス』を読んだ。「タカはこんな面白いことやってたのぉ?」とか、「あの頃、ボードレール

とか、サルトルとか、訳のわからないフランス文学に夢中になってる奴がいたねぇ!」とか、私自身も「今から見ても実験的な

創作意欲があったんだねぇ!」とか、皆の会話が弾んだ。私は現在、地元の高齢者や障害者をケアする地域サービスに時折

従事しながら、趣味の音楽活動や季節の花巡りと写真撮影などに精を出し、料理を作ったりPCのブログ作成や音楽動画の

YouTube投稿などを楽しんでいるが、オリジナル・ソングの作詞・作曲のルーツを改めて確認した思いで懐かしかった。

次に、KT君の詩『無題』を読みながら、「シャッター」や「ピントを合わせる」など、後年写真家としてヨーロッパで活躍する

彼の才能の片鱗をうかがわせるフレーズがあるのを見出したのだった。私が30代の中頃、アートシーンの視察でミラノと

パリに1週間づつ滞在したことがあり、その当時年上のスイス人女性作家と結婚してスイスのヴェヴェ(レマン湖の畔の町)

にいる彼を訪ねたことを思いだした。パリに移り住んだという彼のアドレスに、同人会の案内を送った封書は、宛先不明で

戻って来た。今頃どうしているのか? 元気でいてくれたらいいのだが...





紫陽花第10号(1968.4.13発行)の『春』(KSさん)に載せたカット(TAKA作)


創刊号当時から最終号まで、ほぼ毎回詩作を載せていたTO君の詩を次に読んだ。『支点』という作品にはこんな表現が

あった。「ぼくはつまらぬ笑いしか できなくなってしまった 月明かりの橋の上で一人 タヌキ踊りを踊り 片足で跳びまわって

おもいっきり笑ってみたい ~ 」... 「TOは結構ひょうきんなことを書いてたねぇ!」、続いて、「腹の中から胃袋を取り出して

ぐるぐると回してみたら ~ なんて何を考えていたんだよぉ!」など声が飛び交い、あっけらかんと明るい彼の性格をまた

見直すこととなった。長年葬祭業の大手会社に勤め、定年退職後は俳句作りと書道を楽しみ、最近は地元マンション自治会

の役員を引き受けてやたら忙しくなってしまった、と言うが、大した病気もせずに元気でいるのは心強い限りだ。 

そして、女性メンバーの中心的存在だったKSさんの『明日は』を読んだ。彼女の詩は女性にしか描けない生理的で艶めかしい

表現が常にあったので、我々は何時もドキっとさせられていた。「~ 川のない橋 緑のかげり はびこるおおばこの根  と、

 瀕死のうまごやし 明日は電気鎌の定期便がある日 」... 当時私は、自分では到底思いつかないこの表現に衝撃を受けた

ことを思い出したが、皆も改めて「ウ~ンっ」と唸ってしまった。100歳を越えた父君の介護だろうか、この春はとても時間

が取れないと言ってこの会を欠席したが、テニスと太極拳(会の会長をしているとのこと)を続けながらお元気でいることと

思う...


『午睡の後で』を載せたMHさんと、『波』を載せたNKさんは、ともに一級下のクラスからの参加だったが、これら詩編を一度

発表しただけで、卒業後も交信が途絶え、現在は消息不明なのだ。

<この項終章につづく>


『古稀が来る前に』(その2):詩集紫陽花・同人会 2016・終章

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手元に残された『詩集紫陽花』の第2号~15号の14冊(B6版本文B4四つ折り・創刊号はない)


ISさんは、後期の号には作品を載せることはなかったが、それまでは毎回詩を発表していた。『オルフェ』という詩を読んで

みた。「見よ、冷たい石肌の ウーリデスの墓の上に 今なお沈思にくれ 小さき白花をみつめ 永遠のロマンにふける 

オルフェの姿 」...<なかなか格調高かったね! >、<ちゃんとフランス語読みでユーリデスを言ってたね!> など。彼女は

封書で送った会の案内に対し、「当日は予定がすでにあり欠席します」と葉書で連絡をくれた。併せて、「とても元気でやって

いますが、突然原因不明のめまいでダウンすることもあります。」と書き添えられていた。

この同人誌のアイドル的存在だったMRさんの詩を次に読んだ。『断想』という短編(このブログの続き゛中篇゛参照)だったが、

日常の中でふと湧き起こるフレーズに、みずみずしさが溢れていた。「ふと風が起こるように 机の片すみに置いたレモンが 

とても眩しく見える日がある~」...<可愛かったよね、彼女!>、<創刊号から最後まで、ほぼ毎回詩を載せていたね!>。

大手文芸出版社に勤め、その後結婚してからはパリに移り住んだ彼女に、封書の案内を送ったが返信はなかった。無事で

暮らしているかと思うが...


『小菅ブルース』という作品を載せたHO君は、大学紛争の折バリケードに立て籠もり、警官隊導入の折拘留された。釈放後は

学業に戻り、卒業後経済書籍専門の出版社で仕事をしていたが、50代半ばで消化器系の難病で他界した。『雨は闇から』を

載せたYM君は、図書館の司書の仕事を長く続けていたが、今回の出席を電話で訊ねたら、「妻が脳血管系の病気で倒れて

しまった。残念ながら出られない。」と話してくれた。年を経るということは、こういうこともあるのだ、と暗然たる思い

だった。初期の号に『島』などの作品を載せていたFM君は、卒業後音信が途絶え、時折『はなみち』などの作品を載せて

いたKB君も会の案内に対し返信がなく、消息は分からないのだ。

次いで、現在神田で編集業を営んでいるMU君の詩『青春』を読んだ。「雨の日の 五月の糸のような雨の日の 夕暮れ ~

 私 うれしい!  雨ににおう 青いトマトに 乳房のふくらむ音がする 」...<乳房のふくらむ音って どんな音だぁ?>、

<いいねぇ、青春だね!>...今回は都合がつかず欠席する、との電話で話した彼の声は元気だったので、また会う機会が

あるかもしれない。最後に、今回出席したHI君の『La Chanson de la Nuit』という詩を読んだ。「星一つ 月青く 木々の

間より 谷川を照らせり 流れきらめく 眼恋(まなこ)のごとくに ~」。...<いいねぇ、格調あるじゃん! >、<いやぁ、

当時ベルレーヌの詩に魅かれていたんだよ!(本人談)>。卒業後大学院に進み、つい最近まで芸術系大学と私学でフランス

文学を教えていた彼も、ようやく仕事から離れられると喜んでいた。



第13号(1969.6.13発行)の『生きる』(TAKA作)に載せられたカット


その後、やはり復刻なった『実験詩集 紫陽花第8号』(1967.12.10発行)のCDを、持参したPCの音声で聞いてみた。

 『夕陽の中のおまえ』(TAKA作)は、この詩のために作曲したギター・メロディ(ソロと伴奏)と朗読を多重録音したもので、

哀切なメロディが詩情を膨らませる効果が感じられた。『街から』(KSさん作)は、朗読詩の背景に効果音(仏壇のチ~ン、

というような)をあしらったもので、荘厳さを演出していた。『岬』(MRさん作)は、伸びやかなピアノ・メロディ音

(クラシック音楽)をバックに入れたもので、静かな高揚感が感じられた。最後の『日曜日』(EB君作)は、効果音こそ

入っていなかったが、誰も訪れることもない日曜日の静寂が感じられる朗読だった。それらの詩は、今聞いても新鮮で

面白かった。<よくこんなこと考えてやったねぇ!>、<このTAKAの詩はよく覚えているよ!>など... 


同人誌のメンバーとして詩を載せることはなかったが、今回の会合に参加してくれた同級生のKR君は、長らく金庫業の

会社に勤め、今回その社業を次いで新たな会社を興した、と張り切っていた。つい最近、軽い脳血管系の病気で倒れたが、

幸いに回復して元気な姿を見せてくれた。同じく、自動車産業の大手会社を務め上げ、ブラジルに渡って勤務したことも

あるSTくんは、退職後、絵画制作(油絵・テンペラ画)や古物業(古いカメラや機器を扱う)に精を出し、都内各所の

古物市に出店するのに忙しい日々だ、と話してくれた。


その後、会食を楽しみ、会食後も近くの珈琲店に場所を移してお互いの話が続いた。久し振りに食べたカレー料理は、

焼きたてのナンも美味しく、ビールとワインもたらふく飲んで食べて、会計は1人3,000円だった。皆その値段(コスト・

パーフォマンスの良さ)に驚いたが、HR君が「今回のTAKAの仕事は、詩集と言いCDと言い大変だったと思う。皆で

2,000円づつカンパしよう。」と言ってくれたのだ。この瞬間、長い時間と手間をかけて準備した私の苦労は、全て報われた

気持ちだった。金額の大小では決してない。同じ志で、ある時期文芸活動を共にした仲間と級友たちと、「古稀になる前に

再び集いたい!」との思いで画した会合を、皆が喜んでくれたこと、そしてその私の思いに応えてくれたことが何よりも

嬉しかった。そして、KRくんが、「会の案内に、今回が゛唯一無二゛ってあったけれど、そんなこと言わないでまた

集まろうよ!」と宣言したのだ。3時間半近く、詩を読み朗読詩を聞き、お互いの近況や仲間たちのあれこれを話し合って、

最後はやや話疲れてしまったが、それも心地よい疲れだった。私自身は、これが最初で最後かもしれない、という覚悟で

この会を準備したが、幸運の女神が微笑めば再び会い見える事ができるかもしれない。しかし、それを保証出来るものは

何もないのが世の常だと思っている。


【 付記 】 現在私は、ボサノヴァやジャズを楽しみ、自分でギターを弾き語りするオリジナル曲の作詞・作曲も手掛けているが、

バンドを組んでのライブも時折開催している。地元の音楽愛好者たちと、毎週土曜日に椿珈琲店に集まり、歌い楽器を弾く

楽しい日々でもある。高校・大学時代に楽器(ギター・ウクレレ)に親しみ、詩集紫陽花の同人誌活動で詩作を試みたことが、

時を越えて今の私に繋がっていることを確認した今回の機会でもあった。『Beside You あなたの側に』・『ブラッド・ムーン』

・『one Side Love 片想い』・『愛とも知らないで』・『君に酔ってしまいそうな夜』・『あなたをずっと 夏の終わりのサンバ』

・『ときめきの夜』などの楽曲動画は、YouTubeのサイト名:Takasantafe neo で見られるので、興味ある方は覗いて

みて下さい。

<この項終わり>

3月弥生・早春点景(その1)

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早咲きの『河津桜』も、満開から散り始めへ。花と同時に花弁の根元には新葉の緑が広がりつつある。 喜多見駅近く個人宅庭で。
All Photo by TAKA


今年の冬(2015~2016年)は、暖冬傾向だったことを、気象予報士がTVで伝えていたが、平年より最高気温も最低気温

も高かったということだ。確かに、12月~1月中旬までの肌に感じる大気温は暖かさがあり、冬とは言え過ごしやすかった。

花の開花について言えば、水仙は暮れの12月半ばから咲き始めていたし、蝋梅も例年より早かった。ご近所の梅も、2月初め

から咲き始めたし、伊豆の名所・河津サクラも例年より10日ほど早いとニュースは伝えていた。



暖かな春の日差しの中で咲き始めた『熱海寒桜』、沖縄系の緋寒桜と関西系の山桜の交配種と言われている。
寒桜の淡紅紫色よりも色が淡く一重咲き、花と葉が同時に展開する。『熱海桜』とも呼ばれている早咲品種。
町田市郊外の薬師池公園にて。


先日、TVの気象予報士AM氏が、ちょっと気になる情報を紹介していた。それは今年のサクラの開花予想についてだったが、

「例年、冬が厳しく気温が低いほど、サクラの開花は早まる。蕾の状態で寒さにさらされる期間が長いほど、早くに桜は

咲く。だから、暖冬傾向だった今年のサクラ開花は遅めで、3月29日頃だ。」というものだった。「それ、ほんとかいな?」と

私は思ったのだが。植物学的・気象学的にそのような事例があるのかはよく知らないが、毎日電動チャリで走り回り、近辺の

木々や花々を見ている私からすると、多くの花の開花が、例年より早いのが今年の傾向だと思う。あくまで私的な予想なので、

「当たるも八卦、当たらぬも八卦!?」ではあるが、今年の桜(ソメイヨシノ)の開花は、例年(3/25日頃)よりも一週間ほど早い

のではないか(3/20頃)? と秘かに思っているのだ。



マンサク』の花も満開、後方の『サンシュユ』も咲き始めた。今年は暖冬のせいか、花付も良い様な気がする。
同じく、薬師池公園にて。



公園の花壇に植えられていた『ヒメリュウキンカ』、黄色は春色だ。啓蟄(旧暦3月7日)も間近、ミツバチが飛来して
花の蜜を吸い始めた。狛江・前原公園にて


3月弥生の声を聞いてから、暖かさも増してきた。日中の気温が15℃前後になると、ちょっとポカポカ気分になる。何と言っても、

春の訪れは嬉しいものだ。快晴の日(3/1)に町田市の薬師池公園を訪れてみると、梅林は満開の梅でとても見応えが

あった。公園の池を一旦水干しし、清掃した後に水を入れなおす工事中だったが、公園全体が随分ときれいになっていた。

梅の樹木も、秋から冬の時期に剪定作業がしっかりと入ったようで、樹木の形が良く花付もすこぶる良かった。何度かこの

梅林に来たことがあるが、今までで一番きれいな梅花を見られた気がした。マンサクやサンシュユの花も、沢山の花弁が

開き、春の到来を告げていた。



満開の白梅、花弁の花付きが見事だった。品種紹介の案内板がなかったが、白加賀か白難波だろう。
ご一緒した絵友のHIさんも、きれいねぇ、と見入っていた。(薬師池公園)



日当たりの良い公園の一角では、バラの芽も動き始めている。(前原公園)


<この項つづく>

3月弥生・早春点景(その2)

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満開に近い白梅は、花弁もシベもしっかりしていて勢いがある。快晴の午前中の陽射しは、空気も澄んで
いて気持ち良かった。(薬師池公園) All Photo by TAKA


この公園の、今年の梅の見事さは、剪定作業の良さと根元の肥料やり(おそらく!)、それと暖冬の暖かさのせいではないか、

と私は推測するのだが、こんな見事な梅花を見られるのは、とても幸運なことだとありがたく思った。平日とは言え、梅見

客もちらほら、お昼のお弁当を広げるグループもあって、のどかな真昼時だった。梅林の丘や池の周辺を巡って歩き、少々

お腹も空いたので、薬師池からすぐそこのお蕎麦屋さん(徳兵衛)でお昼にした。鴨蕎麦(冷やしソバを鴨の入った温かい漬け

汁に付けて食べる:私)と鴨なんばん(鴨肉入りの温かいソバ:連れ)を頼んだ。お蕎麦は江戸前系の白ソバで、打ち加減は

やわらかめだったが、しっかりした辛口の漬け汁と合わせてみると美味しかった。ソバを食べた後、そば湯に薬味の刻み

ネギを少々入れ、七味を振って飲むのもさっぱりしてよかった。



紅梅も沢山の蕾を付けながら、次々に花開いていた。梅林の一角は、さながら白と淡紅色が織りなす霞が
かかっているようで、春を体感するひと時だった。


和食に出し汁は付き物だが、鰹節や昆布をベースにした出し汁にお酒・醤油・味醂を加え、ひとつまみの塩を効かして作った

(時には煮詰めた)漬け汁は、良質の脂分が入ると俄然美味しくなる。温かい蕎麦汁に鴨肉しかり、さっぱりとしたお吸い物に

脂の乗った鯛の切身しかり、うどんのお汁に油揚げしかり...そば処徳兵衛で食べた鴨肉も、少なめの脂身と柔らかな

歯ごたえが美味だった


食べログの「そば処徳兵衛」の画像より




陽光を浴びて花開き始めたハクモクレン、びっしりと付いた蕾が咲き揃うのも間近だ。(前原公園)


自宅近くの前原公園には、近隣の児童たちが自然観察できる「トンボ池」があり、ボランティアの指導で実際にヤゴを育てて

いるので、秋にはトンボが飛び交う。また、大きなすべり台もあるので、子供連れの家族には人気の公園だ。この公園にも

春色が増してきていて、ヒメリュウキンカは花開き、バラの芽は動き始め、ハクモクレンも開花となった。ヒヤシンスも、紫青色

の花を沢山開いている。早春の訪れを告げる花々を見ると、誰もが同じと思うが、私の心は華やぐ。


春の午後の陽射しを浴びるヒヤシンスの花、栽培種は、白・赤・黄・ピンクなど様々な色があるが、やはり
紫青色がヒヤシンスらしいと思う。
上戸向きに一句:「まず一杯、今夜のお酒は ヒヤシンス」!? (お後がよろしいようで...)



おまけの画像:緑顎梅の花。蕾が黄緑色で、花開くと白い花が広がる。爽やかで清潔感を漂わす様が魅力だ。
(薬師池公園)

<この項終わり>

古稀が来る前に(その3):高校マンドリン班の音楽の集いと同期会<前篇>

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「音楽の集い」が終わった後、スタジオのKTさんに撮ってもらった記念のフォト、高校卒業以来51年振りの集いだった。
前列左より、原ちゃん(MD)・TAKA(Gt)・ANくん(Gt)・ISくん。後列はhirokoさん・HOさん・MZくん・KDくん・HNくん・
MRくんの各位。ARくんは途中退席、計11名の楽しい会だった。 Photo by TAKA・HI・Ishida


春まだ浅い長野市のとある音楽スタジオに、高校時代の音楽クラブ(ギター・マンドリン班)のメンバー達が集まって、音楽の

集いをした。卒業以来実に51年振りのことだったので、現在も楽器演奏を楽しんでいるのはわずか3名、他のメンバーは

楽器を買い直しては見たものの、いまだに高校時代の様には演奏できずにいる者が大半、他は班員以外でこの話を聞いて

参加してくれた方達も入れて、計11名の参加だった。もちろん、皆んな同じ高校の同期卒業生たちなので、奇しくも同時に

高校同期会をすることにもなった。和やかに、ゆるゆると会は進行し、マンドリン(原ちゃん)とギター(TAKA)の共演、ギター

のソロ演奏(ANくん)、そして女性デュエット(原ちゃんとhirokoさん)、コーラス(同女性2人)入りのTAKAオリジナル曲

ギター弾き語りなどをみんなで楽しんだ。後半には、当時流行った歌謡曲をTAKAの伴奏で歌ったり、ANくんのギターソロを

また披露してもらったり、アンコールで再度ギターとマンドリンの演奏曲をやったり...etc。予想していた以上の盛り上が

りと熱心に聞くリスナーたちとの交感で、音楽の集いは充実した楽しい会となった。




マンドリン(原ちゃん)とギター(TAKA)のコラボは3曲、高校の音楽祭で演奏した2曲も再現したものだったので、
想い出多いシーンを呼び起こすような懐かしさがあった。


当日の「音楽の集い」は、私がMCをやらせていただいた。露払いにジャズ・スタンダードの『Misty』を、私がGt弾き語りして

いるうちに全員が集まったので、ゆるゆるとプログラムに入っていった。凡その進行は以下の通り。

<一部>
TAKAのGt弾き語り 『Misty』(Jazz Standard)
マンドリンとギターの共演3曲 『Moon River』・『第三の男』・『Close To You』
女性デュオ(原ちゃんとhirokoさん)の歌(Gt伴奏TAKA)  『恋のバカンス』・『恋のフーガ』
AN君のクラシックGt・ソロ3曲 『El Noi de la Mare(母の子)』・『Ⅱ Minuets』・『Tango』

<二部>
オリジナル曲のGt弾き語り2曲(コーラス:原ちゃんとhirokoさん) 『愛とも知らないで』・『君に酔ってしまいそうな夜』
女性ヴォーカル・ソロ2曲 『朝日楼』(原ちゃん) 『桃色吐息』(hirokoさん)
生オケ(Gt伴奏)で歌おう! 『秋桜』(MZ君)・『学生時代』(HN君)・『無縁坂』(AN君)
(リクエスト)AN君のクラシックGt・ソロ3曲<F.タレルガ作> 『La Grima(涙)』・『Adelita』・ 『Capricho Arabe』 
TAKAのボサノヴァ・弾き語り2曲 『ワインレッドの心』・『黒いオルフェ』
(アンコール)マンドリンとギターの共演2曲 『Moon River』・『第三の男』 


振り返ってみれば、1965年(昭和40年)3月に高校(長野高校)を卒業した我らがメンバー達は、その前年の秋に市民会館で

開催した学校祭(金鵄祭)の音楽祭に出演した。その時、ギター・マンドリン班は1~3年生男女総勢52名の大所帯で楽器

演奏を披露した。編成は第1・第2マンドリンとマンドラ、第1・第2ギターとウッドベース、パーカッションだった。

班のテーマ曲は『第三の男』、『ムーンリバー』・『キサスキサス』・『浜辺の歌』・『ルンバドナウ(ドナウ河のさざ波より)』・

『日本の童謡シリーズ』・『スパニッシュ・ワイゼン』などの合奏曲と、ギター・アンサンブルによる『エスパニア・カーニ』

などを演奏したのだった。この時の演奏は、当時のテープ録音をカセットテープに復録して、MZくんが後年当時の同期生

たちに提供してくれたので、その雑音交じりの懐かしいテープ音を私も聞いている。今回はその中から、『ムーン・リバー』と

『第三の男』を原ちゃんのマンドリンとTAKAのギター伴奏で再現してみた(編曲はTAKAによる)。『ムーン・リバー』は、

1コーラスを3/4拍子で、2コーラスをTAKAの歌で、3コーラス目を4/4拍子・Cha-cha-chaのリズムで演奏した。『第三の男』

は、近年ビール・CMのテーマ音楽でも知られているので、皆にもなじみがあった。出席メンバー達は二人の演奏にじっと聴き

入って、大きな拍手を送ってくれた。このコラボも、2年ほど前から原ちゃんが再びマンドリン演奏にチャレンジしてくれた

おかげでようやく実現したものだった。




52年前(1964年秋)の金鵄祭音楽祭に出演したギター・マンドリン班52名の記念フォト、中央の指揮者はMZくん
班長のNIくん(MD)、KIくん(Ba)、TUくん(MD?)はすでに他界してこの世には居ない。

<この項つづく>

古稀が来る前に(その3):高校マンドリン班の音楽の集いと同期会<中篇>

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本格的なクラシックギター・ソロを聞かせてくれたANくん、脳内系の病気から快復した後なかなか指が動かない、
と言いながら、クラシック・ナンバーの柔らかで力強いサウンドを奏でてくれた。Photo by TAKA・HI and Ishida


後先になったが、何故「古稀が来る前に(その3)」なのかを少々説明させてもらう。このブログの今年2月21日『古稀の来る

前に(その2):詩集紫陽花・同人会2016・前篇』にその経緯を載せているのだが、70歳になる前に「もう一度 仲間たちと 

集い会いたい!」との思いから、ここ半年ほど私は旧友達との集いを計って来た。(その1)が小学校のクラスメイトとの同級会

(昨年11月3日『北信濃紅葉紀行[その3]56年振りの小学校クラス会』参照)、(その2)が大学時代の文芸活動をした同人

達との会合(前述)、それに続く(その3)が、今回の高校マンドリン班のメンバー達との音楽の集いなのだ。実はそれに

つづく(その4)が、今月の22日に予定されている。久し振りにカナダから日本に来られるSHさんを囲んでの、大学時代の

同級生女子メンバー達とのお花見会だ。この4つの集いを持って、『古稀になる前に あの仲間たちと 集い会いたい!』

の4イベントは完結する。一つ一つの出逢いを、私は旧友達の協力を得ながら準備してきた。今回の高校音楽班のメンバー

達との集いも、5年越しの企画だったが、ようやく実現した会合に、私の思いは感無量だった。しかも、とても楽しい、充実

した集いだったので喜びは深かった。


経緯はさておき、50年以上ほとんど高校の同期生達とも連絡が途絶えていたAN君が、愛用のギターを持参して参加して

くれたことは、皆も驚くやら懐かしがるやら、今回の集いをした甲斐があるというものだった。ギター演奏とギター収集に精を

出し、スペインまで出かけてコレクション(20台ほどあるとか!)を増やしたというから半端ではないオタク振りだ。特に今回は

2回に渡ってクラシックギターの基本レパートリーである、フランシスコ・タレガの名曲の数々を演奏してくれた。本人は、お酒

が入るともっとうまく弾けるのだが、と謙遜していたが、とても素敵な演奏だった。



女性ヴォーカルのお二人、原ちゃん(左)とhirokoさん(右)は、デュエット・コーラス・ソロとこの日の参加を
大いに楽しまれた。


マンドリン演奏を披露してくれた原ちゃんは、合唱団でのクラシック曲・コーラスを長年続けているが、同じ高校の音楽仲間

で結成したバンド『ザ・タペストリー』(2010年12月結成~2014年11月まで活動)にも参加して、一緒に音楽を楽しんできた音友

なので、今回の催しをとても喜んでいた。同じバンドで、やはり一緒に活動していたhirokoさんも、今回の企画を聞いて、班員

ではなかったが原ちゃんと一緒に参加し、二人のハーモニーとソロ・ヴォーカルを披露してくれた。彼女は近年絵画制作に

精を出し、地元(横浜市)の絵画愛好者とともに絵を描き、グループ展などにも作品を出品して楽しんでいる。長野から参加

した同期生HOさんと共に、女性メンバー3人がこの会を盛り上げてくれたのは嬉しかった。ひと通りの歌と演奏が終わった

後でまだ時間があったので、「Gt伴奏で何か歌わない?」と持参した歌集2冊(100曲収録)を見せて水を向けたところ、3人

が、J-POPSを歌ってくれた。MZくんは山口百恵の『秋桜』をゆったりと歌い、HNくんはペギー葉山の『学生時代』を軽快に

歌い、さだまさしいいでもいいかい? と言いながら、ANくんが『無縁坂』をしっとりとと歌った。一緒に音楽を楽しむという

気持ちの表れを、皆が歓迎してくれて良かった。

 

この日参加されたメンバー達、左よりMZくん(指揮者)・ARくん(室内楽班)・HNくん(MDマスター)・KDくん(MD)・
ANくん(Gt)・ISくん(同期生)・MRくん(MD)


指揮者だったMZ君は、クラシック・ギターの練習を少しづつ続けている、とのことだが、今回の演奏会に刺激を受けたようで、

次回は俺もGt演奏を披露したい、と会後の連絡メールを送ってくれた。一度脳内系の病気を経験しているが、Gt演奏の指

の動きは、リハビリと脳内活性化に大いに効果があるので、続けて欲しいと願うのだ。今回催しの幹事役を引き受けて、色々

な準備をしてくれたHNくんは、再びマンドリン演奏を試みようと楽器をすでに購入済みだった。なかなか捗らないでいる、

と言っていたけれど、高校当時の演奏がまた蘇えるのを皆が楽しみにしていると思う。長らく地元新聞社に勤務し、退職後

今度は地元大学で講座を持つ予定、とのことだが、多忙の合間を見てMD演奏に精を出してほしいものだ。そして、KDくん

も、Gtを購入済みだが練習は捗らないでいる、とのこと。最近はランニングに熱中していて、この会の翌日にもハーフ・マラソン

に参加すると張り切っていたが、身体を動かすと同時に、指先も動かしてもらい、また一緒に音楽を楽しめたらいいなと

思う。MRくんは、確かGtをまた習い始めた筈だったが(聞き違いかもしれない?)、この所楽器演奏をやらないで來てしまった、

と言っていた。メンバー達の集まりには必ず顔を出してくれるし、長年特許関係の仕事を続けてこられ現在も多忙の様だが、

また皆で集まる時はジョイントして欲しいものだ。



音楽祭が終わった後、3年生の秋(1964年)に班員と指導担当(原先生)とで出かけたバス旅行の時のスナップ写真。
前列左より、TAKA・MZくん・INくん(今回不参加)・原先生・班長のNIくん(逝去)・KOくん(逝去)、後列は
KDくん・HNくん・MIくん(不明)・MUくん(不参加)・OKさん(不明)・原ちゃん・MRくん・ANくん。

<この項つづく>

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